いち在日朝鮮人kinchanのかなり不定期更新日記

はてなダイアリーから移行しました。古い記事ばかりになりましたが、ボチボチ更新していこうと思います。

虐殺事件のモニュメントと、歴史修正主義と。 ― 小池東京都知事の愚かな判断

世界各地、虐殺が起こった土地では、その反省と教訓を後世に遺すべく、記念碑や資料館を立てたり、その舞台となった場所を保存したりしていることが多い。

例えば、現代最大の大量殺戮の舞台となったドイツでは、ユダヤ人や、シンティ・ロマ、障がい者らを殺戮したことを後世に語るための巨大なモニュメントが至る所にある。


http://berlinhbf.exblog.jp/1090258/


http://motoobeyond.blogspot.jp/2010/09/2_29.html



https://www.ab-road.net/north_america/usa/boston/guide/11294.html



例えば、ポル・ポトが支配し恐怖政治を敷いたカンボジアには、政治犯収容所として2万人が虐殺されたと言われているS21が、そのまま虐殺博物館として保存され、その際に犠牲になった人々の頭蓋骨をそのまま展示したり、子供たちを含む多数の犠牲者の写真や拷問具を紹介したりするなどして、その犯罪性を白日に晒している。


http://keishiseki.blogspot.jp/2014/01/blog-post_27.html


https://blogs.yahoo.co.jp/tuktuk_asia/10864922.html



http://boysbeambitious1.blog.fc2.com/blog-entry-30.html



例えば、徹底的な赤狩りによって6万人が犠牲になったと言われる「4.3事件」の舞台となった韓国・済州島には、その慰霊碑と歴史資料館がある。当該事件は余りの犠牲者の多さと比率の高さ(島民5人に1人の割合で犠牲になった)から、韓国内でも長らくタブーとされていた(何せ虐殺加害者と犠牲者家族が隣近所というのが珍しくないのだから)。しかし盧武鉉政権下で政府として公式に謝罪している。


http://www.dangdangnews.com/news/articleView.html?idxno=26377


http://www.jejudomin.co.kr/news/articleView.html?idxno=70157



http://m.ohmynews.com/NWS_Web/Mobile/at_pg.aspx?CNTN_CD=A0002313268#cb

実は、数年前、私はここに訪れたことがある。都市部よりかなり離れた寂れた場所にあり、その場に居合わせた訪問者は私を入れて十数人と、(日取りが良くなかったのかもしれないが)絶えず多くの人の目に触れるというようなものでは決してなかったが、証言・証拠・写真映像等様々な資料は、多数の犠牲者の死を社会が無駄にせず、後世に活かそうという意欲を汲み取ることができた。




誇らしく輝かしい歴史も、恥ずかしい負の歴史も、歴史的事実は消すことができない。しかし後世に生きる者が、その歴史を直視し、それを教訓として生かすために、このようなモニュメントは価値があると思う。建っていれば、残っていれば、その事実の風化は抑えられるし、先人の歴史を教材・サンプルとして、同じ過ちを繰り返すという不幸を抑えることにもつながる。

国家が、被害の歴史ばかりでなく、加害の歴史にも向き合い、それを正しい評価の下、ありのままを整理して残すことは、その国民を再びその被害・加害に晒さないために重要なものであろうと、私は認識する。



日本も、関東大震災朝鮮人虐殺事件という負の歴史を背負っている。しかし日本国家は現在に至るまで、このジェノサイドをろくに総括せず、公式に犠牲者数も集計すらしていない。モニュメントと呼べるものは、民間が建てた小さな石碑程度のもので、その歴史の教訓を後世に語り継ごうという意欲は、国家レベルでは、まったく無いと言っていいだろう。


http://tokyoireikyoukai.or.jp/park/%E6%96%BD%E8%A8%AD%E6%A1%88%E5%86%85/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E4%BA%BA%E7%8A%A0%E7%89%B2%E8%80%85%E8%BF%BD%E6%82%BC%E7%A2%91/

挙句に、今日の日本では、歴史的事実を証言するモニュメントに難癖を付け、価値を軽んじ、あるいは撤去を画策しさえしている。負の歴史を無いものとして歪曲していく過程において、その事象の象徴たるモニュメントは、存在してはならないのだろう。低俗な屁理屈と事なかれ主義の共同作業で、街中の『物言わぬ証言者』は、どんどんその姿を消してしまっている。


http://blog.goo.ne.jp/gekkan-io/e/43fa2f2dc83dae3b39c51672b6b3433b



数年前に韓国のモニュメントを目にしたという自分自身の経験と、今年もまた9月1日の関東大震災記念日を迎えることとが相俟って、
犠牲者数も去ることながら、その差別性、惨たらしさが上記の事件に決して引けを取らない関東大震災朝鮮人虐殺事件に関して、日本には満足なモニュメントひとつ、歴史教育ひとつ、まともに存在しないことに、私は今日、たまたま想いを巡らせていた。
そうしたらたまたま、東京都知事の小池が、朝鮮人犠牲者慰霊式典への追悼文の送付を見合わせたとニュースが飛び込んできた。



