いち在日朝鮮人kinchanのかなり不定期更新日記

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ローソンが朝鮮学校にもおにぎり配布 - ありがとう。ウリハッキョの子どもたちを普通に扱ってくれたことに涙が止まらない。

 

朝鮮学校にもおにぎり届く ローソン、川崎に60個無償

神奈川新聞  2020年03月18日 11:30
https://www.kanaloco.jp/article/entry-302275.html


(引用開始)


在日コリアンの子どもたちが通う川崎朝鮮初級学校(川崎市川崎区)に17日、おにぎりの支援が分け隔てなく届いた。新型コロナウイルスの感染が拡大する中、学童保育施設を対象にコンビニ大手のローソンが無償で配布したもの。学校関係者は「朝鮮学校ということで色眼鏡で見ることなく、当たり前に扱ってくれたことが何よりうれしい」と喜んだ。

 

 正午すぎ、小学1年生の教室で子どもたちがぱりぱりのノリを巻いたおにぎりをほお張っていた。午前中に1人2個行き渡るよう60個が届けられた。教員が作ったわかめスープも添えられ「とってもおいしいよ」と笑顔が広がった。

 

 無償配布は各地で学校が休校となったことを受けて実施。昼食の準備をしなければならなくなった保護者の負担を減らそうと、申し込みがあった施設を対象とした。10日は約1800施設に約14万個、17日は約2700施設に約22万個を届け、24日にも行う予定だ。

 

 同校では10日に福岡市の朝鮮学校に配られたことを知った姜珠淑(カンジュスク)校長が申し込んだ。公式サイトに施設名などを記入すると確認の電話が鳴った。同校は学童保育施設として市に届け出ているわけではないが、「日本の学校と同じく子どもを受け入れていると伝えたら『では届けます』と。学校名ではなく、実態に即して判断してくれた」と姜校長は安堵(あんど)する。

 

 朝鮮学校は高校授業料や幼児教育・保育の無償化から排除され、さいたま市では感染防止のためのマスク配布でも対象外とされた。学校と無関係な拉致問題が理不尽に持ち出され、補助金や物資を支給すれば「不正をするのでは」というあらぬ疑いが排除の理由にまかり通る。県などの補助金の停止も相次ぎ、李靖華(リチョンファ)先生も「授業料の負担から共働き家庭も多く、学童保育のニーズも高い」と話す。

 

 ローソンの広報担当者はマスク不支給問題に心を痛めていたといい、「朝鮮学校だからという線引きなど考えもしなかった。困っている保護者の負担軽減という目的に照らせば、子どもを預かっている施設であれば対象にするのは当然だ」と話している。

(引用ここまで)



引用文最後の「当然だ」と言い切るローソン担当者の言葉に、勇気をもらい、感謝と感激を感じた在日朝鮮人は、恐らく私だけではないだろう。私企業がその資源でCSRを行なうにあたり線引き匙加減は企業の自由であるが、朝鮮学校にも他の学校の生徒らと同様に「当たり前」におにぎりを贈ってくれたことを、本当に嬉しく思う。ありがとうローソン。私はこの報に接して涙が止まらない。ウリハッキョの子どもらを人間として扱ってくれた企業に、心からの敬意を覚える。

明日から当分、毎朝のコーヒーはローソンで決まりだ。ちゃんと一杯一杯注いでくれるし。ありがたくいただくことにしよう。ご恩返しだ。

 

しかし、

それだけ我々在日朝鮮人が社会から、差異を設けられ、切り分けられ、排除され、再分配の対象から外され、声を聴かれず、義務は求められるが権利は奪われる、という日常を送ることに慣れていた。

特にここ10年弱の、高校無償化法に絡む朝鮮学校排除の際に並べられた、中学生をも白けさせる屁理屈の数々と、それに胸を張る日本国・日本社会の『大人たち』の仕打ちに、大きな幻滅を感じていた。

 

ここ数日のコロナウイルスに絡む、埼玉の「マスク騒動」についても、朝鮮学校にマスクを配布することを最初から想定せず、抗議すれば「転売するのでは」と吐き捨てられ、社会的批判が高まっても悪びれるそぶりもない。それを報じるYahooニュースでは高校無償化法騒動の際に湧いた連中がその当時そのままの汚い字面で行政や差別者を擁護して回る。「マスクが欲しければ将軍様に恵んでもらえ」と。どれだけの悪意を詰めればこんな言葉が思いつくのだろうか。同時発生的に拙ブログにもクズコメントがどんどん押し寄せて来た(←当然に承認しない)。

 

このようにあらゆる資源と屁理屈を弄して、朝鮮人を除け者にする『大人たち』の姿が、我が息子の眼にどのように映るか、ということを、ここ数日考えていた。本当に教育上余りに「よろしくない」今日の日本国・日本社会の姿だった。

 

しかし、この報に触れて改めて思う。この社会は、やはり捨てたものではない。

埼玉のハッキョにも、多くの心ある日本人からのマスクが贈られてきた、と聞く。

捨てたものではない。

 

我が息子が出自による差別を理解できる人間になって、むき出しの差別に絶望を覚えているとき、私は息子にこのように伝えたい。

 

この社会は、多くの良識ある人間によってできている。

人々の違いを認め、尊重し、融合し、共生することのできる、尊敬できる仲間がたくさんいる。

 

なかには、人々の軋轢を好み、分け隔て、貶め、機会あれば他人(ひと)より多くを得ようと騙(かた)る者がいる。底の浅い政治に翻弄され、時代に絶望することもある。

そのような者の声は大きく、目につきやすいから、余計にそう思うだろう。

 

でも、この社会は多くの良識ある人たちで支え合って成り立っている。

アッパ(おとうさん)は何度も、社会の中で助けられてきた。

誠実に生きていたら、必ず社会の中で誰かが見ていてくれるし、手を差し伸べてくれる。

 

誠実に生きろ。

貶める側、騙る側に回らず、誠実に生きろ。

必ず、自分の血を恨まずに生きられる時代が来る。

必ず、社会の中で共に手を携えて生きることが当たり前の世の中になる。

アッパはそう信じている。