朝鮮学校を知るということ。
年相応に苦労させられるようになったサラリーマンである私は、社畜の名を欲しいままにし、本当に相変わらず忙しい。ブログというのは、ある程度アタマのキャパシティが無ければ、(このような駄文の羅列であっても)書けないものであって、残念ながらブロガーとしては半休眠状態とさせていただいている。そんな拙ブログに多頻度に訪れ、出没する嫌韓バカや愛国ゴッコバカに的確な対応をしていただけている諸兄には、改めて感謝の意を申し上げる。
さて、久しぶりに朝鮮学校について書こうと思う。先日私は地元の朝鮮学校に、我が息子の入学願書を提出してきた。来年から、いよいよ我が息子も朝鮮学校に進学する。正直、不安が無いわけではない。いや、不安だらけだ。しかし、我が息子が、この日本の地で、おのれのルーツ、背負っていくものと向き合いながらの人格形成を考えたときに、朝鮮学校の環境というのは不可欠のものだと考えている。これだけ「朝鮮人として生まれてきたこと」「朝鮮人の名前で生きること(あるいは朝鮮人の名前を晒さないこと)」が攻撃され、除け者にされ、人格どころか生存すら脅かされかねない現在にあって、自分が何故、この日本の地で朝鮮人として生まれてきたのか、何故自分の名前は「金○○」なのか、自分のルーツとどのように付き合い、日本でどのように生きるか、息子にはあくまで自己発進の考え方を確立してほしいと思う。そのための環境として、朝鮮学校を選んだ。同じ運命を背負った同窓生と机を並べ、夢や悩みも語り合いながら、まっすぐ育ってほしい。そう思う。
私は、朝鮮学校という環境について、諸手を挙げて賛意を示しているわけではない。逆に改善すべき点やダークな話も幾らでもあげつらうことができる。これは私が洞察力があるとか博学だとかいう類の話ではなく、卒業生であり、いまでも少なからず出入りのあって、現役の学生や教員や保護者と交流があるからである。いちいちこんな場所では書かないが(嫌韓バカのエサにしかならないので)、欠点や改善点も踏まえたうえで、私は朝鮮学校に大切な息子を送る価値があると考えている。それは朝鮮学校が、この日本で、在日朝鮮人のルーツを能動的に涵養させ得る、唯一無二の存在だからである(絶対数の少ない韓国学校があることも一応書いておくが)。将来、息子自身が判断して日本に帰化をしたりしたとしても、民族教育を受けた数年間は、息子の人生に肯定的に作用するものであると考えている。
よく産経新聞をはじめとした、朝鮮学校を「下げる」キャンペーンを張っているマスコミの記事を見ると、肖像画がどう、国父に対する評価がどう、拉致問題に関する教育がどうとかということ「のみ」に関心を示し、それが「気に入らない」から反日だ、無償化は認めぬ、補助金などもってのほか、とやっている。しかし、「肖像画」「国父」「拉致」が教育内容にどう絡むか、というのは、産経的視点では最大(というか唯一)の感心事だが、民族教育の本質・意義に占めるウェイト、朝鮮学校の教育の到達目標、保護者の欲する教育方針から考えるに、少なくとも最重要のものではない。もうちょっと言うと在校生や卒業生の姿は、例えば家々に肖像画を掲げ、国父に盲目的に賛意を示し、拉致問題は無いとか仕方ないとか開き直る「残念な」人間どもの姿ではない(まぁ、そう育ったからって別に責められる話でもないのだが)。産経的視点が導き出す朝鮮学校の姿と、我々卒業生や保護者、在校生や教師の立場で見るそれとには、決定的な距離がある。それは何か?
