日本政府、朝鮮学校への補助金完全凍結を指導 … また朝鮮学校を『利用』するのか?
暫く書かないでおこうとは思っていたが、遅かれ早かれ起こるであろうと危惧していたことが起こってしまったので、記録のために書いておく。
朝鮮学校への補助金、支出中止要請を検討 政府、自治体に
2016.2.18 00:25 産経ニュース
http://www.sankei.com/world/news/160218/wor1602180002-n1.html
(引用開始)
政府が、核実験と事実上の長距離弾道ミサイル発射を強行した北朝鮮への制裁措置として、朝鮮学校に補助金を支出している地方自治体に対し中止を求める通知を出す方向で検討に入ったことが17日、分かった。この日の自民党拉致問題対策本部などの合同会議で文部科学省が明らかにした。
会合で文科省幹部は「通知を行う方向で検討している」と明言。時期や内容は検討中とした。自民党は昨年6月の制裁に関する提言で、補助金を支出している地方自治体に対し「全面停止を強く指導・助言する」ことを政府に求めていた。
朝鮮学校は在日朝鮮人の子女が通う学校で、在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)の強い影響下にある。補助金は都道府県や市町村の判断で支出しており、北朝鮮の度重なる暴挙を受けて東京都などは支出を停止したが、兵庫県など継続している自治体も多い。
(引用ここまで)
拙ブログでも何回も指摘しているし、常識的に考えても分かることだが、繰り返しになるが書いておく。
*朝鮮学校への補助金を凍結しても、朝鮮政府の核実験やミサイル発射は止まらない。当たり前。
*朝鮮政府への敵視政策の矛先は、朝鮮学校の学生(子供たち)に向けても仕方がない。早い話が弱い者イジメ。
*朝鮮政府の政策を改善したいのであれば、朝鮮政府と交渉すべきで、朝鮮政府と親和性のある朝鮮学校に対して、人質を取るような策を向けるのは、お門違いどころかナンセンス。
*朝鮮学校の保護者は、日本国の住民であり、日本国の義務(納税など)を果たしているが、朝鮮学校への補助金停止という、福祉や扶助から切り捨てることは、人権上も重大な侵害行為。
*『救う会≒巣食う会』『家族会』などの右翼的圧力団体の歓心を買う為に、朝鮮学校の処遇を云々するのは、自らが無策であることを告白するようなものであり、いい大人がやるようなことではない。最も、『巣食う会』『家族会』の目的が、家族の救出より朝鮮敵視に、早々に転じていることは馬鹿でもなければ分かる話であり、家族会の元事務局長の蓮池氏が最近になって告白本を書いて少々の耳目をさらったが、私に言わせれば「何を今更」である。
敢えて書くが、
この1世紀以上、日本は朝鮮、そして朝鮮人を、徹底的に『利用』し続けてきた。
約1世紀前、日本は植民地開拓の手始めに朝鮮の主権を奪い、土地を収奪し、民族を抹殺しようとし、女性を軍人の性具として凌辱した。
内地においても二級国民・賤民に固定し、社会的混乱の際にはデマをバラ撒き殺戮の対象とし、使い捨ての労働力として使いまわした。
敗戦後は、その歴史の暗部を恥じようともせず、早速に治安の対象として朝鮮人の日本国籍を取り上げ、いつまでも安定的地位を与えず、社会的弱者の怒りの矛先を逸らすための、好奇や軽蔑やガス抜きの対象に使い続けた。
『この社会には我々より醜い人種がいる』
『この社会には我々が殺すべき人種がいる』
『この社会が悪いのはこの人種がいるせいだ』と。
日本は、朝鮮を、朝鮮人を、永久的に『他者』『敵』『害悪』に据えることで、自らの愚策の正当性に『利用』し、自らの改憲衝動を言いふらすために『利用』し、自らの制度欠陥の批判を交わすために『利用』した。
日本は1世紀以上、朝鮮人を殺し続け、辱め続け、貶め続けてきた。
しかし、まだ足りない。まだ殺し足らない。辱め足らない。貶め足らない。
そして今日もまた、朝鮮を、朝鮮人を、その財産・資源・尊厳を、自らの衝動を満たし、自らの失政・不人気の失地を回復するために、こうもやすやすと『利用』したのだ。
そしてそれを取り囲む節穴の眼を持った『素晴らしい民主主義国家の市民』たちによって、この差別政策は、今日も喝采を浴びることだろう。
その節穴の眼には、朝鮮学校で学ぶ朝鮮人の子弟が、この社会の露骨なリンチを、素晴らしい民主主義社会の住民たちの人権感度とやらを、どのように絶望的に捉えるのかは見えていないのだろう。そしてこの差別政策の効果として、朝鮮学校に集う者は、おのれの民族的自覚を徹底的に磨き上げ、さらに結束して学び舎に集う、ということを理解していないのだろう。
いずれにしても、月並みな言葉では言い表せないほど、愚かで幼稚だ。この国の政治レベルの貧しさは、朝鮮の政治レベルをどの口で嗤うのかと皮肉を言いたくなるほど、地を這うように低い。
今日、私は思うことがある。
在日朝鮮人は、大人し過ぎたのではないだろうか。
これだけ殺され・辱め・貶め続けられているのに、行儀良く振舞い、法的・理性的に不当性に抗うという、言わば『左翼的な』行動様式から抜け出せていない。
このままではいけないのではないか。
この日本社会の、朝鮮人に対する明け透けな暴力性や、あるべき感覚の鈍磨に対して、在日朝鮮人個々の、人間の尊厳を賭けた戦いを始める時期に来ているのではないだろうか。
ある意味節度無く、血を吐くように叫び、人間の酷さを呪いながら泣き喚き、この内心からマグマのように湧きだす怒りを、このお笑いのような民主主義社会の鈍感な構成員の覚醒のために、徹底的に晒す行動を、個々に起こす時期に来ているのではないだろうか。
と書いてみたものの、具体的にどうすればいいかは分からない。
しかし、これだけは分かる。
私は、朝鮮学校に通う息子のために、前面に立たなければならない。
父として、息子の将来のために行動する責任が、私にはある。