いち在日朝鮮人kinchanのかなり不定期更新日記

はてなダイアリーから移行しました。古い記事ばかりになりましたが、ボチボチ更新していこうと思います。

親父の背中に思う。

思うところがあって、今日は私の親父について書いてみようと思う。

私の親父は、偏差値にかけてどちらかと言うと真面目だと自認する私に言わせても、これほどの生真面目な人間はなかなかお目にかかれない、と思うほどの、堅物ともいえる真面目な人間である。曲がったことが嫌いで、時間や約束を守ることを自分にも他者にも厳密に課しながら、とにかく直向きに生きてきた人間である。
いまはもう70を過ぎたが、人一倍仕事に熱心で身体を削って生きてきたので、実年齢以上に年老いた姿、身重な身体になってしまった。学費の高い朝鮮学校に高校卒業まで通わせてくれ、次いでこれまた高い学費の私立大学にも通わせてくれた。それなのに私はその苦労に報いることなく、ろくに大学で勉強せず、日々バイトに明け暮れ女友達と遊び呆け、社会に出ても心配ばかりをかけてきた。まったくの親不孝者だと恥ずかしい気持ちになる。

いま私自身が親の立場になり、嫁と一人息子を養うようになってはじめて、親父の苦労の片鱗でも理解できたような気がするが、親父とのエピソードを顧みると、私の苦労など取るに足らないようなものだと、いま小さくなった親父の背中に、ある種の想いを馳せる機会も多くなってきた。

いくつかの親父とのエピソードを書いてみようと思う。



私の幼少期、親父はたびたび家族を野原や野山に連れ出してくれた。山の頂上を目指す道すがら、親父は野に生える草花の名前を息子らに教えたりして過ごすのだが、ある日、登山道の傍らから竹より細く葦にも似たような、自分らが住む都会ではお目にかからない植物の茎を見つけてきてポキっと折り、手際よく口で食んで皮を剥いては息子らに「食べてみろ」と与えるのである。噛むと酸っぱい味がする。確か親父はこの植物のことをスカンポと呼んだが、これ以外にも食べられる野草らをよく知っていて、親父は息子らに教えたり、与えたり、採って持ち帰ったりしたのだった。

またある日は、植物のツルや転がっている枝や石ころ、電気のコードなどを手際よく組み上げて、鳥を捕えられるワナを拵えて見せてくれた。親父が小枝のふもとに生米を蒔き、その小枝に鳥がとまるとワナが動いて鳥が捕えられるのだという。実際小枝を動かしてみると、曲げられていた木の幹が戻ろうと立ち上がる力とかを用いてワナが動き、カゴがその場に落ちてくる。手品かと思わせるような見事な技にワクワクした。残念ながら息子の目の前で獲物が掛ることはなかったが、親父はそのようなワナを作る術をいくつも知っていて、私を楽しませてくれた。
私は子供心に「アボジ(親父のこと)は色んな事を知っているなぁ」と感心したものだった。

これらは親父が幼い時、飢えを凌ぐために習得した「生きる知恵」だった。そのことが分かったのは、私がある程度大きくなって、親父の幼少期時代を知ったからだった。親父の幼少期は極貧の極みだったのだ。

祖父は両班の端くれで、23の山を持つと言われる程度の土地持ちだった。小作人に田を貸して悠々自適と暮らしていた。ところが、日本の植民地政策のひとつである土地収用策によって生活の糧たる土地を奪われてみるみる落ちぶれた。朝鮮での生きる術を失った祖父は、家族とともに生きるために日本海を渡った。敗戦間際の日本全体が暗い影を背負った時期に、親父は6番目の子供として、祖父の元に生まれ落ちた。貧乏子沢山の典型であった。ろくに学も腕もなかった祖父は、肉体労働の出稼ぎで各地を渡り歩き、家は家で極めて狭いところに大人数が肩を寄せ合い、生活はまったく話にならない。祖母は親父が未だ乳飲み子程度の時期に病に斃れ、祖父は家にはほとんど帰って来ない。親父はひもじさに耐えながら幼少期を育った。野に咲く花、草木、飛びまわる鳥や昆虫。親父はそれらの中で飢えを凌げるものを食みながら、必死に生き延びたのだった。

エピソードがある。家には風呂は無く、数日に一度、良心ある近所の日本人宅に戴きに行っていた。ある日、いつものように風呂を戴きに行くと、その家の食卓には刻んだ沢庵を盛った器が置いてあった。いつ終わるとも知れないひもじさと、目の前の沢庵欲しさの誘惑に堪えかね、親父はその一切れを盗み食いしようと口に運んだが、運悪く家人に見つかってしまう。家人は親父を盗人と罵った。「もうお前の家族に風呂はやらん」と。親父はそれを泣いて詫び、二度と人様に向かって恥ず様な真似はしないと決めたのだというが、同時に今でもそのときの沢庵の味が忘れられないのだと言う。「うまかった」と。

親父はそんな話を成長期の息子(私)に聞かせ、真面目で正直な人間になれと語るとともに、息子には自分のような苦労はさせたくないのだと、自分に言い聞かせるように語るのだった。いっぽうの私は、『まんが日本昔ばなし』を聞くような、リアリティを感じられない話題としてその場をやり過ごしていたような気がする。親の心子知らずを地で行くようなもので、まったく言葉が無い。

親父は、高校を出て早々、工場の下働きのような職を得て、一日も病気や怪我で休むことなく真面目に働き、少しづつ生活が安定していった。嫁(私の母)を迎え、(こんな私のような、であるが)子宝にも恵まれ、人並み以上の生活が送れるようにと、親父は必死だった。小さな家を買い、子供三人を大学まで出してやり、それぞれが身を立てられるようになるまで育て上げた。私らの家庭はこれまで生活保護の世話にもなったことは無いし、私は成長期にひもじさを覚えたこともない。贅沢ではないが、不自由のない暮らしを送らせてもらった。尊敬できる親父だ。



そんな親父は、朝鮮学校を出てそれなりに民族心が強い嫁(私の母)の影響もあったりで、朝鮮総連絡みの地域同胞の繋がりには付き合い程度に関わっていた。現在もなお韓国籍のままであり、おのれに取りついた民族的属性を忌避するような考えは持ち合わせていないようだ。なのに、職場には日本名で就職し、それでずっと通していた。職場の同僚が朝鮮学校に通う私に接触する可能性があるときは、「朝鮮学校に通っていると言うな」「俺のことをアボジと呼ぶな」と事前に釘を刺されたりと、自分が朝鮮人とバレないように神経を使っていた。

いっぽうの私といえば、朝鮮学校で学び、同年代の在日同士で語らう中で、朝鮮人であるという強い自覚を得た。親父から受け継ぎ、外国人登録に併記されていた通称も、自らの意思でわざわざ消除したりして、自分が朝鮮人であることを、忌避せず、受け入れ、それを晒すという生き方を、自らで選んできた。

親父は全ての社会生活を通称で行い、朝鮮人であることを隠しながら生きている。朝鮮人であることは悪いことでも恥ずかしいことでもないのに、である。

自分にも他者にも厳しく、真面目で直向きな親父が、本名を名乗らず、『嘘』をついている。
私は思春期特有の反骨心も手伝って、「朝鮮人として堂々と生きればえぇやないか」「なんでうちの表札は通名しかないんや、うちは金家ちゃうんか?」と思っていた。親父に養ってもらっているのに、こんな『いっちょまえ』なことを考えたりしていた。
いま大人になって振り返ってみたとき、その頃の自分が、如何に青臭く、浅はかだったのかと、本当に恥ずかしい気持ちになる。



在日二世である親父が就職をした1960年代は、いまより遥かに外国人に対する差別が激烈であった時代である。国民年金制度からは排除され、公団住宅にも入れない、就職差別・居住差別・結婚差別は当たり前の時代だ。朝鮮人であることを晒して、まともな就職先にありつくなど、とても考えられない時代だった。在日二世、ちょうど戦後間もなく生まれた世代に個人事業主が多いのはこのためだ。雇ってもらえないから興すしかなかったのだ。

この時代において、朝鮮人であることを晒す生き方など、食っていく・命を繋いでいくうえにおいては、何の役にも立たない。むしろ障害でしかない。出どころが悪ければ、自分が築き上げたものですら、一瞬にして崩れ去りかねない。この時代において、自らの民族性を晒す生き方など、多くのザイニチにとっては、『人並みに食う』『安心して生きる』が満足してはじめて追求できる、ただの戯言でしかなかったのだ。

親父もそのような背景の元、日本社会で、日本人たちの中で、生きるために『日本人』を選択した。日本人たちの中で朝鮮人として顕在化することが人間扱いされない世の中における、生きるための選択だったのだ。

かつての植民地支配によって内包した朝鮮人に、日本政府は満足な法的地位を与えず『二級国民』として扱い、終戦後には日本国籍を取り上げ、危険分子として排斥するなど、一貫して続く植民地主義のなかで、ザイニチは、その民族性を、ある時は晒し、またある時はひた隠しにし、という様々な選択を個々に重ね、激烈な差別の時代を生き抜いてきたのだ。生きるというのは理屈ではない。時にしたたかに、そして時に愚直に、やれることをやり、使えるものを使う。そのような様々な選択の中に、日本人名(通称)があったのだろう。戦前、創氏改名によって『日本人』を押し付けてきた象徴たる、屈辱にまみれた名前を、戦後もなお使い続けなければならなかったのには、「社会がそれを許さなかった」「社会に受け入れられるために使ってきた」という歴史的な潮流があったのだ。

1970年代以降、段々とそのような激烈な差別が解消され、日本社会の中でザイニチが朝鮮人として顕在化するという選択をしても、生存の危機に晒されないようにはなった。その背景には、国際化・グローバリゼーション・国際人権感覚の高まりと日本社会とが無縁で無くなったこともあるが、何よりも私の親世代と、それを支援してくれた多くの心ある日本人が、指紋押捺拒否や、居住差別・就職差別解消のための各種裁判闘争など、差別に抗い、一つひとつ解消してきた、という成果があったからに他ならない。

それを知らないでいた成長期の私は、しょうもない虚栄心を働かせて「朝鮮人として生きる」「通称を使うなんておかしい」などと息巻いていた。このことほど、いまから思えば身の程を知らないことは無い。先人が、『朝鮮人』として生きられなかった時代を、多くの選択を経ながら生き抜いてきて、一つひとつ権利を積み上げてきた結果、自分が『朝鮮人』として生きられるのであり、私は先人が築いた舞台で踊っているに過ぎなかったのだ。まったく恥ずかしいことこの上ない、と思う。