私が思うに、
*朝鮮学校の姿を、生徒や教師や卒業生の内面に入り込んで、内情を知り、迫真に迫って理解しようとする視点と、
*朝鮮学校の外部から、生徒や教師の問題意識からかけ離れたものを、おおよそ表層的に、見たいものだけ見、導きたい結論に都合をつけようとする視点、
との距離感のように思う。
私が現役世代だったときは、ちょうど高体連主催の大会参加とか、JRの通学定期券適用改善とか、私大受験資格の拡大とか、朝鮮学校生徒として被ってきた制度的差別が是正されていく流れの中にあった。私の通う学校には、多くの新聞やテレビの記者がたびたび訪れてきては、現役の教師や生徒にマイクやカメラを向け、我々の心情や視線の先が何を捉えているかに迫ろうとした。いざ紙面や映像に姿を変えた時、当然にそれは我々の立場を満足に代弁してもらえるものでは無かったが、内面に入り込んで取材されたぶん、ぬぐい去れぬ違和感とか拒否感を感じるものでは無かったように思う。つまり、取材者と被取材者の距離・視点は近く、問題意識を共有できるものであったように思う。
しかし、産経やその類似メディアが、朝鮮学校の学び舎に入り込み、一定期間膝を交え、或いは寝食を共にし、当事者の想いに触れて記事を書いただろうか?否である。少なくとも私は、近年にそのようなものを見たことが無い。産経系メディアの発するそれは、まさに社是として扇動し流布する、日本社会の「チョーセンアレルギー」を喚起するネタを、胡散臭い内部告発者や朝鮮学校の「水」が合わなかった者から、小姑のように収集したものを羅列したものに他ならない。それは報道ではなく宣伝であり、嫌悪の扇動である。それを読んで獲得する朝鮮学校に対する視点など、真実の姿から遠く離れることは、きっちり指摘しておかなければならない。
朝鮮学校を理解しようとするとき、その生い立ちや歴史地理的な連続性と特異性、朝鮮政府との親和性を獲得した歴史的な経緯、現在の成り立ち及び、民族教育を受ける権利(それは国際的な人権の理解では普遍的かつ初歩的な権利である)という、ある種多面的な着眼が求められる。日本の公立学校や一条校たる私立の教育機関と同列に扱えるはずもない、世界的にも稀有な存在なのだ。これらに対する理解や学習無くして、朝鮮学校を印象論で安易に語り、「チョーセン学校は反日だから」云々などと嘯く行為は、朝鮮学校を正しく理解する姿勢からかけ離れるどころか、まったく見当違いな妄想を抱え込むことであり、朝鮮学校の当事者からしたら迷惑ですらあると、はっきりと言っておく。
私はここで、ひとつの取材記事を紹介したい。神奈川新聞の特集記事だ。朝鮮学校のいち教員にスポットを当てつつ、朝鮮学校を取り囲んだヘイトスピーチと、日本の行政が仕向ける朝鮮学校への扶助削減は、まったく同質で地続きのものだと指摘している。
私のこの記事に対する感想は敢えて書かない。しかし、産経系メディアが、キタチョーセン排撃を旨とし日々連綿と好き勝手書いている朝鮮学校を下げるキャンペーン記事とは、まったく本質として異なる筆致であるとは、読んで理解していただけよう。つまり、取材対象に入り込み、内面に迫って書いている点で決定的に異なる。神奈川新聞には、引き続き朝鮮学校に入り込んで、現役の生徒や教師、卒業生らの生の声を、日本全国に届けてほしいというエールを込めて、当該記事を引用して稿を終える。
時代の正体 ヘイトスピーチ考(上) 朝鮮学校に吹く寒風
神奈川新聞web 2014.07.26 11:25:00
http://www.kanaloco.jp/article/75283/cms_id/93377
(引用開始)
在日コリアンの排斥を唱えるヘイトスピーチ。京都の朝鮮学校に対する街宣活動について大阪高裁は今月8日、「明白な人種差別」として損害賠償を認めた一審判決を支持した。在日朝鮮人社会に差し込んだ一筋の光−。そのまばゆさが照らし出す「いま」を1人の朝鮮学校教員の目を通して見詰める。
■□■
喜びを口にした自分自身に金燦旭(キム・チャンヌ)(46)は戸惑っていた。
判決文の一節に目が留まった。
〈朝鮮学園には、在日朝鮮人の民族教育を行う利益がある〉
動画投稿サイトにアップされた映像は金も目にしていた。2009年12月、京都朝鮮第1初級学校の門扉の前、男たちががなり立てていた。
「北朝鮮のスパイ養成機関、朝鮮学校を日本からたたき出せ」
判決は、この街宣活動を「人種差別に当たり、法の保護に値しない」と断罪した上で、民族教育事業は保護されるべきだとした。
金は「民族教育を受ける権利が私たちにはある。司法というきちんとした立場から見てくれている人はいるのだ」と安堵(あんど)を覚え、すぐに思い直した。
「でも、それは当たり前のことではないのか。判決が素晴らしく思えるのは、ここ数年、戸惑うことが多すぎたからだ。一体、私たちの何がいけないのか、と」
底が抜けたように、ここ神奈川の学舎にも吹き込む寒風を思っていた。
■介入
横浜駅西口から一足の高台の上、神奈川朝鮮中高級学校はある。創立63年。その教壇に立つ金の耳に生徒の問い掛けが響き続ける。
「先生、僕らは間違っているんでしょうか」
拉致問題をどう教えているのか、確認したい−。県教育委員会から連絡があったのは10年のことだった。教育内容が「反日的」と問題視され、県の補助金の交付に物言いがついていた。当時の知事、松沢成文が授業を視察するまで交付しないという。
事情を説明する金に生徒のとがった声が返ってきた。