小池知事朝鮮人犠牲者慰霊式典へ追悼文送付を取りやめ
毎日新聞 2017/8/24 20:53
https://mainichi.jp/articles/20170825/k00/00m/040/092000c

(引用開始)

東京都の小池百合子知事が、関東大震災時に虐殺された朝鮮人犠牲者を慰霊する9月1日の式典への追悼文送付を取りやめていたことが分かった。歴代知事は毎年送付し、昨年は小池知事も送付していた。都の担当課は「知事は朝鮮人も含め全ての犠牲者に追悼の意を表しているので、個別の慰霊式への追悼文送付は見合わせることにした」と説明している。
式典は市民団体などで作る実行委員会の主催で、都立横網町(よこあみちょう)公園(墨田区)の「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑」前で毎年9月1日に実施される。この日は同公園内の慰霊堂で関東大震災東京大空襲の大法要も開催され、歴代知事は毎年出席して哀悼の意を表した。都によると、少なくとも石原慎太郎氏ら歴代知事は、主催者の求めに応じて朝鮮人犠牲者の慰霊式典に追悼文を送付してきた。
追悼文を巡っては、3月の都議会第1回定例会の一般質問で古賀俊昭都議(自民)が虐殺された人数に異論があるとして、「追悼の辞の発信を再考すべきだ」と発言。小池知事は「犠牲者数などについては、さまざまなご意見があることも承知している。毎年慣例的に送付してきたものであり、昨年も事務方が慣例に従って送付した。今後は私自身が目を通した上で適切に判断する」と答弁していた。
都公園課の担当者は「(見合わせは)以前から検討していたこと。この答弁で決めたわけではないが、きっかけの一つとなったのは事実」としている。
関東大震災50年の1973年に設置された追悼碑には「あやまった策動と流言蜚語(ひご)のため六千余名にのぼる朝鮮人尊い生命を奪われた」と刻まれている。

(引用ここまで)



小池にしてみれば、遠い昔の朝鮮人の大量死などを慮るより、自分の支持者・支持層のナショナリズムを喚起するほうが政治的都合がいいのだろう。
これまで眺めてきたような、「歴史の教訓を後世に伝える」という価値を真向から否定し、今日の日本でトレンドになっている歴史修正の系譜から1mmもぶれない、見事なまでにチンケな政治信念である。()。

「知事は朝鮮人も含め全ての犠牲者に追悼の意を表しているので、個別の慰霊式への追悼文送付は見合わせることにした」と説明している。

とあるが、災害で命を落とした者と、土着のエスノセントリズムの発揮によって殺された者とが、同じ価値判断であろうはずがない。その慰霊や歴史的反省の方向は、性格を全く異にすることくらい、中学生でも分かりそうなものだ。こんな拙い言い訳が通用するとでも思ったのか?まったくもって呆れるしかない。



在日朝鮮人の存在理由が学校でろくに教えられなくなって久しい。
このような日本の現状に、日本国家の負の現代史の残滓のような存在である私は、ある種の思いを日々強くしている。
そのうち自分の存在理由の正当性(合法性と言ってもいい)を、周囲の日本人に日々語って理解や許諾を取り付けて回らない限り、ほうぼうで人格が否定し尽くされ、生存すら脅かされるのではないか、と。

・教科書の記述を後退させ、あるいは育鵬社の教科書を推進し、
・各地の歴史的モニュメントを撤去し、あるいはその意義を認めず、
・韓国朝鮮人を資源の再分配から除外し、ここは日本だ日本第一だと開き直る、
これらは完全に地続きである。それを恥とも思わない政治勢力が、日本を完全に覆っている。

歴史を否定し、その証拠すら消し去ろうという勢力が、いつまで跋扈し続けるのか?暗澹たる思いだ。



)私は常々、安倍と小池は瓜二つ、自民党に入れる代わりに『第二自民党(あるいは第二維新の党)』たる小池新党に入れても、東京の政治風景はまったく変わらないと主張してきたが、100%の予想的中である。
安倍が政権奪還直後に朝鮮学校を無償化法から排除したように、小池は就任前後から韓国人学校の土地貸与はゼロベースと言ってきた。少数者を切り捨てて見た目の手柄を立て、ナショナリズムを煽り、選別によって多数者の喝采を得る。議会で多数を握ったら最後、配下の議員は早速顔が見えなくなり、ボスに無言で追従し数に驕り盲目的に賛成票を投じる。何から何まで安倍と瓜二つである。
これで来月、前原が『第三自民党』を立ち上げたら、いよいよ日本社会は最終段階に突入する。おぞましくて想像すらしたくないが、極右・極右・極右で政党が乱立して、何を競い、何を基準に票を入れるのか?もう本当に訳が分からない。

九月、東京の路上で 1923年関東大震災ジェノサイドの残響

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