いち在日朝鮮人kinchanのかなり不定期更新日記

はてなダイアリーから移行しました。古い記事ばかりになりましたが、ボチボチ更新していこうと思います。

朝鮮学校について、改めて親の立場で考える。

拙ブログのエントリーのなかで、恐らく最も読まれているであろう、『朝鮮学校について、親の立場で考えてみる。』をアゲて3年が経過した。http://d.hatena.ne.jp/dattarakinchan/20110906/1315331441
いままさに、今月から息子を朝鮮学校に送る親である私が、これを書いた3年前と比較して、息子を朝鮮学校に付託する上での、心境の変化や動揺や迷いがあるかどうか自問してみた。
正直、全くない。
むしろ、私のこの選択は正しいものだと、確信すら覚える3年間だった。
元に書いたものと性格が変わっているわけではないのだが、改めて、朝鮮学校について、親の立場で考え、残しておきたいと思う。



朝鮮人として育つための朝鮮学校

何故私は自分の息子を朝鮮学校に送るのか。答えは至って単純だ。
私も、私の息子も、朝鮮人だからだ。
日本に住む日本人は、何の不自由もなく「日本人」として育つ。自然と日本語を見、読み、書けるようになる。日本の風習や唱歌に触れ、慣れ親しむようになる。日本食を喰うことにも不自由は無い。
しかし日本に生まれた朝鮮人である我々は、朝鮮人として育つためには環境が必要だ。環境が無ければ朝鮮の文化、風習には触れることができないし、朝鮮由来の食事にもありつけない。
そして成長期にある子供にとって、『環境』の最たるものが、私は教育環境だと思っている。子供が活動時間の大半を過ごすのが学校であり、何を、誰から、誰と共に学ぶか、その環境が大事だと考えている。

日本の公立学校は、日本人のための教育機関である(いわゆる一条校の私立学校もそれよりは漏れない)。
在日朝鮮人のための教育を施しうる機関は(何校かある韓国学校を除けば)朝鮮学校しかない。
朝鮮語を日常のあらゆる場面で読み、書き、掲げ、自分のルーツの象徴である朝鮮由来の名前を堂々と名乗り、それを堂々と呼びあえる場所である朝鮮学校は、朝鮮人朝鮮人として育つための環境である。



■自文化を身に付けるための朝鮮学校

文化とは、その大部分が文字や言語を介して表現される。文化に触れるうえで、言語を習得しているかどうかは、その文化に対する理解、親和性を決定づける要素となる。理解できないものは、触れることも難しく、親しむことなどなおのこと難しい。コミュニケーションも然り。人とひととの交流は、言語を介して行われる割合がほとんどで、身振り手振りや空気読みが占める割合が前者と比較して少ないことは言うまでもない。
例えば、
我が息子がテレビの画面から流れてくる韓国の街中の風景、そこに並ぶハングルの看板、スピーカーから漏れ聞こえる韓国語のセリフを目や耳にして、「読めない文字の看板」「よく分からない外国の風景」「訳の分からないコトバ」を感じるのか、それとも「あれはキムチチゲの店だ」「自分のひいおじいちゃんが生まれ育った場所だ」と捉えられ、セリフの意味も理解できるのか。
あるいは、
韓国や朝鮮から来た旅行者から道案内や困り事で話しかけられたとき、たどたどしいながらも自分の習ったコトバでコミュニケーションを取って、在日嬌胞と本国人との、いわゆる同胞愛を行き交わすのか、それとも「あんにょんはしむにか」と挨拶する程度しかできないのか、日本人のフリをしてその場をやり過ごすのか。
これら例示で伝わるかどうかは、紡ぐ言葉が拙く自信が無いが、自分のルーツ由来の言葉や文化を、学習によって能動的に自分のものとして獲得し、ルーツの本元からは薄まったり変形したものであったとしても、それを他者に表現しうるものとして活用できるかどうか、これは自分のおのれのルーツと真正面から向き合ううえで決定的な要素となる、と考えている。

自らのルーツ発進の文化に親しみを持つことは、自らのルーツを肯定的に捉えるうえで、最も重要な要素のひとつだと思う。そのためにも先ずは言語をしっかりと習得させたい。朝鮮学校朝鮮語教育能力は概して高い。幼い頃に徹底的な学習によって獲得した言語的素養は、一生の財産になると考えている。