「カネのために授業をやるってことですか」
金の回想がかすかに怒気を帯びる。
「朝鮮学校はおかしいと言われる。それは、在日朝鮮人として生きることを否定するのと同じだ」
学校側が教科書の記述見直しを受け入れることになり、補助金は再開された。だが次の知事、黒岩祐治によって13年2月に打ち切られ、横浜、川崎市も続いた。
北朝鮮による拉致や核実験が持ち出され、「県民の理解が得られない」という理由が語られた。民族的少数者が自らの言語、文化を学ぶ権利は保障されなければならないという国際条約も、教育の現場に政治を持ち込まないという原則も一顧だにされなかった。
これに先立つ、国による高校無償化の対象からの除外もそうだった。
金は考える。
補助金の打ち切りと無償化除外は、朝鮮学校はなくなっても構わないと言っているようなものだ。言葉を学び、歴史を知り、文化を身に付ける必要ない、つまり朝鮮人として生きるな、ということだ。それと「日本からたたき出せ」と叫ぶのと一体どこが違うのか−。
■意図
在日朝鮮人3世の金は誇らしげに語る1世のハルモニ(おばあさん)の姿を忘れない。
「国を奪われ、言葉は禁じられ、民族名を名乗るのも許されなかった。とても寂しいことだった。だから戦争が終わるとすぐ、子どもたちに言葉を教えるのだと皆が立ち上がった」
1910年に始まる日本による朝鮮半島の植民地支配、その下に行われた皇民化政策。迎えた敗戦は民族の解放を意味した。朝鮮学校の前身、寺子屋式の国語講習所は全国数百カ所にできた。合言葉は「知識のあるものは知識を。金のあるものは金を」。くず鉄回収業を営んでいた金のアボジ(おじいさん)は、手弁当の教師たちを家に招いては食事を振る舞ったという。
「1世にとって朝鮮学校は取り戻した国そのものだった。日本生まれの2世以降には民族のアイデンティティーを育む場であり、差別が残る日本社会にあって肩を寄せ合い、民族をつなぐ場だ」
ただの学校ではないウリハッキョ(私たちの学校)。ためらいなき政治の介入を目の当たりにし、金によぎったのは、そうした歴史や取り巻く現状はどれだけ省みられているか、ということだった。
「果たして補助金はお願いし、恵んでもらうものなのだろうか」
金の疑問をよそに、介入は続いた。黒岩は自ら手掛けたドキュメンタリー「めぐみ−引き裂かれた家族の30年」を教材に使うよう求め、生徒に感想文を書かせて受け止めを確認したいと言った。
「日本と違う教え方をすれば反日なのか。自分の気に入る教え方をし、気に入る受け止め方をしなければ、拉致を教えたことにならないのか。拉致を通して人権の尊さを教えるというより、北朝鮮は悪い国と教えるための材料にしたい意図を感じた」
■容認
拉致をどう教えているのか−。その問い掛け自体が金には悲しく、さみしい。
2002年9月17日、日朝首脳会談で明らかになった拉致事件は在日社会をも揺さぶった。「拉致などないと信じていた。生徒にもそう教えてきた」。絶句し、そして、引き裂かれた被害者と家族の悲痛を思った。
「自分たちもそうだった。植民地政策によって1世たちは追われるように海を渡った。家族と生き別れたことも、強制連行もあった。戦後は南北が分断され、家族離散はいまも続く。だから、拉致被害者の心情を思わずにはいられない。その気持ちが分かってもらえない。それは自分たち在日が、なぜここに居るのかが理解されていないからだ」
教員たちで話し合った。
「朝鮮学校である以上、植民地支配の歴史は教え続ける。過去に日本がしたことに納得できないこともある。でも、だからといって拉致を相殺し、正当化することだけはしてはいけない。拉致の悲劇の深さを最も理解できるのは俺たちのはずだ。人間の尊厳を踏みにじる、ともに許されない行為であり、犯罪だと教えるんだ」
それなのに−。
今年3月、県の補助金は対象を学校から児童・生徒に変更し、交付されることになった。新制度について県は「国際・政治情勢に左右されずに教育を受ける権利を安定的に確保する」と説明する。
金はしかし、変わらぬまなざしを感じる。
学校側は拉致問題を学ぶ副教材を独自につくることを約束した。黒岩は「支給の条件ではない」としつつ、言い添えた。
「独自教科書の中身を判断する。ある程度のボリューム感や日本人が見て正面から拉致と向き合っているかどうかも問われる」
補助金を口実になおも民族教育に立ち入る傲慢(ごうまん)。拉致は最大の人権問題だと叫ぶそばから、在日の権利を侵す倒錯。それに痛痒(つうよう)を覚えず、素通りする社会−。
朝鮮学校だから許されるのか。
金は4年半前の映像を思い返す。
「日本の学校で同じことがあれば、皆、黙っていないはずだ。なぜ、誰も止めてくれなかったのか。あの判決も同胞たちが声を上げ、得られたものだ」
ハルモニはこうも言っていた。
「日本が朝鮮人の権利を自ら認めてくれたことなど一度もなかった」
排斥はいまに始まったことではなかった。 =敬称略
◆朝鮮学校 朝鮮半島にルーツを持つ在日朝鮮人の子どもに朝鮮語による授業や民族教育を行う学校。全国に73校(うち休校9校)あり、県内では中学、高校に相当する神奈川朝鮮中高級学校、小学校に当たる横浜朝鮮初級学校、川崎朝鮮初級学校、南武朝鮮初級学校と、鶴見朝鮮初級学校付属幼稚園の5校で約450人が学ぶ。学校教育法で日本の小中学校、高校に当たる「一条校」ではなく、英会話学校などと同じ「各種学校」に位置付けられ、国の助成が受けられない。
(引用ここまで)