いち在日朝鮮人kinchanのかなり不定期更新日記

はてなダイアリーから移行しました。古い記事ばかりになりましたが、ボチボチ更新していこうと思います。

毎年、夏休みになると、ビギナーネトウヨが在日朝鮮人ブログにわざわざ文句を垂れに来る件

夏休みだからか、小学生のオボッチャンとか中学生のオジョウチャンとかが頻繁にやってきて、「典型的な朝鮮人ステレオタイプ(←意味分からなければ検索しようね、どうせ暇なんだし)」とか「ある在日朝鮮人が犯罪を起こした、反日朝鮮人は日本から出ていけ」とか「ある朝鮮人がこんなカキコミをしていたのが許せない」とか、いろいろ書き殴って去って行かれます。折角の夏休み、サラリーマンの私からしたら羨ましい限りなのですが、つまらない過ごし方をするものです。

何に、何故に、そこまでも、口汚くお怒りなのかもよく分からないのですが、当方からしてみれば、先ずもって「当事者能力」が無いわけだから、そんなことをわざわざたまたま見つけたであろう私のブログに書き込まれても戸惑います。エントリとも関係ないことがほとんどだから、議論や感想を書いたり見たりしている訪問者にも迷惑な存在です。このような行為を、最近私は「駄犬のマーキング」と呼んでいます(そうしたら「駄犬に失礼では?」とコメント来たから笑っちゃった^^)が、もういい加減にしてほしいので、告知のために以下の文を掲出します。今後は統一的にこちらのリンクを返答に代えたいと思います(笑)



在日朝鮮人には、本当にいろんな人がいます。日本に住むことになった背景も様々です。60万通りの歴史、人生観があります。それぞれ個別のものです。真偽も定かでない在日朝鮮人情報を、2つ3つネットで掻い摘んだからからと言って、「ザイニチは○○」と単純化などできないのです。ネガティヴな在日朝鮮人情報を収集して、個別の在日朝鮮人に当てはめ評価しようとしないことです。日本人にもいろんな人がいて、性格も様々です。それと一緒です。

*私のここでの主張は私個人のものでしかありません。在日朝鮮人という人種を代表したものではありません(当然代表する資格などない)。ですから私の書いていることは私が責任を持ちますが、他の人間が書いたことは私には責任がありませんから、それを私に見解や感想や自己批判を求められても困ります。書き込まれても迷惑です。書いた人のところに行ってください。

*例えるなら、在日朝鮮人はショッカー軍団ではない、ということです。秘密結社みたいに、世界征服的な野望を抱いて日本に降臨し、ボスの命令で動き、統一的に考えたり行動したりしないのです。仮に、とある日どこかで、ある在日朝鮮人ショッカー263号が犯罪行為を行ったとして、その責任は、当然にショッカー263号にあります。私にはありません。それを私のブログで責任を追及されても、私は何のことか知りませんし、それを聞かされる理由もありません。ショッカー263号の犯罪行為に怒りを向けたいのなら、ショッカー263号のブログかtwitterに行ってください。これは韓国の大統領が気に入らないからと新大久保の韓流ショップにケチを付けに行くバカ共と同レベルの、救いようのない行為だということです。

*もしどうしても、ショッカー263号の文句を私にぶつけたいのなら、私個人が、ショッカー263号個人の行為に対し、連帯責任を負わないといけない理由を立証なさってからにしてください。つまり、在日朝鮮人全員が例外なく秘密結社等に属し、ボスの意見どおり忠実に動き、私がショッカー263号の上司か何かで私に使用者責任がある、とか、責任を負わなければならない合理的な理由があることを立証してからにしてください。

*もっとも、在日朝鮮人というのは、日本国家が歩んできた歴史、下された判断・政策と不可分のものであり、例えば私の祖先の日本への来歴を辿ると、日本の過去の植民地支配における事件、政策に辿り着きます。私の祖父母は元大日本帝国臣民であり、戦後の日本の政策によって朝鮮人になり、その孫たる私も朝鮮人である訳ですが、その価値判断はともかく、在日朝鮮人というのは、日本の近現代史における政策が生み出した存在であり、一人ひとりの人生には、歴史性が備わっているのであって、ある日突然脈略もない日本の地に降って湧いた存在ではないのです。在日問題というのは、日本の近現代史の断片そのものであり、日本の植民地主義が払拭されないことで今なお問題が現存する「ややこしい」問題なのです。

*このような歴史連続性や現状認識に対する「ややこしさ」に対する着眼を切り落として、「ザイニチがどう」とか「朝鮮学校がどう」とか「帰化が」「通名が」などと、知ったようなことを無責任に言わないでいただきたいのです。ザイニチはそれこそ、生まれ落ちた瞬間からおのれの民族、ルーツ、名前、日本に土着するトラディショナルなエスノセントリズムに否応なく向き合わなければならない、という運命を背負っています。自分の浅い経験の中で勝手な価値判断をし、勝手にザイニチを見定め、「帰化しろ」「通名を名乗るな」「帰れ」「死ね」と、それこそ、ザイニチ当事者が一生向き合わなければならないセンシティヴな問題にズケズケとモノを申すのは傲慢です。不勉強な者にそんな資格はありません。平たく言うと、「ちょっとは勉強してから来い」ということです。

まぁ、最後にオボッチャンに一言オッチャンから。
他人の人生に口出すのは、自分が人並みに飯を食えるだけの自力と社会性を身につけてからで遅くない。自分の人生を立てる努力をせずに、他人の人生をどうこう言っても、自分の人生は満たされない。自分の心配をしなさい。