翻って、
ある講演会で在日の学者が言っていたことが頭に浮かんだ。おおよそこのような主旨だ。

「今の時代が、私が生きてきた中でいちばん苦しいのではないか、私たちに『死ね』『殺せ』と、何のてらいも無く言えるような時代に戻ってしまった。ジェノサイドが起こる前夜のような気がしてならない」

確かに、
日本で生まれた朝鮮人であるということ「だけ」で、知らない人間に死ねだ殺せだ言われる筋合いはまったく無い。それなのに、ネット上でそのような言説が失せた日は無い。しかも言っている側は、実に楽しそうに、である。『死ね』『殺せ』が気楽なエンターテインメントに化し、それに良心の呵責の欠片もない。そんな言葉が溢れかえる世の中になってしまった。政治の貧困さが、そのような言説を放置し、あるいは勢いを与えてさえいる(アリバイ作りのような法律は通ったが政権中枢の姿を見る限り私の評価が変わるわけではない)。

『死ね』『殺せ』を言っている側、攻撃している側、放置している側には、私や私の親父のような具体的な生活者としてのザイニチの人生が視界に入っているのだろうか?
私が、私の親父が、何故に死ななければならないのか、何故に殺されなければならないのか。私の、そして親父の、ささやかな人生を振り返った時、何故なのか、本当に、これっぽっちも想像がつかないのだ。

先に書いたように、人一倍苦労し、人一倍努力して、ようやく人並みの生活を手に入れた親父が、人並みに生きる手段として通名を使っていたことは、『死ね』『殺せ』という社会的制裁に値する行為なのだろうか?
朝鮮人として生きようにも生きられなかった社会の在り様、個人の自由や人格の領域でさえ朝鮮人であればいちゃもんをつけられる不寛容な社会の在り様を差し置いて、誰にも認められているはずの通り名の使用を、朝鮮人だから排撃の材料にする、人間の心の在り様とは、いったい何なのだろうか?
私は攻撃者に対する怒りと共に、親父の苦労に対する悲哀を覚えるのだ。



激烈な社会環境の中、様々な選択をしながら生き抜いてきた親父の背中を思う。
今日のように社会が堕ち、日々排撃される立場にまたもや置かれたことを、親父は言葉にせずとも心底憂いているのではないかと思う。
人間の宿命で親父も長くはないだろう。
ジェノサイド前夜のような今日の空気感が、薄雲が晴れるように無くなればいいのに、と思う。

『ヘイトスピーチ対策法』成立に対する拙考

今月24日に『ヘイトスピーチ対策法』が成立した。私や多くの心ある反差別に取り組んだ方々が望んだもの、そして最初に旧民主党が中心になって提示したものとは程遠い、いわゆるザル法だが、それでもなお一縷の希望を見出す。



成立した法律では、ヘイトスピーチの定義を、

専ら本邦の域外にある国若しくは地域の出身である者又はその子孫であって適法に居住するもの(以下この条において「本邦外出身者」という。)に対する差別的意識を助長し又は誘発する目的で公然とその生命、身体、自由、名誉又は財産に危害を加える旨を告知するなど、本邦の域外にある国又は地域の出身であることを理由として、本邦外出身者を地域社会から排除することを煽動する不当な差別的言動をいう。

としている。
http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_gian.nsf/html/gian/honbun/houan/g19002006.htm

これに対し、私がヘイトスピーチ研究の第一人者だと認識している、師岡康子弁護士による著書『ヘイト・スピーチとは何か』による定義は以下のとおりである(48頁)。

ヘイトスピーチとは、広義では、人種、民族、国籍、性などの属性を有するマイノリティの集団もしくは個人に対し、その属性を理由とする差別的表現であり、その中核にある本質的な部分は、マイノリティに対する『差別、敵意又は暴力の煽動』(自由権規約二〇条)、『差別のあらゆる煽動』(人種差別撤廃条約四条本文)であり、表現による暴力、攻撃、迫害である。

ヘイト・スピーチとは何か (岩波新書)

ヘイト・スピーチとは何か (岩波新書)

1969年に発効した人種差別撤廃条約を日本が批准したのは1995年であるが、ヘイトスピーチ禁止条項については留保をしたままになっていた。繰り返しの改善勧告に対しても日本政府はゼロ回答だったのである。今般の『ヘイトスピーチ対策法』を、この宿題に対する20数年ぶりの回答と捉えるのであれば、当然に人種差別撤廃条約を援用してヘイトスピーチを定義すべきであるが、今般の法律では、日本独自の定義を拵え、ヘイトスピーチを限定的に捉え、限定的にそれを解消しようと試みるのである。

これまで反差別反ヘイト運動を眺めていれば自ずと分かることだが、ヘイトに苦しめられてきたのは、何も「本邦外出身者」ばかりではない(確かに最も激烈かつ『共感』を掻きたてたのが朝鮮人に対するヘイトスピーチであることは認めるが)。
アイヌ琉球障がい者、女性、LGBT、被差別部落出身者、宗教者、ヒバクシャ、などなど、挙げればキリが無い。
マジョリティが、被差別マイノリティという身分に落とし込んだ者に対し、その差異を取り出してあげつらうという図式で発生するのがヘイトスピーチである。マジョリティという属性をひけらかしてマイノリティを貶めたい、rawanさんの言を借りれば『魂が悪い』人間の匙加減で、攻撃対象は如何様にも変幻するものである。
それなのに、法律によって抑止しようとしているのが「適法に居住する本邦外出身者」に対する差別のみ、ということでは、対策の体を成し得ない。反差別反ヘイト側に集う者の連帯の輪を分断しているようにさえ見える。
最も、差別主義者にとっては我々在日朝鮮人は『密入国者の子孫』ということになっている。それに対して、行政の側からこのような言説に対する明確な反論は、これまで試されてこなかった。差別主義者が我々を攻撃する際に、「密入国者の子孫は出て行けという政治的主張」だと言い張れば、それはこの法律の枠外、ということに(差別主義者の頭の中では)なってしまう。差別主義者への牽制という実効力も、まことに疑わしい。

私は、差別はどこから生まれるのかという根本に対する着眼、差別に対する社会的な学習の蓄積というものの欠如があるのに、それこそそれが欠如しているという認識が『欠如』のままに、法律という建物を急ごしらえで拵えたから、このような『上っ面をなぞったような法律』になったと思っている。
あらゆる差別は、人間の知性を否定した、歴史に対する「無知」と、普遍的人権思想に対する「無知」から来ている、と私は考えている。これまでに発生した差別事件がことこどく、そのことを裏付けている。
この膨大な「無知」に対応する学習を取り付けずして、土台を固めずにして、その上にいくら華美な建物を立てても、それは住むに値しない。
今般法律のターゲットたるヘイトスピーカーは、「無知」の時間的蓄積で湧いてきた『極端な者』である。これを立法府が認識せず、いま湧いてきたヘイトスピーカーのみに対処療法的に対策を打ったとしても、(心配しなくても)次から次へと同種の者は湧いてくる。少なくとも政治の世界では同種の者が湧き続けている。この膨大なそして徹底的な「無知」に目を向けない限り、根本治癒には程遠いのだ。

しかし、少ないが希望を見出だすとすれば、法律では教育の充実及び啓発活動についての、国及び地方自治体の責務を明確化していることである。上記の「無知」を埋めることで、湧いてくる者が少なくなっていくことを、長い目では期待したい。

今回の法律の成果は多くはなかったが、この法律を根拠にした地方自治体の条例制定、及び本法律の改定等、数次の肉付けを経て、実効力を備えた差別主義者へのコントロールとなることを期待する。この法律は小さな一歩だが、諦めずに大きな果実を得られるように、私も微力を尽くしたいと思う。



(付記)

本法律の不十分さを指摘する記事を紹介する。

反ヘイト法成立「第一歩だが、改正を重ねてより良いものに」伊藤和子・HRN事務局長
毎日新聞 2016年5月24日
http://mainichi.jp/articles/20160524/mog/00m/040/007000c

(引用開始)

24日成立したヘイトスピーチ対策法は、罰則のない理念法だ。ヘイトスピーチ解消に向けては、国に相談体制の整備や啓発活動などを義務づけ、地方自治体にも努力義務を課す。人権団体「ヒューマンライツ・ナウ」(HRN)事務局長の伊藤和子弁護士に同法成立の意義を聞いた。
伊藤さんは「ヘイトスピーチに関する法律は日本になかったので、その意味で第一歩」と評価しながら、保護される対象者を限定した要件を設けたことを問題点に挙げた。同法はヘイトスピーチ解消の対象を「本邦(日本)外出身者」で「適法に居住する者」と規定しているため、「対象外の人たちへのヘイトスピーチが容認される恐れがある」と指摘する。
容認される恐れがある人たちとは、具体的には難民認定を申請する人、配偶者ビザを持ちながら家庭内暴力などで避難する人、両親がオーバーステイの状態で生まれた子、外国人旅行者−−などだ。
同法の付帯決議には、「本邦外出身者」で「適法に居住する者」以外に対するヘイトスピーチは許されると理解するのは誤り、と盛り込まれたが、伊藤さんは「付帯決議に与野党が合意できたのなら、(保護の対象の)要件を外すべきだ」と主張する。
ただ、男女雇用機会均等法やDV防止法を例に、「不十分な内容の法律も改正を重ねてより良いものにすることは可能」と見る。「差別を無くしたいと思っている人たちが分断されてはいけない。切り捨てられた人たちを法律の枠内に含めていく必要がある」と強調した。

(引用ここまで)




(追記)

ヘイトスピーチの解消に関する決議が、参議院法務委員会にて全会一致で採択された。法律の主旨を補完し、今後進むべき方向性や、対象に含めるべき被差別者にまで言及している。私は本稿で法律の『不足感』について書いたが、このような共通認識が国会で形成されたことについては、素直に賛辞を送りたいと思う。

『朝鮮学校への地方公共団体の補助金に対する政府の不当な介入に抗議する研究者有志の声明』に全的に賛同します。

先日、朝鮮学校に対して一部地方自治体が細々と続けている補助金について、日本政府が露骨な政治攻撃を仕掛けた愚について、何度か拙稿を示しましたが、流石にこのような人権侵害が放置されて良い訳は無く、日本の学者の有志からの批判声明が発出されました。