■運命を悲観しないための朝鮮学校

私はよく、ひとの属性のことを、値札や荷札などを意味する『タグ』という言葉で表現する。ひとが品定めをし、値踏みをする記号として、ある種の皮肉も込めて、これを用いている。
私や私の息子は、「朝鮮人」というタグが取りついた人間、という運命を背負って生まれ落ちた。
言うまでもないが、私はこの運命を選んだわけではない。しかし先天的に取りついたこの『チョーセン』というタグのみによって、ひとは好奇や軽蔑を向け、私個人の思想信条や行動様式まで、そのタグを見て勝手に決めつけようとする。私個人に取りついたタグを見つけては「ザイニチは○○だ」とレッテルを貼り付け、ザイニチ認定作業のみに熱中し、思考は停止し、自らに疑問符を挟み込む気もない。
『チョーセン』『ザイニチチョーセンジン』は現在の日本では最大級の蔑みの対象となるタグのひとつであり、問答無用の『負』の記号、『劣悪なものの象徴』に堕ちている。しかし、私が、あるいは私の息子が『チョーセン』であることは、当然すぎるほど当然に、自分は悪くないし、『チョーセン』という民族自体も悪いわけではない。
しかし、ネット上で、週刊誌で、街頭で、我々『ザイニチチョーセンジン』は、「反日」「臭い」「殺せ」「死ね」「生きる価値もない」「日本人に感謝しろ」「社会のゴミ」と悪罵を叩かれ、剥き出しの差別意識や嫌悪感の発露が手軽な娯楽に化し、優良コンテンツになり、それを開陳しながら練り歩くことを『表現の自由』と社会が認め、警察官が護り、それに抗う者は逮捕されている。挙句に、気づいてみれば政権中枢は排外思想にまみれた政治勢力に固められてしまっている。

この社会がここまでに劣化した際、この『チョーセン』というタグが取りついた者が、自らの運命を、呪わずに生きることはできるだろうか。この剥き出しの社会的な排除に対して、「自分に除け者にされる理由があるのではないか」「生まれてきた時代を間違えたのではないか」と思い定める人間がいても決して不思議ではない。「チョーセンジンは日本人より人間としてのランクが下なのか」「自分はただ日本で生まれただけなのに何の罪を背負っているのだ」と。40年程生きた私でも、現在の日本の状況に息が詰まるのだ。何の免疫も持たない我が息子が、程無く自分に『チョーセン』というタグが取りついているということを自覚した時に、「チョーセンジンをぶっくぉろせー!!」を見て聞いて、果たして自分の運命を肯定的に捉えることができるだろうか。
できるわけがない。

自分が何故にこのような運命を背負って生まれてきたのか、つまり『ザイニチチョーセンジン』という人種の誕生過程について社会的な総括がされていない(言い換えればザイニチ当事者自身に、自身の存在理由の説明責任が課されている)日本の今日の状況にあって、 当事者自身がそれをしっかりと学び、生きる武器とし、タグを攻め(責め)る者に、自分の言葉で語り、理解を取り付け、あるいは抗い、自らの立場を守ることは、この社会で、この運命とともに生きるための能力である。



■シェルターとしての朝鮮学校

上記のように、現在の日本においては『チョーセン』こそが負の記号の最たるものに堕ちている。「反日」「嫌韓」「売国」という知性の欠片も感じられないコトバが平気で流通するようになった。一時期より薄まったとはいえ『在日特権』デマもネット上では根強い。そして悪いことに『嘘も100回言えば』信じる者もいる。拙ブログでもそのような言説に毒された小学生が度々訪れては「在日は出てけ!」とか書き込んで去っていく。40手前のオッサンである私にとっては、クソガキの『月光仮面ゴッコ』を見るようで微笑ましい限りだが、免疫を持たない我が息子にとっては、笑いごとではない。我が息子がザイニチであることは紛うことなき事実であり、我が息子にとって『ザイニチは死ね』『ザイニチを殺せ』は、まさに自分自身の全否定に他ならない。

仮に日本の学校に我が息子を送ったとして、そのような排撃に無縁でいられるだろうか。何故にザイニチという人種が存在するのかを教わることもないクラスメートが、ネットや週刊誌、書店に溢れる嫌韓本、街頭に繰り出した恥知らずなレイシストの言説、果ては現状の政治勢力の右傾思考を真に受けて、我が息子をイジメの対象にしたり、つまらない諍いを吹っかけたり、(義務もないのに)日韓対立の代理戦争の相手を買って出るように挑発したり、などということが起こらない保証はない。いや、そのような事態は容易に想像ができる。
自分のルーツを探求するという学習が一定の成果を挙げ、自己のルーツを卑下する理由が無いことが理解できるまで、このような扇情的、反知性的言説や、デマやクソミソを撒き散らすような馬鹿げた連中に触れさせる訳にはいかない。その点、朝鮮学校は、少なくとも「朝鮮人だから」と排撃に遭うことはない。朝鮮学校は、我が息子の心が育つまでの間、我が息子を守ってくれるシェルターである。



■コミュニティとしての朝鮮学校

『ザイニチチョーセンジン』という、同じ運命を背負い生まれた学友と、ともに机を並べ、人生観や悩みも散々語りあいながら成長していく。在日朝鮮人が、自分の運命と真正面から向き合うことのできる環境、それが朝鮮学校だ。その朝鮮学校の卒業生らが、卒業後も学び舎に戻ってきて後輩らと交流を重ね、大人になったら教員や保護者として戻ってきて次の世代を支える。このように、朝鮮学校は世代を超えての民族的アイデンティティの継承に寄与しており、地域の在日朝鮮コミュニティの維持発展は、朝鮮学校の存在がカギを握っていると言っていい。
朝鮮学校でのイベント、例えば運動会や、納涼大会、バザーなどの催しは、地域の在日朝鮮コミュニティの住民にとっても貴重な同胞交流の機会となり、学校の卒業生や、卒業生でない地域の同胞も駆けつける。学校の施設は、近隣在日同胞のサークル活動の拠点としても利用され、おじさんソフトボールのチームや、おばさん合唱サークルなどが集まっては練習に励む。
このように、朝鮮学校は教育施設であると同時に、地域の在日朝鮮コミュニティの中心地である。



