いち在日朝鮮人kinchanのかなり不定期更新日記

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朝鮮学校の卒業式に思う。

先日、我が息子の、朝鮮初級学校の卒業式があった。

息子が初級学校に通うあいだ、特にここ数年は仕事ばかりの親父で、ろくに授業参観や親子行事にも参加できなかった。それを恥ずかしく思いながらも、我が息子の晴れ舞台を観に久しぶりに学校に出向いた。

 

学校の小さな講堂には、保護者や下級生が溢れんばかりに集まっていた。これでもコロナ禍のなかで参列対象者を絞っているのだという。式が始まるだいぶ前から、教員らは口々に私の前を通り過ぎながら「○○さんのアッパ(お父さんの意)、おめでとうございます!」と祝いの言葉を掛けてくれる。仕事の忙しさとコロナ禍の影響とでかなり足が遠のいていた学校なのに、教員らは親の顔を覚え、生徒同様温かく迎えてくれる。卒業式というある種の荘厳さとは無縁の、家族的な雰囲気で卒業式は始まった。

 割れんばかりの拍手の中、卒業生が入場してくる。驚いたのが講堂の壇上に設けられた卒業生らの椅子が、保護者側に向けられて配置されていることだ。生徒たちの表情を参列者がつぶさに見ることができる。「今日の主人公は卒業生たちです」というのが、目で見て非常に分かり易い。卒業生らはその席に座り、ときには笑い、ときには涙を浮かべる姿を、保護者らは見守り、共に涙しながら過ごした。

本の学校の、ごくごく一般的な卒業式と言えば、日の丸がデカデカと壇上中央に配置され生徒がそれを仰ぎ見つつ、全員で君が代を歌ってから式が進行する。そういえば卒業式の指揮権は校長だからどうのと、教員が国歌を斉唱しているか口パク具合を見て回る、という冗談かとも思えるような事件まで発生するような日本の学校のそれに対して、我が息子の学校のそれは、国旗・国歌とはまったく無縁、もちろん金日成金正日金正恩とも無縁の、手作りでアットホームな卒業式だった。

校長は祝辞の中で、「保護者の皆さん、情勢が厳しい中、コロナ禍というなかで、私たちの学校を信頼して、かわいい子女を送り続けてくれてありがとうございました」と言った。ちょうど6年前、入学式の中でも校長がそのようなことを、私たち保護者の顔を眺めながら語った。「こんな世の中で朝鮮学校に子どもを送る選択をしたことは大変だったろうに、私たちを信頼してくれてありがとう、私たちはあなたたち保護者の期待に必ずや応える」と。そこには自らが行う民族教育についての確信を見て取った。朝鮮人朝鮮人として生きるために民族教育が必要だ、その価値を認め、共に歩んでくれてありがとう、と。

 

学校は我が息子の学びを支えるために、様々な取り組みをしてくれた。既に朝鮮学校では数年前から紙の教科書とは別に電子教科書が用いられ、授業も一部ではipadが用いられる。一般に言うICT教育が、日本の学校に先んじて、朝鮮学校では普及が進んでいる。これがコロナ禍の中で威力を発揮した。youtubeを使ったオンライン授業配信や、Zoomを使ったホームルーム等、息子はipadを使いこなしながら、困難な中でも学校生活を楽しんだ。