私はこの声明文が、
  *朝鮮学校の行う民族教育が、何故、どのように認められなければならないか、
  *日本政府の行う民族教育への政治攻撃が、普遍的な人権基準からどれだけ乖離し、国際的にどのように批判されているか、
  *日本政府の、民族教育に対する一貫する冷淡な態度が、京都事件で朝鮮学校に行われたヘイトスピーチレイシズムに比肩する行為であるとの批判
が端的にまとめられており論点整理に有効であることと、主旨にも全的に賛同するので、全文掲載すると同時に、関連する若干の論考を示したいと思います。



朝鮮学校への地方公共団体補助金に対する政府の不当な介入に抗議する研究者有志の声明
http://ksubsidy.hateblo.jp/entries/2016/05/24
2016年05月24日付け

(引用開始)

2016年 月 日
内閣総理大臣 安倍晋三
文部科学大臣 馳 浩 様

朝鮮学校への地方公共団体補助金に対する政府の不当な介入に抗議する研究者有志の声明

2016年3月29日、文部科学大臣は「朝鮮学校に係る補助金に関する留意点について」という通知を28都道府県知事宛に送付しました。わたしたち研究者は、これを政府による民族教育に対する不当な介入であると考え、ここに抗議します。
同通知は、地方公共団体朝鮮学校に係る補助金の支給停止を直接求める文面にはなっていないものの、既に各地で動揺が広がっています。それは、報道などで公表されている経緯からして明らかであるように、この通知が、自由民主党および日本政府による朝鮮民主主義人民共和国に対する一連の「制裁」に関する議論と措置の一環として出されたためです。補助金の支給自体はこれまでどおり各地方公共団体自治的な判断に委ねられているとはいえ、「北朝鮮への圧力」といえば何をやっても許されるかのような風潮が作り出されてきたなかで、政府がこのような通知を出す目的と効果は明白です。
在日朝鮮人による自主的な民族教育に対して、日本政府はその権利を保障するどころか、歴史的に一貫して冷淡で、ときに直接的な弾圧を加えてきました。日本政府は、戦前には「民族的色彩」が濃厚と判断した教育施設を弾圧し、戦後の脱植民地化の趨勢のなかでようやく各地にできあがった民族教育施設に対しても1948〜50年にかけて多くを強制的に閉鎖し、さらに1965年の文部事務次官通達などを契機に閉鎖を含む統制を加えようとしました。
各地の地方公共団体は、こうした国の政策にもかかわらず、外国にルーツをもちながら地域住民として生きる子らの民族教育に対する地域社会の理解を基礎とし、地方自治の精神にのっとって補助金制度を設けてきました。ところが、近年ふたたび日朝関係の悪化を背景に、日本政府は朝鮮学校を高等学校等就学支援金制度(いわゆる高校無償化制度)から排除し、このことが一部の地方公共団体による補助金の打ち切りや減額を誘発しました。そしてついに今回、地方公共団体補助金交付に直接介入してきたのです。
このような昨今の日本政府による朝鮮学校への政策は、各種の国際人権法や日本国憲法で定められた平等権、学習権を政治的事由にもとづいて不当に侵害するにとどまらず、それ自体が人種差別撤廃条約で禁止しているレイシズム(人種・民族差別)の一形態に他なりません。実際、2014年に国連の人種差別撤廃委員会が日本政府に対して、朝鮮学校生徒への高等学校等就学支援金の支給と、地方公共団体補助金の「再開あるいは維持」を要請しています。日本政府は、この要請を「留意点」として地方公共団体に通知すべきであるにもかかわらず、むしろ反対に人種差別撤廃委員会が懸念を示している政策を維持、拡大しようとしています。
今回の通知は、排外主義を助長することになるだけでなく、それ自体が結果的に「ヘイトスピーチ」と同様の機能をもってしまうことに、わたしたちは懸念を表明せざるを得ません。2009年には京都の朝鮮学校に対して排外主義団体が激しい示威活動をおこないましたが、この事件に対して裁判所は、当該活動によって朝鮮学校の「社会的評価」が低下させられ「民族教育を行う社会環境」が損なわれたことを重く見て高額賠償を求めました。この観点からすれば、今回の通知は、長年にわたって地域社会で培われてきた朝鮮学校の社会的評価と社会環境に負の影響を及ぼそうとする目的と効果において、排外主義団体が学校前でおこなった言動に比肩するものです。
以上の点から、わたしたちは今回の文科大臣通知に強く抗議するとともに、その撤回を要求します。また、文教政策において朝鮮学校に対するレイシズム(人種・民族差別)をただちに中断し、国際基準に照らして民族教育を保障するよう求めます。

(引用ここまで・上記引用文の日付が入っていないのは、恐らく賛同者が出揃った時点で日付を入れて発出することを意図しているものと思われます)



これに関連して、
大阪府及び大阪市については、2011年より朝鮮学校に支給されていた補助金が不支給になっています。私は息子を朝鮮学校に送っている親ですが、私が大阪府・市に納めた住民税は、まったく我が息子の学びに活用されることが無い、という状態が続いています。つまり、私の息子の学びは、公的に保護する価値がまったく無い、と私及び私の息子が住んでいる自治体に宣言されてしまっている状態です。
大阪府・市が大阪朝鮮学園に「これを守るのであればカネをやってもいいよ」と突きつけたのが『4要件(のちに6要件)』ですが、こちらの資料が詳しいので、そちらに譲りますので参照してください(リンク先レジュメの6〜7ページ参照)。如何に民族教育の自主性をないがしろにし、横暴勝手を極めたものかが分かると思います。こんなものを受け入れたら民族教育が民族教育ではなくなります。
無償化連絡会大阪レジュメ.pdf 直

さて、大阪府・市の補助金不支給に対する訴訟が、大阪朝鮮学園等によって提起され現在継続中です。その訴訟を傍聴した保護者のレポートを手に入れることができましたので、一部抜粋で紹介します。



(引用開始)

(前略)運よく傍聴権を手にし、原告側4名の証人尋問を傍聴してきました。今までの書面のやりとりとは違い、今回の直接的な裁判に期待が膨らみました。…が、いざ始まってみると、段々と胸が苦しくなり最初は体調不良か?と思ったのですが、それは怒りでした。殆ど反対尋問がない中、時々出たかと思うと、裁判官や被告側弁護団の質問が、やれ「肖像画や迎春公演」だの「朝鮮学校の教員は資格があるのか」だの、終いには「補助金が不支給になり具体的な負担はどうだ」との質問に、そんな分かりきった事を聞く前にもっと聞くことがあるだろう!と怒りでワナワナ震え、最後はただただやるせない気持ちになりました。なぜ私たちがこの裁判を起こしたのか、その一番重要な部分がないがしろにされ、お粗末なマスコミ報道のような“北朝鮮バッシング裁判”に成り下がったと感じました。結局、彼らは正攻法では勝てないのです。裁判官や弁護士はまるで産経のまわし者かと思えたし、あまりにも韓国・朝鮮にルーツを持つ在日の歴史的経緯を知らなすぎると感じました。司法試験に受かるために勉強に明け暮れ、豊富な社会経験もない頭でっかちの裁判官に我々の闘いの歴史、苦しみの歴史をくみ取る器があるとは到底思えない。差別の矛先が他でもない何の罪もない子ども達に向けられ、朝鮮学校に通う子ども達への重大な人権侵害が行われているというのに…!外交問題を理由に差別が許されるなら、日本は取り返しのつかない人権後進国として国際社会から間違いなく非難をあびるでしょう!
(略)多くの方が証言台に立ちました。(略)皆さん其々自分の立場から一生懸命証言されており、特にまだ若くしてこの重責を担う場に立ちながらも、堂々と真っ直ぐに受け答えをした○○さんの姿は誇らしく、素直に胸打たれ、また差別に屈せず逞しく生きてきた同胞達の後ろ姿を見ながら、ウリハッキョ(私たちの学校=朝鮮学校のこと)で育った子ども達らしい強さと逞しさを感じました。最後に○○さんが裁判長に向けた「当たり前のことが当たり前でない世の中…」「私から目を逸らさず、私を真っ直ぐに見てください!」との力強く真っ直ぐな言葉…。正常な神経の持ち主なら胸に突き刺さったことでしょう。そうであると信じたい。(後略)

(引用ここまで・伏せ字、略、注釈は引用者)



私は、在日問題は、日本の『戦後処理』の問題だと思っています。
在日朝鮮人の圧倒的多数者の来歴を辿れば、日本の植民地支配に行きつきます。過去の日本国家の政策によって内包した朝鮮人及びその子孫が、その民族的自覚から日本国内で朝鮮人として生き続けようとすることに、日本国家は、旧宗主国として、責任を負い続けなければなりません。日本国家の歴史を「戦前」と「戦後」で断絶することはできないのです。日本国家の歴史に連続性があるように、在日朝鮮人の世代継承にも連続性があり、どのように生きるか・継ぐかを決めるのは在日朝鮮人のコミュニティ自身です。
朝鮮を「日本」にしたのも日本国家だし、朝鮮人を「日本人」にしたのも日本国家だし、戦後日本に残る「日本人」を「朝鮮人」にしたのも日本国家です。そのように翻弄され続けた在日朝鮮人が、自分らの自覚から「朝鮮人」として生きようとすることにまで、日本国家は干渉し妨害しようとしている。自らの歴史を直視せず、機会あれば修正・美化しようとしている日本国家の姿が、そのまま在日問題に凝縮されて反映していると言えるでしょう。
日本国家が、自らの歴史を直視し、それを政策に反映させ、それを教訓として後世に残すように公教育に反映させるべきです。そうすれば我々のような「植民地政策の残滓」が何故存在し、何故いまも維持されているのかについて、我々のみがその説明責任を負っている、という現状は改善され、自ずと在日問題の「問題」は解消されることでしょう。
そのような情勢に好転するには、現情勢及び現政権の愚かな姿を見るにつけ、道は果てしなく長いと感じます。それでも諦めず、まっとうな『戦後処理』を求めていきたいと思っております。

熊本の地震直後からtwitterを埋め尽くした「朝鮮人に気をつけろ」への吐き気(20160415追記)

熊本を中心とした震度7地震が起こった直後から、twitterを埋め尽くしたのは、「朝鮮人が井戸に毒を投げ入れた」「九州は朝鮮人が多いから気をつけろ」等の、まさにクソよりも汚い罵詈雑言ツイートの数々だった。