以上のように、私が、いち在日朝鮮人の親の立場として、朝鮮学校の存在意義を、思うままに書いてみた。あくまで私個人の考えである。
私がこのように書くと、「朝鮮学校にも悪いところがあるのではないか」などと書きに来る人がいる。「自分たちを美化し過ぎだ」と。
当たり前だが、朝鮮学校にも改善すべき点はたくさんある。しかしそれはどのような学校、組織にも言える話で、それぞれが関わるなかで、それぞれが改善のための行動をすればいい話で、朝鮮学校が完璧ではないこと、朝鮮学校に対し多種多様の意見があることは、それこそ幾らでも何とでも言える話である。果てはその「完璧でないこと」「自分の意見とは違うこと」を理由に、朝鮮学校への現在進行形の差別が正当化されたり、その差別性・犯罪性が希釈免罪されることは、まったく無い。
他にも「そんなに朝鮮が好きなら朝鮮に帰ればいいではないか」と言って落書きして帰って行く『おなじみの方々』も必ず現れるが、私がどこで住もうが、大きなお世話である。

ところで、
私は、ここで散々、「ルーツに根差した教育」「ルーツと向き合う」という具合に「ルーツ」を連呼した。種族的アイデンティティの涵養というのは、国際的な人権宣言やこどもの人権条約にも謳われた初歩的な権利であり、私も人格の根源に関わる重要なものだと認識している。しかし私の息子がそのことに価値を持たないこと、あるいは朝鮮学校を途中で辞めたり、在日朝鮮コミュニティと距離を置いたり、帰化したり、日本名を拵えて名乗ったりすることは、彼が『十分な知識と見識を持ち得た後に』そのような判断をしたのであれば、私はそれを尊重したいと思っている。しかし、そのような判断をするための知識・見識を持ち得るには、やはり「ルーツ」に触れるための教育を与える必要がある、と思っている。
元々、人間関係や社会性を構築する上で、言い換えれば同じ目的や趣味嗜好で協働したり理解しあったりする上で、「ナニ人か」「ナニ民族か」というのは、それ自体に価値があるわけではない。国籍や民族などというのは、重層な人間関係の前では「取るに足らない」ものである。しかし、そのような重層な人間関係や社会性が希薄であったり、瑣末な優劣や貴賤を競い合うような貧しく表層的な関係性しか構築できていない場所に、「お前の名前は…」「お前の肌の色は…」「お前の国籍は…」と、それが問題として『持ちだされる』。
よく差別者が自らの原罪を希釈する意図で「差別される側にも問題がある」と言う場合がある。大きな間違いであり勘違いだ。差別する「お前」が悪い、それが差別のすべてだ。アメリカ合衆国の多くの場所で黒人が差別されるのは「肌が黒いから」ではない。黒人は、自らが多勢であるアフリカ諸国では皮膚の色で差別されていない。多数者が少数者の「自分との差異」をあげつらって貶めるのが差別であり、米国における黒人差別は、多数者の白人が、皮膚の色という差異を『持ちだしている』のが原因である。多数者が何をあげつらうかを、少数者の側が選んで決めているのではない。多数者が、熱狂や鬱憤晴らしや都合付けの過程で、少数者との差異を、探し、見つけ、『持ち出している』のである。

問題は、それが『持ちだされた』時に、自我のそれを引っ込めるのではなくきっちりそれを晒したうえで、不当性・暴力性に抗えるか、それを差別だと明確に主張できるか、それができるかどうか、それこそが自らの人格を守るうえで、最も大事だと思う。そのために、少数者自身が、自身の立場から発進した、気づき・問題意識を持ち得るか、がその成否を分ける。朝鮮学校の教育は、その意味でも意義が大きい。多数者発進の、排除や選別が支配する教育が与える視座は、決して少数者の立場を擁護はしてくれないのである。
そしてそのように獲得した視座は、自らが多数者や強者の立場にあるときに(例えば障がい者に対する健常者、LGBTに対するセクシャルマジョリティー、女性に対する男性、貧困層に対する富裕層、等々)、少数者や弱者を慮る視座となって、彼ら彼女らと連帯し得る価値観となる。その視座・価値観・人権感覚を持ち得るかどうかは、この社会を豊かで多様性あるものに変え得る力になり得るかどうか、ということである。



長々と書いたが、いままさに朝鮮学校児童の保護者になった私が、いま思っていることを率直に書いた。私の息子が将来、自分の与えられている教育について考えるとき、この文章を見てどう思うだろうか。それは当然に、最終的には息子に委ねられるものだが、息子には真正面から向き合って、それを伝えたいと思う。そのために残した次第だ。