特筆すべきは、これらほぼ全てが、公的な補助などではなく、民族教育に携わる教職員や、保護者の月謝、支援者の寄付によって支えられているということだろう。私の住む大阪ではもう何年も前から、朝鮮学校の学び舎はレイシスト首長の政争の具として晒し物にされており、腹立つほど納める私の住民税は、維新政治の衆愚パフォーマンスには活用されても、息子の教育拡充にはただの一銭も、本当に一円も活用されていない。少子化、そして行政補助からの排除、朝鮮学校の財政は逼迫しており統廃合が進んでいる。それでも朝鮮学校の現場では、少ない資源で、できることを、あるいはそれ以上のことを、最大限に子どもたちに注いでくれた。ICT教育のコンテンツや電子教科書は全国の朝鮮学校の教員らのチームで作られたものだし、オンライン授業も、現場の教員が少ない資源から工夫して行われたものである。教員たちは、職業的ではなく、教育者という生き方として、かつ同族の子女に対する同胞愛を行き交わしながら、我が息子の学習環境を守り通してくれた。我が息子は、真面目に毎日勉強する習慣を身に着け、特に落ちこぼれるでもなくちゃんと『6年最優等()』と『6年皆勤』を獲った。周囲といさかいやケンカもせず仲良く朗らかに過ごし、優しさや気配りを持つことができ、心優しい少年に育ってくれた。しかも病気も怪我もせず、である。親孝行なことこの上ない。怠惰な父に似ず、自慢できる男に育ってくれた。ありがたい限りである。

 

無論、朝鮮学校に送り続けることに困難や葛藤が無かったわけではない。公立の学校に送れば学費はタダだし給食もあるが、朝鮮学校は学費も高いし給食も無い。運動会だ学芸会だと言われればカンパもせねばならないし、動員もある。朝鮮学校草創期、「力がある者は力を、知識がある者は知識を、金がある者は金を」拠出して学校建設をしようと呼びかけられていたが、現在では、保護者が「力も知識も金も」全部を動員して支えなければ、学校は立ち行かないわけで、私も多くの保護者同様、息子の学校に幾度かボランティアをしてきた。しかし朝鮮学校それ自体に関して、細かい文句をつけるような発想は、私からは最後まで、まったく出てこなかった。大した学校だと思うし、このように息子をまっすぐに育ててくれた朝鮮学校には、本当に感謝しかない。

 

息子の進学先について、私は特に何もリクエストをしなかった、「自分で考えればいい」と。公立に行きたければ行けばいいし、私学でもいい。もちろんそのまま朝鮮中級学校に上がりたければ上がればいい。全部自分で決めたらいい、と。私は息子を信頼しているし、ありていに言えば、初等教育(小学校)時点で、自我は確立されているだろうから、この先何とでもどうとでもなる、と思って、完全に息子に委ねた。ここで言う自我とは、人間としての自立と同時に、朝鮮人としてのアイデンティティということである。自らの母国語としての朝鮮語を習得し、母語(日本語)と共に用いることができること、日本の地に生まれ落ちた朝鮮人としての来歴と文化風習を教わったことが、この先の彼の人生に否定的に作用することは、まず考えられない。私が幼少期に息子に得させたいと思ったもの、つまり日本で朝鮮人として、朝鮮人であることイコール自分自身を否定せずに生きる能力は、ちゃんと備わったと思う。これから先に親としてのリクエストは(今のところ)無い。だから完全に委ねた。

息子はそのまま朝鮮中級学校に進むと言う。4月からは中級学校に通うことになるが、親の私としては何の心配もしていない。急に難しくなる勉強や、急に増える同級生間の対人関係で、いろいろ思い悩むことは多いだろうが、我が息子なら、のらりくらり、しかし前を向いて堂々とやっていくだろう。

 

私も息子と同時に、朝鮮初級学校の保護者を卒業したことは本当に感慨深いが、この期間に更に顕在した、行政や取り囲む能天気な市民の明け透けな差別から、将来の息子を解放してやれなかったことが親として本当にもどかしかった。息子には未だ直接的な被差別体験は無いようだが、SNSやインターネットを経由して、そのようなものに触れる危険は、どんどん増してきて、日々露骨になってきているようにも見える。

想えば、私がこのブログを書き始めた当初(まだ執筆頻度を一定程度保っていた当初)、政権は民主党の下にあった。目玉政策の高校無償化法から朝鮮学校が排除されかけたことを発端に、朝鮮学校へのむき出しの差別が表れ始め、当然に私もそれに抗い拙い文を重ねていたが、いまから思えば、日本が溶けていく過程における、一種の象徴的な出来事だったように思う。