実際に被害に遭われた方々に想いを寄せることも無く、ここぞとばかりに、湧き・喚き・差別に勤しみ・煽り・嘲り・楽しむ様は、吐き気無しには見ることができない。

とりあえず、約10分で収集できたクソツイートを並べておく。
(この記事の公開後に消す輩も出てくるだろうが)





まさに、混乱に乗じて、ここぞとばかりにヘイトの吐露に興じているわけだ。
この時代に井戸を使っている世帯がそう多くはないことは明らかなわけで、このようなツイートは関東大震災のときの代表的なデマに倣っていることは言うまでもない。その場でその再生産を行いたいという『欲望』が透けて見える。



関東大震災の時に、まさに上記のようなデマが飛び交い、それを元に自警団が結成され、官憲と共に、数千人の朝鮮人が虐殺された。

九月、東京の路上で 1923年関東大震災ジェノサイドの残響

九月、東京の路上で 1923年関東大震災ジェノサイドの残響

この時代にそれが起こらない保証はない。
情報のライフラインが寸断されたあとで、このような流言飛語が飛び交ったら、鬱憤や不安の裏返しから、朝鮮人が排撃に遭う可能性は十分ある。
ただでさえ、朝鮮人が日本における『賤民』の代表格に成り下がって久しい。社会不安の中に朝鮮人に対するデマが広がったら、それを引き金に朝鮮人が有形無形の攻撃に晒される危険は、現実問題としてある。
本人らは「悪ふざけ」「冗談」のつもりだろうが、100年弱の近い過去に、朝鮮人であることだけを理由に殺された歴史を持つ、在日朝鮮人コミュニティの子孫たる私や同じコミュニティに属する者にとっては、単なる冗談ではない。まさに、混乱に乗じてジェノサイドの欲望がこのように噴出する、ということを、現実的な恐怖と共に見るのである。

どこまで堕ちれば気が済むのだろうか?



(20160415追記)

日本政府、朝鮮学校への補助金交付に『留意』を通知 ― 朝鮮学校生徒へのレイシズムそのもの

恐れていたものは現実になった。文科省朝鮮学校に各自治体が拠出している補助金に対し、『留意』を示すという、前代未聞の通知を発出した。



文科大臣通知
27文科際第171号
平成28年3月29日

北海道外1都2府24県知事 殿
文部科学大臣 馳 浩
朝鮮学校に係る補助金交付に関する留意点について(通知)

朝鮮学校に係る補助金交付については、国においては実施しておりませんが、各地方公共団体においては、法令に基づき、各地方公共団体の判断と責任において、実施されているところです。
朝鮮学校に関しては、我が国政府としては、北朝鮮と密接な関係を有する団体である朝鮮総聯が、その教育を重要視し、教育内容、人事及び財政に影響を及ぼしているものと認識しております。
ついては、各地方公共団体におかれては、朝鮮学校の運営に係る上記のような特性も考慮の上、朝鮮学校に通う子供に与える影響にも十分に配慮しつつ朝鮮学校に係る補助金の公益性、教育振興上の効果等に関する十分な御検討とともに、補助金の趣旨・目的に沿った適正かつ透明性のある執行の確保及び補助金の趣旨・目的に関する住民への情報提供の適切な実施をお願いします。
また、本通知に関しては、域内の市区町村関係部局に対しても、御周知されるよう併せてお願いします。
なお、本通知の内容については、総務省とも協議済みであることを申し添えます。

(強調は引用者)



文面をどう読んでも、これは『朝鮮学校朝鮮総連北朝鮮』だから、補助金は出すな、と文科大臣が各地方自治体知事に圧力を加えるものである。

>我が国政府としては、北朝鮮と密接な関係を有する団体である朝鮮総聯が、その教育を重要視し、教育内容、人事及び財政に影響を及ぼしているものと認識しております。
>ついては、各地方公共団体におかれては、朝鮮学校の運営に係る上記のような特性も考慮の上、(中略)補助金の趣旨・目的に沿った適正かつ透明性のある執行の確保及び補助金の趣旨・目的に関する住民への情報提供の適切な実施をお願いします。
>本通知の内容については、総務省とも協議済みであることを申し添えます。

露骨に、朝鮮総連はキタチョーセンで、日本政府は気に入らないから、支出している補助金を見直せと言っている。地方自治を束ねる総務省にも根回しを怠っておらず、支出を続ける自治体に圧力をかけるということを表明している。補助金の趣旨・目的に関する住民への情報提供の適切な実施」、つまり、朝鮮学校に支出をするときはきっちり情報公開して『市民の批判』に耐えて見せろ、とも言っている。「朝鮮学校に通う子供に与える影響にも十分に配慮しつつ」とはどの口で言うのか失笑しか出ないが、朝鮮学校に通う生徒の学びを、物理的に封殺せよ、と言っているも同然である。

それなのに、記者会見で再三再四そのことを問い詰められた文科大臣の馳は、朝鮮学校補助金を出す権限は自治体側にありますので、私としては留意点を申し上げただけであって、減額しろとか、なくしてしまえとか、そういうことを言うものではありません」とか、「私から減額とか、自粛とか、停止とか、そのようなことを指示する内容ではありません。朝鮮学校の置かれている特性を踏まえて、また、補助金交付のいわゆる執行に当たって、適切な対応をしていただきたいということです」と、幼稚に逃げ回った。
補助金を出すな、と自分の名前で明確に圧力をかけておきながら、その判断の責任は地方自治体の長が負え、と言うのだ。
それでいて各自治体がどのように取り扱ったかは、実態を自分も把握する、と言ってのけやがったのだ。
http://www.mext.go.jp/b_menu/daijin/detail/1369062.htm



(自分が気に入らない)キタチョーセンに親和性を持つ朝鮮学校の児童の学びを、物理的な圧力によって遮断する、という政治攻撃を露骨に仕掛けておきながら、自分は知らぬ存ぜぬとは何事か?
いっそのこと、自分は朝鮮学校の生徒を政敵として取扱い、その生徒らの学びを妨害することによって、自分の政治的目標を達成する、と高らかに宣言すればいいではないか?
自らが差別主義者であり、自らの差別心を満たすために、朝鮮学校の子供らの心に暗い影を落としてやるのだ、と何故言えないのだ?
差別主義を討っておきながら、自らの行為が差別だと認めることもできないのか?
どこまでも、姑息・醜悪・卑劣・卑怯だ。
思いつくコトバのいずれを天秤にかけても、釣りあうものが見つからないほど、醜く、野蛮だ。



安倍は朝鮮に圧力をかけるという政治姿勢で国民の歓心を買い、課長が社長になるように三段跳びで総理大臣にのし上がった。その成功体験の酔いから醒められず、何度も何度も朝鮮への攻撃を止めようとしない。
しかし朝鮮本国に相手にされないものだから、『内なる北朝鮮』たる朝鮮総連及び朝鮮学校に好き放題の圧力をかけ続ける。
安倍が政権を奪取した直後、真っ先に朝鮮高校を高校無償化法の対象外にしたことがその象徴だが、一部自治体が細々と続けている補助金にまでとことん難癖をつけることで、国民のささやかな歓心を得ている。そのことで度重なる失策の失地回復を図っている。
実際、安倍が肌身離さず自慢げに身につけている、青いバッジの恥知らず集団が、今回の一件が自らの要請に基づくものだと書いている。
http://www.sukuukai.jp/mailnews/item_5318.html
朝鮮学校の生徒を弱い者イジメしたら、自分たちの家族が帰ってくると踏んでいるのなら、余程の世間知らずだ。
目的と手段の不一致が過ぎる、と思わないのか?
この青いバッジを嬉々として身につけている者には軽蔑心しか湧かないのは私だけではなかろう。



考えてみてほしい。
朝鮮学校生徒の補助金を全廃したとして、日朝間の外交課題は改善するのだろうか?
朝鮮学校生徒の学ぶ環境を破壊して、ミサイルが飛ばなくなったり、拉致された人々が帰ってきたり、日朝間あるいは南北朝鮮間の緊張関係が緩和されたり、という日本の政治課題に資する動向が導けるのか?
もし、そのように主張するなら、どういう回路でそれが可能なのか、明確に説明すべきなのに、何故しないのか?
先に私から結論を示すが、そんなことはあり得ない。



では、効果が無い政策を何故に打つのか?
それは、朝鮮人であれば、理屈に合わなかろうが、支離滅裂であろうが、国際人権法やあるべき民主主義社会の姿に反してようが、貶めても辱しめても不遇を負わせても構わない、それで国民の些細な歓心を買えるのであればそれで構わない、と思っているからではないか?
この政策の目的は、「キタチョーセンの勢力に属する人間を差別したい」「キタチョーセンが気に入らないから八つ当たりをしたい」「キタチョーセンを蹴落とすことで政治的なアリバイを拵えたい」という鬱屈した為政者の暗い差別心所以としか説明がつかないではないか?



