いち在日朝鮮人kinchanのかなり不定期更新日記

はてなダイアリーから移行しました。古い記事ばかりになりましたが、ボチボチ更新していこうと思います。

大阪朝高無償化裁判、地裁勝訴判決 ― たたかいは、これからだ。(20170731追記あり)

大阪朝高が勝った。我が母校が勝った。
大阪朝鮮学園が国を相手取り、高校無償化法の適用を求めた訴訟は、大阪朝鮮学園の完全勝利という、全くの予想外の地裁判決が下った。

この「全く予想外」という感想は、私が悲観的という話ではなく、この訴訟に関わり支援する大多数の者の共通認識であった。

今年1月の、大阪府・市の補助金の復活を求める大阪地裁判決は、行政の不手際を救済しながら、原告の弁論を完全無視して『キタチョーセンを切り捨てる』という世論迎合の結論に、理屈もかなぐり捨てて突っ走った判決だったし(http://www.sankei.com/west/news/170126/wst1701260077-n1.html)、
直前に下った広島地裁判決は、当該大阪判決とは真逆の結論で、子供の学習権、学校の民族教育権を一顧だにせず、それこそ、「カネがキタチョーセンに流れるかもしれない」という妄想とも言える『留意』を慮った馬鹿げた判決であった(http://www.sankei.com/west/news/170719/wst1707190058-n1.html)。



これまで常にそうであった。
朝鮮人の権利など、のっけから認められるわけもなく、除外・選別しながら、気が向いたら『特例』『裁量』で認められるのが常であった。
法律で除外を試み、法律で除外できなければ解釈や適用で除外する。
朝鮮人法治国家の住民として法律論で抗っても、感情先行で・嫌悪感丸出しで・屁理屈で・コジツケで、常に枠外に追いやられる。それが常であった。
朝鮮人を除く』が常に付きまとってきた我が人生だったし、周囲の友人知人のイザコザもイヤというほど聞きながら生きてきた。
この社会は在日朝鮮人の声に感化されて変化するほど柔軟ではないと分かっていた。朝鮮人は、日本社会にとって、差異を設け、攻撃し、危機を煽り、溜飲を下げ、言い訳を言いふらすのに『利用する』存在であり、もう一世紀以上『使い込んできた』社会構造である。
在日朝鮮人を自分らと同じ人間として外面(そとづら)では接しても、内面では、常に二級住民として存在を捉え、舌を出し唾を吐いているだろうことは、実体験で、イヤというほど認識していた。

私にも人間としての尊厳がある。自分や他者に向けられた差別に黙っていられないから、声を挙げるし、ブログも書く。裁判傍聴や報告集会にも行くし、SNSで拡散もする。しかしそれは、苦痛を伴うことであるし、見たくもないものを見る可能性をも孕む。
実際、数年机を並べ共に仕事をし、プライベートでも親交の厚い私の同僚が、SNS上でシェアされた「朝鮮学校補助金除外」の記事に対して「いいね!」しているのを目にしたこともある。朝鮮学校出身である私の素性を知らないはずがない彼が、私も見るであろうSNS上で、朝鮮人の子供が悔しくて泣くのを「いいね!」と賛同しているのを見たとき、近年覚えることのなかった本気の吐き気を催した。いまでもそれを思い出すと、口中を酸気が襲う。

実体験の中から、常に自らの立場を、イヤというほど自覚していた。慣れていた。負けるのに、虐げられるのに、打ちひしがれるのに、自分でもイヤになるほど、飼い慣らされていたのだ。

私の妻が、判決公判当日に、傍聴券の抽選に行くと言った。私は仕事で行けないこともあるが、絶対に負けると思っていたので「どうせ負けるわ」と、ツレなく言った。それでも行く、と妻は出て行ったが、チリほども期待していなかった。初報に接するまで、本当に信じられなかった。



