いち在日朝鮮人kinchanのかなり不定期更新日記

はてなダイアリーから移行しました。古い記事ばかりになりましたが、ボチボチ更新していこうと思います。

相模原障がい者殺傷事件の犯人はザイニチ ― 差別事件に差別で応える差別主義者への吐き気

今般の神奈川県相模原市での障がい者殺傷事件に絡み、「犯人はザイニチ」という言説がネット上で沸き立っている。

約10分でこれだけ収集できる。

ネットにおける毎度毎度の光景であるのだが、猟奇的な事件、理解不能な出来事があると、早速、「犯人は日本人ではない」「これは日本人の発想ではない」「犯人はザイニチ」と、盛大な『切断作業』が繰り広げられる。過去には石原慎太郎が再三このテの発言を繰り返した完成形であるが、比較的最近でも有名どころで以下のようなものがある。



この種のことは、今に始まったことではない。

*いいことをするのは、日本・日本人、日本を好きな人
*悪いのは、韓国・中国・ザイニチ、日本が嫌いな人

という単純な図式で、「我」と「彼」を分離し、「彼」を落とし、下げることで、「我」を保全しているのである。
このような言説に依って立つ者は、「我々の側ではない」「我々には関係のない変な人」という風に、「彼」を外野に押し込んで、思考を停止させることのみに関心があるのであって、本当に「彼」がザイニチかどうかというのは重要ではないし、どっちでもいいことなのだ。ザイニチと認定した時点で「彼」で確定なのだから。
結局、ザイニチとは、「よくわからない人=犯罪者(あるいは予備軍)」という記号で用いられているのであるが、このように犯罪者が逐一とザイニチ認定され、日々ザイニチの悪いイメージが自らの周囲で積みあがっていくわけだから、ザイニチ当事者にとっては、愉快であろうはずがない。

このように差別的な言説がこうもやすやすと良心の呵責もなく次々と垂れ流される日常、日本において差別的な言動を繰り出すことがこれほどにも障壁が低い現状こそが、この社会で差別の芽を徹底的に育て、今般の事件はそれが「成木」として顕在化したのである。
少なくとも、今般の、日本の犯罪史上にもまれにみる、圧倒的な犠牲者を生みだした差別事件・ヘイトクライムを前に、自らもまた差別主義を繰り出そうと考える輩が、次から次へと沸いて出てくる現実に、私は吐き気を禁じ得ない。

そして、このように『ある属性が犯罪性向を備える』ということに対して、まともな反論を試さず、自らの頭で思考しなかった『声なき傍観者』が、かの日ナチを支え、かの日東京で朝鮮人を殺しまわったのである。私はこの日本社会の空気に、ジェノサイド前夜のキナ臭さを感じて久しいが、政治から、人々から、この空気を打ち消そうという意気も乏しいことに、改めての絶望も感じている。