これは、『レイシズム』そのものである。国家ぐるみで朝鮮学校の生徒をいじめる、『上からのレイシズム』そのものである。
国家が上から、確信を持ってレイシズムを仕掛けているのである。
国家がお墨付きを与え、政策として具現化した、朝鮮人に対するレイシズムである。国家の保険がかかった、国家主導のレイシズムである。
それにチカラを得た巷のレイシストが、『下からのレイシズム』に興じる。巷のレイシストの、娯楽と化したヘイトデモが、今日も明日も続く。
上が率先してやっていることを、下にやるなと言えるはずもない。アリバイ程度に適当に『摘まむ』ことはあっても、警察はレイシズムを護り、カウンターを排除する。今日も明日も一貫した、日本政府の態度である。日本の為政者にとって、朝鮮人は『利用し続ける』存在なのだ。差別が無くなると困るのだ。
そりゃ、差別は違法だと法律で定められるはずもない。為政者自らがレイシズムとズブズブなのだから。



私の息子は、明日から朝鮮初級学校の2年生だ。
程なく自分が朝鮮人であるという自覚が芽生え、同時に取り囲む地域が、社会が、自分らを『疎ましい存在』だと捉えていることに気づくだろう。
テレビで、ネットで、新聞で、朝鮮学校が排除されるニュースが、発し手から何の違和感や疑問点も呈されないまま次々と流れてくるのだ。
息子もバカではない。息子に「アッパ(父さん、の意)、なんで僕は朝鮮人なの?朝鮮学校は悪い学校なの?」と質問されたら、何と答えようか?
巧く応えられる自信が、全然無い。

ここ最近、陰鬱な気持ちを禁じ得ない。



(付記)
当該『通知』に関して、強い憤慨を示す記事を2点紹介する。



「きわめて政治的で差別的」/不当な文科省通知の撤回を ― 朝鮮学園理事長、朝鮮高級学校校長、生徒らが要求
朝鮮新報 2016.03.31 14:20
http://chosonsinbo.com/jp/2016/03/sk331-7/

(引用開始)

地方自治体から朝鮮学校に支給されている補助金について文科省が「留意」を求める通知を出したことに関連して、3月30日、全国朝鮮学園理事長、全国朝鮮高級学校校長会、朝鮮学校全国オモニ会連絡会代表たちと東京朝高に通う2人の生徒が文科省で、抗議と記者会見を行った。
これは3月29日に文科省が、朝鮮学校が設置されている北海道と1都2府24県の知事あてに文部科学大臣の名義で「朝鮮学校に係る補助金交付に関する留意点について」の通知を出したことに対して行われた。この通知書は、朝鮮学校朝鮮民主主義人民共和国、総聯の関係性を指摘し、地方自治体に対し、「補助金の公益性と教育振興上の効果」に関する検討と、補助金の趣旨・目的に沿った「透明性」のある執行を求めたもの。
これに対し、朝鮮学校関係者側は記者会見で談話を発表。談話では、外交・安保問題と何ら関係のない朝鮮学校に対して、朝鮮や総聯との関係を問題視し、各地方自治体の判断に委ねられている補助金交付について「留意」を促す異例の通知を出したことは、きわめて政治的で差別的な措置だと非難した上で、これを撤回し、朝鮮高級学校生徒たちへの「就学支援金」制度適用除外などの朝鮮学校児童生徒たちへの差別的措置を直ちに廃止することを求めた。
昨年6月、自民党拉致問題対策本部は「対北朝鮮措置に関する要請」13項目の中で政府に対し、「朝鮮学校補助金を支出している地方公共団体に対し、公益性の有無を厳しく指導し、全面停止を強く指導・助言すること」を求めた。その後も、自民党を中心に見直しを求める声が上がっている。その中で、文科省は今回「異例」とも言える、補助金に対する初の通知を地方自治体に通達。記者会見では、政府の「政治的意図」に疑問を呈す発言が相次いだ。
東京朝高に通う男子生徒は「これまで例のない通知を政府が出したこと自体が、地方自治体に対する圧力であり、私たちにたいする弾圧ではないのか」とし、「政府の姿勢、メディアの報道方法一つで、僕たちをみる日本人の視線は変わる。僕たちを『制裁』の対象で見るのではなく、朝鮮学校で学ぶ一人ひとりの生徒として関心を持って、見てほしい」と訴えた。
「私たちの当たり前の高校生活をすべて否定された気持ちだ」と話すのは同校に通う女子生徒。春休みにもかかわらず、部活動を抜け、祖母との約束も断り、この記者会見の場に来ざるを得なかった。「朝鮮学校への進学を経済的理由によって、あきらめる友人たちがいる。そして人数の少ない中で運営する地方の学校にとって、補助金停止が及ぼす影響はどんなに大きいか。今回の通知は朝鮮学校を閉鎖しろと言っているのと同じ。私は、政府に、人間としての心を問いたい。これ以上、この社会の差別を政府が助長させないでほしい」と話した。
記者会見後、関係者らは文科省に強く抗議した。
「国際情勢が緊張したからといって、教育をつかさどる機関が、民族教育の環境を損ねるような判断を下していいのか」「この時期にこの通知が出たことを地方自治体は、マイナスに捉えるだろう。通知文には『子どもに与える影響にも十分に配慮しつつ』とあるが、それはカモフラージュにすぎない」「このような民族教育への差別が国際社会からの非難をあび、『就学支援金』制度からの朝鮮学校除外は国連から是正を求める勧告も出ている。事態の『異常性』をしっかりと認識してほしい」
このような訴えに対し、文科省職員は、一部のメディアによって、この通知が「事実上の自粛要請」であるかのような報道がされており、地方自治体からも問い合わせが続いていると述べた上で、「これは決して『自粛要請』ではない。そのような問い合わせに対しても、文科省としては、その立場をきちんと説明している」と弁解した。

(引用ここまで)



朝鮮学校に係わる補助金交付に関する留意点について(通知)」発出に対する事務局長見解
2016年3月31日 フォーラム平和・人権・環境(平和フォーラム)
http://www.peace-forum.com/seimei/20160331.html

(引用開始)

3月29日、文部科学省馳浩大臣名で「朝鮮学校に係る補助金交付に関する留意点について(通知)」を発出した。通知は、「朝鮮学校に係る補助金交付は、国は実施していないが、各地方公共団体においては法令に基づきその判断と責任で実施されている」と冒頭で説明している。馳大臣は、記者会見においても「権限は自治体側にあり、減額しろとかなくしてしまえとか言うものではない」と説明している。しかし、通知はさらに、「朝鮮学校は、北朝鮮と密接に関係する朝鮮総連が影響を及ぼしている」と指摘し、「補助金の公益性、教育振興上の効果を十分に検討し、適正かつ透明性のある執行を確保せよ」と指摘している。これまでも私学助成などでは不正な使途を問われた事例がいくつかあるが、地方自治体に対してこのような通知が発出されたことを知らない。行政法の専門家の中には、「事実上、補助金はやめなさいと言っているに等しい」との指摘もある。朝鮮学校において補助金の使途に不正が行われた事実はない。この時期に、朝鮮学校にだけ突然このような文科省の権限を越えた通知がなぜ発出されたのか、馳大臣は説明していない。
自民党は、拉致問題や核実験を理由に、文科省補助金停止を要請してきた。国連からも指摘されているが、朝鮮学校に通う生徒の人権と外交上の問題とは一緒にすべきではない。北朝鮮への制裁措置が強化されているが、その一環としての行為だとしたら、人権への国際基準から言っても許されるべきではない。
朝鮮学校の生徒は、2013年4月以降、現政権によって高校授業料無償化措置から完全に外されている。以降金曜日には、子どもたちや保護者、学校関係者、支援団体などが文科省前で抗議行動を行ってきた。各県で、措置適用を求める訴訟も始まっている。国連の人権委員会や人種差別撤廃委員会からも、人権侵害との指摘が行われている。文科省がそのことを知らないはずはない。神奈川県は、朝鮮学校の授業内容は適正であるとして、保護者への学費の補助を実施している。今回の通知に対しても「国際情勢に振り回されず、学習環境を守るのは大事だ」との黒岩祐治知事の談話が伝えられている。これこそが、人権感覚と言うものだ。朝鮮学校に通う子どもたちは、政治に差別され翻弄されて傷ついてきた。そして朝鮮半島を故国とする者たちの民族教育は危機に瀕している。日本が、民主主義国家であり人権国家であるとするならば、民族教育の権利は守られるべきである。日本の戦前と戦後を通して、日本社会で生きざる得なかった歴史を持つ民族に対して、日本社会はどのようにその責任を果たしてきたというのか。
平和フォーラムは、各自治体がこの通知に左右されることなく、その判断と責任において適切に補助金を交付していくことを、日本社会の一員として強く望む。

(引用ここまで)

朝鮮学校補助金排除反対の朝日の社説 ― 私も思う、子どもらに責任はない。

先日私は、地方自治体が朝鮮学校に支給している補助金に対し、日本政府が「完全凍結」するよう指図する愚について書いたが、それについて朝日新聞が社説で言及しているので、記録のために、若干の見解と共に残そうと思う。



(社説)朝鮮学校補助 子どもらに責任はない
朝日新聞Web版 2016年3月21日05時00分
http://digital.asahi.com/articles/DA3S12268692.html

(引用開始)

全国各地にある朝鮮学校は、在日コリアンの子どもたちが通っている。日本の学習指導要領に準じた各教科のほか、民族の言葉や文化も学ぶ。
どの学校も財政的に運営は厳しく、所在地の自治体の多くが他の私学や国際系の学校と同じように、補助金を出している。これに対し、自民党などから補助を打ち切るよう文部科学省に求める声が出ている。
拉致問題に加え、核実験などを繰り返す北朝鮮への制裁の一環だという。いくつかの自治体はすでに補助を止めている。
だが、朝鮮学校に通う子どもたちには、核開発や拉致問題の責任はない。北朝鮮の国に問題があるからといって、日本で暮らす子どもの学びの場に制裁を科すのは、お門違いの弱い者いじめというほかない。
そもそも地方自治体が権限を持つこの問題について、文科省が介入するのは適切ではない。
日本では、民主党政権だった6年前から高校の無償化が始まったが、これも朝鮮学校には適用されていない。民主党政権は適用を保留し続け、その後の安倍政権は発足後すぐに無償化対象からはずしてしまった。
政治的理由による除外は違法だとして、朝鮮学校の生徒らが国を相手どり、東京や大阪など各地で裁判に訴えている。
国際的にも、人種差別撤廃委員会など国連の場では、高校無償化の適用除外は「差別だ」と認めたり、日本政府に対し、無償化の適用や、地方自治体に補助の維持を勧めるよう求めたりする見解が相次いでいる。
国内でも、埼玉弁護士会が昨年、補助を止めている埼玉県の上田清司知事に「極めて重大な人権侵害」と警告した。
朝鮮学校では、在日本朝鮮人総連合会朝鮮総連)の関係者が運営にかかわっているケースは多い。だが、政治と教育は別だ。神奈川県の黒岩祐治知事は「子どもたちに罪はない」として、学校ではなく、生徒たち個人への補助を続けている。
歴史観の違いはともかく、教育内容に問題があれば話し合いで解決すべきだ。実際、朝鮮学校の教育も変化してきている。
在日コリアンの社会は多様化しており、多くの朝鮮学校で、韓国籍の子どもが過半数となりつつある。北朝鮮の体制を崇拝している人々の子どもだけが通うと考えるのは誤りだ。
何より朝鮮学校の子どもたちも私たちの社会の一員だ。日本と隣国の懸け橋になりうる子どもたちを排除しようという思想であれば、逆に日本に反感を持つ人々を増やすだけである。

(引用ここまで)



数年前私は、朝日の朝鮮学校無償化排除反対の社説に「0点」を付けた(http://d.hatena.ne.jp/dattarakinchan/20130111/1357875261)。
しかし今回の社説は、概ね、であるが、私が拙ブログで散々書き連ねた主張と重なることも多い。ただ、気になる『視点』は指摘しておかなければならない。

