いち在日朝鮮人kinchanのかなり不定期更新日記

はてなダイアリーから移行しました。古い記事ばかりになりましたが、ボチボチ更新していこうと思います。

平沢勝栄の無残な知性 − 無知な者は口を開けば開くほど無知が露わになるものだ

知性ある者は語れば語るほど、その言葉の端々に叡智が溢れ、人々はその言葉に引き込まれ、信頼を置くようになる。
逆に無知な者は口を開けば開くほど、その無知な本性が露わとなり、人々はその言葉に背を向け、信頼を置かなくなる。
先日、まさにその典型のような、無知な者が無恥なまでにその無知を晒す『事件』があったので、記録しておこうと思う。

まずは、その『事件』の紹介記事を引用する。



「保育園落ちた」ブログ、平沢議員「表現には違和感」
朝日新聞デジタル 2016年3月10日14時46分
http://www.asahi.com/articles/ASJ3B46N5J3BUTFK005.html

(引用開始)

「保育園落ちた日本死ね!!!」と題した匿名のブログをめぐり、自民党平沢勝栄衆院議員は10日、ヘイトスピーチ根絶などを検討する「差別問題に関する特命委員会」の会合で、「ブログに『死ね』という言葉が出てきて、表現には違和感を覚えている」などと語った。
ブログについては、2月29日の衆院予算委員会民主党議員が取り上げた際、安倍首相は「実際に起こっているのか確認しようがない」と答弁。平沢氏ら与党議員も「(ブログを書いた)本人を確認したのか」などとヤジを飛ばした。
平沢氏は特命委の委員長。10日の会合では安全保障関連法に反対するデモについても言及し、「ヘイトスピーチに該当しそうな文言も出ていた。デモをそばで聞いていた時に『安倍(首相)死ね』と言っていた人もいる」と述べた。そのうえで、「ヘイトスピーチは、規制、根絶しなければならないが、表現の自由と絡んでくる。そのやり方については慎重に検討しないと禍根を残す」と語った。
平沢氏は特命委に先立ち、民放の情報番組でも「(ブログは)本当に女性が書いた文章なんですかね」と発言した。
ブログをきっかけにインターネットの署名サイトでは保育制度の充実を求める声が広がり、当事者からの切実な声に、政権与党も対応を迫られている。

(引用ここまで)



平沢勝栄の知性の無さが、これでもかと滲み出ている。

「保育園落ちた」のブログが何故にこれだけの反響・共感を産み、デモや陳情活動に波及しているのか?それだけ同じ境遇に陥っている人間が多いということではないか。それが「本人かどうか」「女性かどうか」「真実かどうか」などと、いったい何を言っているのだ?政治家、いや人間としての想像力のレベルが低すぎて失笑しか出ない。

ヘイトスピーチとは、偏見や差別意識に基づき、少数者の属性に対する憎悪や忌避を煽る言動を指す。為政者に対する批判は、その言葉がいかに侮辱的であろうとヘイトスピーチには該当しない。選挙によって選任された為政者は、マジョリティ中のマジョリティであり、社会構造上の被差別者ではなく、その扇動によって、社会構造上の「賤民」に貶められるなど、ありえない。同じ理由で、日本国内で日本人一般に対するヘイトスピーチなども起こりようがない(日本社会のマジョリティが、自らへの戒めを込めて自嘲的な言動を吐く行為などは考え得るだろうが)。自分のボスが、自らの素質及び失政を根拠に「死ね」と言われていることと、在日朝鮮人などのマイノリティ一般が、社会的な偏見の鬱積から、属性を根拠に「死ね」と言われていることが、何故に、どのような理屈で同列視できるのか?まったく意味が分からない。これは平沢が、『ヘイトスピーチ』というコトバの定義に対する、ごくごく一般的な理解をも持ち合わせてないことを端的に示している。

*平沢は、公党の、しかも日本の与党たる自民党の、ヘイトスピーチ根絶などを検討する「差別問題に関する特命委員会」の、トップたる委員長である。その委員会の会合で飛び出した発言がこれである。新大久保の居酒屋で呑んでいるオッサンにマイクを向けたものではない。このメンツで、このレベルで、ヘイトスピーチの、何を、どうやって検討するというのか?

ヘイトスピーチの法規制を検討しようとするとき、必ず引き合いに出されるのは『表現の自由』との兼ね合いだが、このような知的レベルで乱暴な「検討」などされようものなら、確かに『表現の自由』が危うい。そう言えば同委員会の会合では過去に、高市とかいうアホが「デモ規制を同時に検討すればどうか」と言って無知を晒したが、どうやら伝統的にそのようなビックリ発言を量産する機関なのかもしれない。



ヘイトスピーチの法規制には私も賛成だし、国会の推移に私も期待はするが、ヘイトスピーチを向けられ沈黙を強いられている者に対する想像力や、普遍的な人権感覚や国際人権法などからあるべき姿を探求する真摯な姿勢は、最低限必要かと思われる。
少なくとも、ヘイトスピーチの定義もまともに持ち合わせずコトバを浪費し、社会一般に対するまともな想像力を持ち合わせていない人間に、ヘイトスピーチによって時代に絶望している被害当事者の姿など、想像できるはずがない。
当該法律を、理念にも実効性にも優れたものとして成立するためにも、真っ先に平沢には降りてもらいたい。そう願わないではおれない。

私がこのように書くと、「お前もヘイトスピーチをしている」などと書きに来るバカが必ず現れるが、先に書いておく。
「頼むから勉強せぃ」と。