今回の大阪地裁の判決は、大阪の、そして全国の在日同胞に、驚きをもって迎えられた。私も職場で妻からのメールに机がひっくり返りそうになるほど驚いたし、当日の判決報告集会で壇上でスピーチをする者ほぼ全てが「不当判決に抗議するスピーチばかり考えていた」と口を揃えるほどだった。SNSでの拡散は尋常ではなく、LINEは鳴りやまなかった。本当に衝撃的なものだった。それほど、これまで、我々は疲弊し、不感を強いられてきたわけだ。



今回の判決について、短く感想を書く。
『ことごとく妥当。』、この一言である。
元々、被告(国)が、高校無償化法の立法主旨を逸脱して、キタチョーセンにカネをやりたくない、という救う会等の圧力団体に迎合して、省令を改正してまで朝鮮学校を排除したのが問題の発端である(パブコメ結果.pdf 直)。
それが訴訟沙汰になったら、国は後付けで「財務状況」だの「ミサイル」だの「基準」だの色々並べて、妄想のような『懸念』を言い立てたわけである。
それにいちいち付き合って丸ごと乗ってしまったのが広島地裁判決であり、ことの経緯を精緻に分析してその言い草を一蹴したのが大阪地裁判決である。
行政の公平性公正性の原則から、後出しジャンケンで狙い撃ちして排除するのが違法・不当であることを、真正面からジャッジした判決だと言える。



法治主義、及び日本国自身が掲げあるいは批准する憲法及び国際人権条約の系譜から考えて、当然とも言える判決が出るまでに、もう何年を費やしただろうか?何回、街頭に立ち声をあげただろうか?幾らのカネを投じただろうか?
この間、多くの後輩が、国のむき出しの差別・上からのレイシズムに泣きながら校門を後にしたが、いまようやくそれが報われるところまで来る、そのスタートラインに立ったと言える。

勘違いしてはいけないのは、我々は、未だ何も得ていない。
地裁判決は確定していないし(恐らく国は上訴するだろう)、上級審になればなるほど判事は保守的・官僚的だ。もっとも、補助金訴訟は100:0のボロ負けだったことから考えて、決して楽観視できない。最後の最後まで、広範な在日同胞と理解ある日本の市民に支援されながら訴訟が進むことを願う。
私も、将来の息子の笑顔のために、微力を尽くしたいと思う。

たたかいは、これからだ。



【追記】勝訴判決を受けての各種記事のうち、読む価値があると考えるものを数点挙げる。一部当該判決前の記事も含む。



民族教育の歴史に正面から向き合った画期的な判決文
KOREAと日本についていろいろ 2017/07/29 09:20
https://blogs.yahoo.co.jp/remember_0416/archive/2017/07/29

歴史に記録されるであろう無償化裁判勝訴の1日
ニョニョのひとりごと 2017/07/28 21:51
http://blog.goo.ne.jp/okuyeo/e/a8f0b7a674a79cd874923203520dabe0

<時代の正体>学ぶ権利に「大きな一歩」 補助金停止問題にも光
神奈川新聞 2017/07/29 02:00
http://www.kanaloco.jp/sp/article/267550

朝鮮学校無償化「母校が認められた」全面勝訴に大歓声
毎日新聞 2017/07/28 12:44
https://mainichi.jp/articles/20170728/k00/00e/040/251000c

(社説)朝鮮学校訴訟 無償化の原点に戻れ(筆者注:広島地裁判決を受けてのもの)
朝日新聞 2017/07/21 05:00
http://www.asahi.com/articles/DA3S13047050.html

権海孝インタビュー「朝鮮学校は日本の右翼には目に刺さったトゲ」
KOREAと日本についていろいろ 2017/07/26 0:44
https://blogs.yahoo.co.jp/remember_0416/14916770.html



(20170731追記)

裁判の報告集会の動画が上がっていたので紹介したい。途中チマチョゴリをまとった現役生徒のスピーチがあるが、聡明さが際立った澱みのないスピーチと、凛とした誇らしげな表情が、泣ける。
「やっと私たちの存在が認めてもらえた」という生徒の言葉に、取り囲む大人は何を思うだろうか?