朝鮮学校では、在日本朝鮮人総連合会朝鮮総連)の関係者が運営にかかわっているケースは多い。だが、政治と教育は別だ。
朝鮮学校で、韓国籍の子どもが過半数となりつつある。北朝鮮の体制を崇拝している人々の子どもだけが通うと考えるのは誤りだ。

記事はこのように、北朝鮮朝鮮総連朝鮮籍の『程度の希釈』を幾度か試みて、読み手側の北朝鮮朝鮮総連朝鮮籍に対する忌避意識を逸らし、補助金支給の拒否感を軽減することで、自らの主張の説得力を保とうと試みている。
しかし朝鮮学校の無償化問題・補助金問題の本質は、日本政府及びその盲信勢力が、朝鮮学校北朝鮮朝鮮総連朝鮮籍だからといって、無償化法からの排除・地方自治体の支出たる補助金への難癖・その他ありとあらゆる政治的圧力という忌避・排斥を、なりふり構わず行っているそれ、そのものの正当性である。
北朝鮮朝鮮総連朝鮮籍、つまり自らの政治の『敵』のタグがついているからといって、朝鮮政府への不満・鬱憤・八つ当たりを、マイノリティの子供らに向けていること自体を、朝鮮学校の生徒・保護者・支援者・理解者、そして国際的な人権機関が問うているのである。
学校運営に関わっている朝鮮総連の関係者が多かろうが何だろうが、朝鮮籍者のパーセンテージが多かろうが何だろうが、朝鮮政府の体制擁護者が多かろうが何だろうが、朝鮮学校の生徒の学びが政治攻撃に晒されていい根拠にはなり得ない。
つまり、現政権が、自らの政治的『指向』によって、自らの掲げる憲法・自らが批准した国際人権法を歪め、朝鮮学校生徒に差別心をむき出しにして差別政策を撃つ、という『上からのレイシズム』が問われているのである。朝鮮学校の生徒の、北朝鮮朝鮮総連朝鮮籍の『程度』は問われていない。どころか、まったく関係が無い。

朝鮮学校の生徒・保護者・支援者は、カネを恵んでほしいから街頭に立って声を挙げているのではない。『チョーセン』であれば、あるいは、『チョーセン』だから、分断し・選別し・差別しても構わないと思い込んでいる勢力に、この社会の劣化を視るから声を挙げているのである。それは、この社会が、取りも直さず、我々が共に棲む社会であり、我々が死に往く社会だからである。

最近になって、愛知県知事や千葉市議会など、地方自治の現場から「朝鮮学校生徒への差別は否定されるべきだ」という声が出るようになった。
日本国憲法・国際人権法・こどもの普遍的権利、及び日本の近現代史の歩みから見るに、朝鮮学校の生徒『のみ』に教育の公的扶助から軒並み排斥される根拠は見出せないわけであるから、このような結論に至るのは当たり前すぎるほど当たり前で、本来ニュースバリューすらないものである。
しかしながら、昨今の『上からのレイシズム』による排除に慣れ過ぎてしまっている私からしてみれば、このニュース、そして今般の朝日の社説が、一包の清涼剤のように作用したことも、(時代の悲しさを感じてしまうのではあるが)事実である。
産経のような排外思考を恥とも思わない新聞が、まさに「書きたいように」書き、その主張とほぼ変わらない政治勢力が政権中枢に安座している現在、『まともな言論』が委縮し、お目にかかる機会が減って来ている。『まとも』にモノを考え、発信し続けてほしいと祈るばかりだ。



(付記)朝鮮学校生徒の保護者である私がこのように書くと、私が朝鮮政府や朝鮮総連の体制を賛美しているかのように書いてくる輩がいる。
私が朝鮮政府や朝鮮総連に対してどう思っているかは、朝鮮学校への差別とはまったく関係が無く、言及する必要が無いから言及していない。
しかし、頭が悪い人間は「ミサイルが云々」「金正恩が云々」と突っ込んでくる。本当に頭が悪い。ヤになる。他の稿で書いているから勝手に読め。

平沢勝栄の無残な知性 − 無知な者は口を開けば開くほど無知が露わになるものだ

知性ある者は語れば語るほど、その言葉の端々に叡智が溢れ、人々はその言葉に引き込まれ、信頼を置くようになる。
逆に無知な者は口を開けば開くほど、その無知な本性が露わとなり、人々はその言葉に背を向け、信頼を置かなくなる。
先日、まさにその典型のような、無知な者が無恥なまでにその無知を晒す『事件』があったので、記録しておこうと思う。

まずは、その『事件』の紹介記事を引用する。



「保育園落ちた」ブログ、平沢議員「表現には違和感」
朝日新聞デジタル 2016年3月10日14時46分
http://www.asahi.com/articles/ASJ3B46N5J3BUTFK005.html

(引用開始)

「保育園落ちた日本死ね!!!」と題した匿名のブログをめぐり、自民党平沢勝栄衆院議員は10日、ヘイトスピーチ根絶などを検討する「差別問題に関する特命委員会」の会合で、「ブログに『死ね』という言葉が出てきて、表現には違和感を覚えている」などと語った。
ブログについては、2月29日の衆院予算委員会民主党議員が取り上げた際、安倍首相は「実際に起こっているのか確認しようがない」と答弁。平沢氏ら与党議員も「(ブログを書いた)本人を確認したのか」などとヤジを飛ばした。
平沢氏は特命委の委員長。10日の会合では安全保障関連法に反対するデモについても言及し、「ヘイトスピーチに該当しそうな文言も出ていた。デモをそばで聞いていた時に『安倍(首相)死ね』と言っていた人もいる」と述べた。そのうえで、「ヘイトスピーチは、規制、根絶しなければならないが、表現の自由と絡んでくる。そのやり方については慎重に検討しないと禍根を残す」と語った。
平沢氏は特命委に先立ち、民放の情報番組でも「(ブログは)本当に女性が書いた文章なんですかね」と発言した。
ブログをきっかけにインターネットの署名サイトでは保育制度の充実を求める声が広がり、当事者からの切実な声に、政権与党も対応を迫られている。

(引用ここまで)



平沢勝栄の知性の無さが、これでもかと滲み出ている。

「保育園落ちた」のブログが何故にこれだけの反響・共感を産み、デモや陳情活動に波及しているのか?それだけ同じ境遇に陥っている人間が多いということではないか。それが「本人かどうか」「女性かどうか」「真実かどうか」などと、いったい何を言っているのだ?政治家、いや人間としての想像力のレベルが低すぎて失笑しか出ない。

ヘイトスピーチとは、偏見や差別意識に基づき、少数者の属性に対する憎悪や忌避を煽る言動を指す。為政者に対する批判は、その言葉がいかに侮辱的であろうとヘイトスピーチには該当しない。選挙によって選任された為政者は、マジョリティ中のマジョリティであり、社会構造上の被差別者ではなく、その扇動によって、社会構造上の「賤民」に貶められるなど、ありえない。同じ理由で、日本国内で日本人一般に対するヘイトスピーチなども起こりようがない(日本社会のマジョリティが、自らへの戒めを込めて自嘲的な言動を吐く行為などは考え得るだろうが)。自分のボスが、自らの素質及び失政を根拠に「死ね」と言われていることと、在日朝鮮人などのマイノリティ一般が、社会的な偏見の鬱積から、属性を根拠に「死ね」と言われていることが、何故に、どのような理屈で同列視できるのか?まったく意味が分からない。これは平沢が、『ヘイトスピーチ』というコトバの定義に対する、ごくごく一般的な理解をも持ち合わせてないことを端的に示している。

*平沢は、公党の、しかも日本の与党たる自民党の、ヘイトスピーチ根絶などを検討する「差別問題に関する特命委員会」の、トップたる委員長である。その委員会の会合で飛び出した発言がこれである。新大久保の居酒屋で呑んでいるオッサンにマイクを向けたものではない。このメンツで、このレベルで、ヘイトスピーチの、何を、どうやって検討するというのか?

ヘイトスピーチの法規制を検討しようとするとき、必ず引き合いに出されるのは『表現の自由』との兼ね合いだが、このような知的レベルで乱暴な「検討」などされようものなら、確かに『表現の自由』が危うい。そう言えば同委員会の会合では過去に、高市とかいうアホが「デモ規制を同時に検討すればどうか」と言って無知を晒したが、どうやら伝統的にそのようなビックリ発言を量産する機関なのかもしれない。



ヘイトスピーチの法規制には私も賛成だし、国会の推移に私も期待はするが、ヘイトスピーチを向けられ沈黙を強いられている者に対する想像力や、普遍的な人権感覚や国際人権法などからあるべき姿を探求する真摯な姿勢は、最低限必要かと思われる。
少なくとも、ヘイトスピーチの定義もまともに持ち合わせずコトバを浪費し、社会一般に対するまともな想像力を持ち合わせていない人間に、ヘイトスピーチによって時代に絶望している被害当事者の姿など、想像できるはずがない。
当該法律を、理念にも実効性にも優れたものとして成立するためにも、真っ先に平沢には降りてもらいたい。そう願わないではおれない。

私がこのように書くと、「お前もヘイトスピーチをしている」などと書きに来るバカが必ず現れるが、先に書いておく。
「頼むから勉強せぃ」と。

日本政府、朝鮮学校への補助金完全凍結を指導 … また朝鮮学校を『利用』するのか?