朝鮮学校差別のときに、朝鮮人は日本社会の隅でカナリヤのように鳴いていたが、日本社会は朝鮮人だから相手にしなかった。在特会レイシスト朝鮮人を排撃しにかかったが、日本社会は一部の極端な者を適当に間引いただけで茶を濁し、その根本には一切目を向けず、病巣を放置した。

その後、政権中枢はレイシストを支持基盤に抱える、無能かつ無節操な集団に移り変わった。政権移行後最初に手を付けたのが、朝鮮学校を無償化法から排除する省令改正だった。このことはこの政権の性格を余りに分かり易く映すが、朝鮮人がいくら警鐘を鳴らそうとも、日本社会は問題にもしなかった。朝鮮人だから。

その後、日本社会はどうなったか?

政権は史上最長となり、その後も子分が居座り続けているが、この政治勢力には恥の概念が無く、自らのテリトリーにカネを呼び込むことに必死で、自らの椅子を守るためには、嘘を吐くことにも、法律や記録に手をかけることにも、下っ端が死ぬことにも抵抗が無い。既に官僚らも、検事や判事すらも、良心をとっくに失い、ひれ伏し、おもねり続けている。

いつの間にか、コーヒー代を数十円ちょろまかしたら逮捕されるが、わけのわからない屁理屈をこねくり回して、自らの買収行為や利益供与行為から言い逃れをして、国費を数十億円空費しても、まともな批判が向けられないという、法律とか価値とかが取っ散らかった、グロテスクな社会に成り下がった。昨年からのコロナ禍においても、行政は市民を救う気が無く、カネは全然出さないが口は中途半端に出し、敵を指し示し、叩いては、自らの失策の言い訳に腐心した。自粛警察が跋扈し、廃業や自死は増える一方である。このように社会が劣化する速度は緩まる気配がないが、それを構成する市民は呑気が過ぎ、危機感を全く共有できないままでいる。選民政治(社会)・差別政治(社会)が、どんどん極まりつつある。

このようななか、いつまた行政が、レイシズムに活路(逃げ道)を見出すか、油断も隙もあったものではないし、SNS上では今日もレイシズムが野放し状態で、手軽な娯楽として消費されている。社会構造の中で朝鮮人を賤民と固定することで、日本人多勢に適度なガス抜きとして機能し、社会が保全されている。これからも朝鮮人差別を日本社会が必要とする以上、そうそう容易く、我々家族が『朝鮮人』であることを意識せずに暮らす日は来ないであろう。

 

このような社会で、まともな考え方、理論武装が不在では、自らが朝鮮人として、この日本に生まれ落ちたことを呪うような発想が、生まれてこないとも限らない。「生まれてきた時代を間違えたのではないか?」「私はなぜ朝鮮人なのか?」と。朝鮮人として生まれたのは自分の責任ではないし、良いことでも悪いことでもない。そう生まれた、そういう運命だったのだ。しかし、この社会で、その運命を受け入れ、能動的に生きるための能力は、日本人が日本人として生まれ落ちたケースとは別個のものとして必要だ。

その意味で、やはり朝鮮学校での教育は意義が深かったと思う。少なくとも、この社会で、朝鮮ルーツの先祖から受け継いだ自分の名前を、堂々と名乗ることに抵抗が無い時点で、教育は成功しているではないかと思う。

胸を張って、自分の名前で、堂々と生きてほしい。親父は息子にそう願っている。

 

 

 

()朝鮮学校の学業評点は絶対評価制で、高いほうから順に最優等-優等-普通-落後、となる。相対評価ではないので最優等だからと言ってクラスで最も優秀、というわけではないし、最優等評価の人数が決まっているわけでもない。少人数のクラスでは全員が最優等生ということも珍しくない。これについて、加えて日本教育における相対評価制(偏差値輪切り制)に対して、私が特にコメントすることはしないが、幼稚な物言いで「全員が頑張ったから全員が100点!」でいいのではないか、と私は思う。少なくとも中等教育までは。