暫く書かないでおこうとは思っていたが、遅かれ早かれ起こるであろうと危惧していたことが起こってしまったので、記録のために書いておく。



朝鮮学校への補助金、支出中止要請を検討 政府、自治体に
2016.2.18 00:25 産経ニュース
http://www.sankei.com/world/news/160218/wor1602180002-n1.html



(引用開始)

政府が、核実験と事実上の長距離弾道ミサイル発射を強行した北朝鮮への制裁措置として、朝鮮学校補助金を支出している地方自治体に対し中止を求める通知を出す方向で検討に入ったことが17日、分かった。この日の自民党拉致問題対策本部などの合同会議で文部科学省が明らかにした。
会合で文科省幹部は「通知を行う方向で検討している」と明言。時期や内容は検討中とした。自民党は昨年6月の制裁に関する提言で、補助金を支出している地方自治体に対し「全面停止を強く指導・助言する」ことを政府に求めていた。
朝鮮学校在日朝鮮人の子女が通う学校で、在日本朝鮮人総連合会朝鮮総連)の強い影響下にある。補助金都道府県や市町村の判断で支出しており、北朝鮮の度重なる暴挙を受けて東京都などは支出を停止したが、兵庫県など継続している自治体も多い。

(引用ここまで)



拙ブログでも何回も指摘しているし、常識的に考えても分かることだが、繰り返しになるが書いておく。

朝鮮学校への補助金を凍結しても、朝鮮政府の核実験やミサイル発射は止まらない。当たり前。
*朝鮮政府への敵視政策の矛先は、朝鮮学校の学生(子供たち)に向けても仕方がない。早い話が弱い者イジメ。
*朝鮮政府の政策を改善したいのであれば、朝鮮政府と交渉すべきで、朝鮮政府と親和性のある朝鮮学校に対して、人質を取るような策を向けるのは、お門違いどころかナンセンス。
朝鮮学校の保護者は、日本国の住民であり、日本国の義務(納税など)を果たしているが、朝鮮学校への補助金停止という、福祉や扶助から切り捨てることは、人権上も重大な侵害行為。
*『救う会巣食う会』『家族会』などの右翼的圧力団体の歓心を買う為に、朝鮮学校の処遇を云々するのは、自らが無策であることを告白するようなものであり、いい大人がやるようなことではない。最も、『巣食う会』『家族会』の目的が、家族の救出より朝鮮敵視に、早々に転じていることは馬鹿でもなければ分かる話であり、家族会の元事務局長の蓮池氏が最近になって告白本を書いて少々の耳目をさらったが、私に言わせれば「何を今更」である。



敢えて書くが、
この1世紀以上、日本は朝鮮、そして朝鮮人を、徹底的に『利用』し続けてきた。
約1世紀前、日本は植民地開拓の手始めに朝鮮の主権を奪い、土地を収奪し、民族を抹殺しようとし、女性を軍人の性具として凌辱した。
内地においても二級国民・賤民に固定し、社会的混乱の際にはデマをバラ撒き殺戮の対象とし、使い捨ての労働力として使いまわした。
敗戦後は、その歴史の暗部を恥じようともせず、早速に治安の対象として朝鮮人日本国籍を取り上げ、いつまでも安定的地位を与えず、社会的弱者の怒りの矛先を逸らすための、好奇や軽蔑やガス抜きの対象に使い続けた。

『この社会には我々より醜い人種がいる』
『この社会には我々が殺すべき人種がいる』
『この社会が悪いのはこの人種がいるせいだ』と。

日本は、朝鮮を、朝鮮人を、永久的に『他者』『敵』『害悪』に据えることで、自らの愚策の正当性に『利用』し、自らの改憲衝動を言いふらすために『利用』し、自らの制度欠陥の批判を交わすために『利用』した。
日本は1世紀以上、朝鮮人を殺し続け、辱め続け、貶め続けてきた。
しかし、まだ足りない。まだ殺し足らない。辱め足らない。貶め足らない。
そして今日もまた、朝鮮を、朝鮮人を、その財産・資源・尊厳を、自らの衝動を満たし、自らの失政・不人気の失地を回復するために、こうもやすやすと『利用』したのだ。
そしてそれを取り囲む節穴の眼を持った『素晴らしい民主主義国家の市民』たちによって、この差別政策は、今日も喝采を浴びることだろう。
その節穴の眼には、朝鮮学校で学ぶ朝鮮人の子弟が、この社会の露骨なリンチを、素晴らしい民主主義社会の住民たちの人権感度とやらを、どのように絶望的に捉えるのかは見えていないのだろう。そしてこの差別政策の効果として、朝鮮学校に集う者は、おのれの民族的自覚を徹底的に磨き上げ、さらに結束して学び舎に集う、ということを理解していないのだろう。
いずれにしても、月並みな言葉では言い表せないほど、愚かで幼稚だ。この国の政治レベルの貧しさは、朝鮮の政治レベルをどの口で嗤うのかと皮肉を言いたくなるほど、地を這うように低い。

今日、私は思うことがある。
在日朝鮮人は、大人し過ぎたのではないだろうか。
これだけ殺され・辱め・貶め続けられているのに、行儀良く振舞い、法的・理性的に不当性に抗うという、言わば『左翼的な』行動様式から抜け出せていない。
このままではいけないのではないか。
この日本社会の、朝鮮人に対する明け透けな暴力性や、あるべき感覚の鈍磨に対して、在日朝鮮人個々の、人間の尊厳を賭けた戦いを始める時期に来ているのではないだろうか。
ある意味節度無く、血を吐くように叫び、人間の酷さを呪いながら泣き喚き、この内心からマグマのように湧きだす怒りを、このお笑いのような民主主義社会の鈍感な構成員の覚醒のために、徹底的に晒す行動を、個々に起こす時期に来ているのではないだろうか。

と書いてみたものの、具体的にどうすればいいかは分からない。
しかし、これだけは分かる。
私は、朝鮮学校に通う息子のために、前面に立たなければならない。
父として、息子の将来のために行動する責任が、私にはある。

「いち在日朝鮮人kinchan」のエントリーまとめ

現在、ある思いから一時的に更新を休止していますが、コツコツ書いてきた記事をカテゴリごとにまとめてみました。
いまから思えば拙い筆致のもの、論点がブレているものも多々ありますが、たまたま閲覧しに来た訪問者の方が記事を探すには良いだろうと思うので、トップに置いておきます。
心身のキャパシティが整ったら、また書きに戻るつもりです。





■『朝鮮高校無償化』『朝鮮学校補助金不支給』『朝鮮学校排除』関連

2011-02-06 朝鮮高校無償化問題について、はてと考えた。<追記あり
http://d.hatena.ne.jp/dattarakinchan/20110206/1297001826

2011-09-14 朝鮮学校無償化排除にきっぱりと反対する。理不尽だからだ。
http://d.hatena.ne.jp/dattarakinchan/20110914/1316010150

2012-01-19 朝鮮学校を暴力で恫喝することに同意?する、中央日報の物凄い記事
http://d.hatena.ne.jp/dattarakinchan/20120119/1326994516

2012-02-08 拉致問題の解決と朝鮮学校への圧力が何で結びつくのか全然理解できない。
http://d.hatena.ne.jp/dattarakinchan/20120208/1328713301

2012-12-26 「高校無償化」は朝鮮学校には結局不支給 ― 子供たちへの差別の固定化を憂う
http://d.hatena.ne.jp/dattarakinchan/20121226/1356494138

2013-01-11 朝日新聞の朝鮮高校無償化排除反対の社説 ― 0点の駄文
http://d.hatena.ne.jp/dattarakinchan/20130111/1357875261

2013-01-31 桜宮高校事件に、朝鮮学校事件との同一性と再生産性を見る。
http://d.hatena.ne.jp/dattarakinchan/20130131/1359630394

2013-02-20 朝鮮学校補助金代わりに「拉致本」支給 ― 日本政治の劣化が止まらない
http://d.hatena.ne.jp/dattarakinchan/20130220/1361364369

2013-02-26 朝鮮学校補助金の代わり、「拉致本」の次は「切手」? 埼玉県知事の人権感覚に恐怖する。
http://d.hatena.ne.jp/dattarakinchan/20130226/1361849728

2013-04-05 朝鮮学校への防犯ブザー配布取りやめ ― 思考停止の極致
http://d.hatena.ne.jp/dattarakinchan/20130405/1365134066

2015-01-12 「朝鮮学校無償化問題」を知るためのいくつかの資料提示(20150627追記)
http://d.hatena.ne.jp/dattarakinchan/20150112/1421044654

2015-02-12 大阪の民族教育を支える教職員の生活が脅かされている ― 私学共済への保険金滞納
http://d.hatena.ne.jp/dattarakinchan/20150212/1423749224





朝鮮学校を知る/朝鮮学校にまつわるエピソード

2011-09-06 朝鮮学校について、親の立場で考えてみる。
http://d.hatena.ne.jp/dattarakinchan/20110906/1315331441

2011-12-21 この国のマスコミの良心は死んだ ― 金正日総書記の死去に伴う朝鮮学校への取材について
http://d.hatena.ne.jp/dattarakinchan/20111221/1324484924

2011-12-23 朝鮮学校に通う子供たちを暴力や暴言から守ろう − 『オリニチキミ』(20111226タイトル変更)
http://d.hatena.ne.jp/dattarakinchan/20111223/1324650086

2011-12-31 朝鮮学校に通う生徒たちを暴力や暴言から守る『オリニチキミ』の趣旨に賛同する方へ ― チラシの掲載
http://d.hatena.ne.jp/dattarakinchan/20111231/1325330256

2012-06-14 片山さつき、自分を批判したのは「朝鮮学校の弁護士」だとツイート … もう限界じゃね?
http://d.hatena.ne.jp/dattarakinchan/20120614/1339693526

2012-08-23 何度でも言う、朝鮮学校の生徒に『竹島』は関係ない!子供たちに手を出すな!
http://d.hatena.ne.jp/dattarakinchan/20120823/1345731666

2013-01-08 朝鮮学校の歴史を学ぶ ― 『民族教育歴史資料室』を訪れる
http://d.hatena.ne.jp/dattarakinchan/20130108/1357663069

2013-08-20 保護者、在日同胞、日本人、大学教員、韓国の芸能人… ― みんなで朝鮮学校の子供たちの学びを支える。
http://d.hatena.ne.jp/dattarakinchan/20130820/1376958063

2015-03-04 아이들아 이것이 우리 학교란다(子供たちよこれがウリハッキョだ)
http://d.hatena.ne.jp/dattarakinchan/20150304/1425483134

2015-04-12 朝鮮学校について、改めて親の立場で考える。
http://d.hatena.ne.jp/dattarakinchan/20150412/1428851268





レイシズム/選別主義/在日特権幻想批判

2011-01-03 雑感 − 極端な二極対立、こじれて陳腐な愛国心
http://d.hatena.ne.jp/dattarakinchan/20110103/1294064622

2011-01-14 ネット上で語られる「そんなに日本が嫌いならなぜ朝鮮に帰らないのか」に答える
http://d.hatena.ne.jp/dattarakinchan/20110114/1295017794

2011-01-24 『黒い彗星』に連帯します
http://d.hatena.ne.jp/dattarakinchan/20110124/1295881450

2011-03-03 いち在日朝鮮人のkinchanに在日特権は適用されているのかを検証する(1)そもそもこれを書くに至った理由
http://d.hatena.ne.jp/dattarakinchan/20110303/1299165217

2011-08-13 いち在日朝鮮人のkinchanに在日特権は適用されているのかを検証する(2)根本が間違っている
http://d.hatena.ne.jp/dattarakinchan/20110813/1313257844

2011-08-24 いち在日朝鮮人のkinchanに在日特権は適用されているのかを検証する(3)通名
http://d.hatena.ne.jp/dattarakinchan/20110824/1314199920

2012-04-10 北朝鮮からの手土産を全部没収して日本政府はどうしたいのだ?
http://d.hatena.ne.jp/dattarakinchan/20120410/1334013519

2012-05-29 在日外国人による生活保護の不正受給 ― 典型的な産経メディアの宣伝記事に吐き気をもよおす
http://d.hatena.ne.jp/dattarakinchan/20120529/1338263738

2012-06-05 『日本人差別をなくそう』? ― 手垢のついたデマを未だに垂れ流す醜悪な在日特権ビラ
http://d.hatena.ne.jp/dattarakinchan/20120605/1338915395

2012-08-16 安いナショナリズムに乗せられると、本当にろくなことがない。
http://d.hatena.ne.jp/dattarakinchan/20120816/1345118059

2013-06-27 ヘイトスピーチに『想い』を寄せる、WiLLの物凄い記事
http://d.hatena.ne.jp/dattarakinchan/20130627/1372351685

2013-10-07 雑感:「朝鮮人を殺せ」に抗するメッセージに思う ― 私は、ヘイトスピーカーと「仲良く」などできない。(20131012追記あり
http://d.hatena.ne.jp/dattarakinchan/20131007/1381161613

2013-12-07 新語・流行語大賞に「ヘイトスピーチ」が選ばれる時代を憂う。
http://d.hatena.ne.jp/dattarakinchan/20131207/1386428810

2014-01-16 『在日特権』のイチャモンを笑おう ― 大学センター試験の外国語試験における韓国語科目は在日特権らしい
http://d.hatena.ne.jp/dattarakinchan/20140116/1389894452

2014-01-18 「差別だ!」と声をあげるということ ― 不動産取引を巡る人種差別の実験動画(20140121追記あり
http://d.hatena.ne.jp/dattarakinchan/20140118/1390070545

2014-03-15 “JAPANESE ONLY”に思う。
http://d.hatena.ne.jp/dattarakinchan/20140315/1394906134

2014-03-26 『在日特権』のイチャモンを笑おう(2) ― 在日韓国人の兵役が免除されているのは在日特権らしい
http://d.hatena.ne.jp/dattarakinchan/20140326/1395853404

2014-04-30 クリッパーズバルセロナ ― スポーツ界における2つの人種差別事件に思う
http://d.hatena.ne.jp/dattarakinchan/20140430/1398876269

2014-05-06 朝鮮女子卓球代表選手の土産を奪う日本政府の対応に呆れる(20140507追記)
http://d.hatena.ne.jp/dattarakinchan/20140506/1399386408

2014-10-12 雑感:『ヘイトスピーチ』をろくに定義づけずに語るのはどうなんだろう?
http://d.hatena.ne.jp/dattarakinchan/20141012/1413124055

2015-01-21 クローズアップ現代 「ヘイトスピーチを問う 〜戦後70年 いま何が〜」 を見る。
http://d.hatena.ne.jp/dattarakinchan/20150121/1421819797

2015-02-08 「あなたたちのことを快く思っていない人もいるんだからね」に思う。
http://d.hatena.ne.jp/dattarakinchan/20150208/1423424403

2015-05-30 雑感:「差別語」と「差別表現」の区別がつかないで、どうやって差別やヘイトスピーチを議論するのだろう?
http://d.hatena.ne.jp/dattarakinchan/20150530/1432992322

2015-08-14 「ニッポンは素晴らしい」に関するいち考察
http://d.hatena.ne.jp/dattarakinchan/20150814/1439560090

2015-09-01 フジ住宅差別事件 ― 典型的なヘイトハラスメント(20151003追記)
http://d.hatena.ne.jp/dattarakinchan/20150901/1441121840





■ザイトクカイ/ネトウヨ嫌韓バカ批判

2011-08-26 在特会界隈の連中が民事訴訟で負けたら、損害賠償金を連中は払うのか?
http://d.hatena.ne.jp/dattarakinchan/20110826/1314366214

2011-10-28 雑感 ― 嫌い「である/になる」自由は当然ある。「嫌いだぁ」と叫ぶ自由は、、、無いこともあるよ。
http://d.hatena.ne.jp/dattarakinchan/20111028/1319772824

2011-11-20 とうとう「殺す」と言い出した、在特会連中の妄想はどこまで暴走するのか
http://d.hatena.ne.jp/dattarakinchan/20111120/1321807095

2011-12-04 素晴らしい妄想族の世界① ― ソフトバンクの犬
http://d.hatena.ne.jp/dattarakinchan/20111204/1323006857

2011-12-07 在特会界隈の連中は、哀れなまでに日本語の会話が成立しない件<追記あり>
http://d.hatena.ne.jp/dattarakinchan/20111207/1323288190

2012-02-17 朝鮮学校の無償化を求める記事のコメント欄がネトウヨホイホイ状態になっている件
http://d.hatena.ne.jp/dattarakinchan/20120217/1329490139

2012-03-22 『チョンのキチガイブログ』に寄せられるコメントについての考察
http://d.hatena.ne.jp/dattarakinchan/20120322/1332437616

2012-06-07 レイシストによる暴力行為を断固糾弾する ― いまこそ日本社会の良心を示そう
http://d.hatena.ne.jp/dattarakinchan/20120607/1339084617

2013-06-17 「桜井誠」の逮捕と、実名・通名報道について(20130619追記あり
http://d.hatena.ne.jp/dattarakinchan/20130617/1371476540

2014-01-24 産経新聞とは、“嫌韓バカによる嫌韓バカのための壁新聞”なのか?
http://d.hatena.ne.jp/dattarakinchan/20140124/1390571362

2014-08-07 毎年、夏休みになると、ビギナーネトウヨ在日朝鮮人ブログにわざわざ文句を垂れに来る件
http://d.hatena.ne.jp/dattarakinchan/20140807/1407424211

2014-09-21 橋下大阪市長在特会と面談? ― 橋下サン期待してますよ(棒読み)。(20140926追記あり
http://d.hatena.ne.jp/dattarakinchan/20140921/1411333115

2014-10-21 橋下vs桜井、罵りあって面談終了 ― ハシモトよ、何がしたかったのだ(呆)
http://d.hatena.ne.jp/dattarakinchan/20141021/1413887273

2015-01-30 「モノ言えない社会は息苦しい」 ― ネトウヨが自らの自業自得を社会の狭量として嘆く笑える記事
http://d.hatena.ne.jp/dattarakinchan/20150130/1422635856





■kinchanのいちザイニチ考

2010-12-27 いち在日朝鮮人のkinchanが本名で生きる理由
http://d.hatena.ne.jp/dattarakinchan/20101227/1293464553

2010-12-28 いち在日朝鮮人のkinchanが日本に帰化しない理由
http://d.hatena.ne.jp/dattarakinchan/20101228/1293546008

2011-01-31 kinchan的朝鮮総連考(1) ― 朝鮮籍朝鮮総連の構成員で北朝鮮の信奉者 … そんな訳ないがな!
http://d.hatena.ne.jp/dattarakinchan/20110131/1296485270

2011-06-30 kinchan的朝鮮総連考(2) ― 帰還事業がすべての間違いだった
http://d.hatena.ne.jp/dattarakinchan/20110630/1309446047

2014-06-12 在日に対する「あなたはサッカー日韓戦で日本と韓国のどちらを応援しますか?」に回答する
http://d.hatena.ne.jp/dattarakinchan/20140612/1402586181





死刑廃止

2011-11-10 (突然ですが)死刑と冤罪について考える
http://d.hatena.ne.jp/dattarakinchan/20111110/1320936511

2014-03-31 日本国は殺しかけた袴田さんを前に、なお「死刑存置」と言い続けるのか?
http://d.hatena.ne.jp/dattarakinchan/20140331/1396261179





■『従軍慰安婦』関連

2012-05-24 「従軍慰安婦写真展」に対するニコン不買運動 ― ネット住民による表現行為への攻撃に思う
http://d.hatena.ne.jp/dattarakinchan/20120524/1337870927

2013-05-25 「従軍慰安婦」騒動について ― ハルモニ、橋下に会わなくて正解です。
http://d.hatena.ne.jp/dattarakinchan/20130525/1369450404

2013-05-30 「従軍慰安婦」を眺めるもうひとつの着眼を提示したい ― 日本の裁判所では日本軍の加害事実が認定されている
http://d.hatena.ne.jp/dattarakinchan/20130530/1369925701

2014-02-04 元『慰安婦』の方の叫びに心を寄せていたいと思う ― 詩 『謝れ』
http://d.hatena.ne.jp/dattarakinchan/20140204/1391512068

ひとつ、これだけはケリを付けておきます。

休筆のつもりでしたが、コメント欄がこのところ激しく動いていたので、その件だけケリを付けておきたいと思います。

ここ数日コメント欄に登場してきていた、

  • 杏華
  • ネトウヨです
  • ケンスケ
  • ネトウヨ
  • 16歳女性
  • Rwnkp
  • 日本人です
  • uri
  • 池上
  • 白い森
  • Riki
  • 爆走ジャー
  • 新参者です
  • SS
  • 橋下嫌い
  • 秋山荷葉
  • 祖国に帰れよ

こいつらは全部同一人物です。

一方で相談の体を用い、一方で悪態をつき、「謝れ」だの「失礼」だの「帰れ」だの、散々やりたい放題でしたが、絡まれたコメンター諸氏、そういうことですので、よろしくお願いします。

なお、こいつのIPは遮断しようにも、ネットカフェ等での投稿もあるので難しいようです。いくつかは遮断しました。

一つだけアドバイスを。

余りにキャラがぶれるので、おかしいと思い、普段やらないログ見に行ったわ。
キャラクターを使い分けるのなら、設定を書きだすなりしてブレないようにしなさい。
小説などを書くときは、それが当たり前だから、覚えておきなさい。
このような悪趣味な行為は、嫌韓掲示板なら通用するかもしれないが、このような場所では通用しない。