朝鮮学校補助金排除反対の朝日の社説 ― 私も思う、子どもらに責任はない。
先日私は、地方自治体が朝鮮学校に支給している補助金に対し、日本政府が「完全凍結」するよう指図する愚について書いたが、それについて朝日新聞が社説で言及しているので、記録のために、若干の見解と共に残そうと思う。
(社説)朝鮮学校補助 子どもらに責任はない
朝日新聞Web版 2016年3月21日05時00分
http://digital.asahi.com/articles/DA3S12268692.html
(引用開始)
全国各地にある朝鮮学校は、在日コリアンの子どもたちが通っている。日本の学習指導要領に準じた各教科のほか、民族の言葉や文化も学ぶ。
どの学校も財政的に運営は厳しく、所在地の自治体の多くが他の私学や国際系の学校と同じように、補助金を出している。これに対し、自民党などから補助を打ち切るよう文部科学省に求める声が出ている。
拉致問題に加え、核実験などを繰り返す北朝鮮への制裁の一環だという。いくつかの自治体はすでに補助を止めている。
だが、朝鮮学校に通う子どもたちには、核開発や拉致問題の責任はない。北朝鮮の国に問題があるからといって、日本で暮らす子どもの学びの場に制裁を科すのは、お門違いの弱い者いじめというほかない。
そもそも地方自治体が権限を持つこの問題について、文科省が介入するのは適切ではない。
日本では、民主党政権だった6年前から高校の無償化が始まったが、これも朝鮮学校には適用されていない。民主党政権は適用を保留し続け、その後の安倍政権は発足後すぐに無償化対象からはずしてしまった。
政治的理由による除外は違法だとして、朝鮮学校の生徒らが国を相手どり、東京や大阪など各地で裁判に訴えている。
国際的にも、人種差別撤廃委員会など国連の場では、高校無償化の適用除外は「差別だ」と認めたり、日本政府に対し、無償化の適用や、地方自治体に補助の維持を勧めるよう求めたりする見解が相次いでいる。
国内でも、埼玉弁護士会が昨年、補助を止めている埼玉県の上田清司知事に「極めて重大な人権侵害」と警告した。
朝鮮学校では、在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)の関係者が運営にかかわっているケースは多い。だが、政治と教育は別だ。神奈川県の黒岩祐治知事は「子どもたちに罪はない」として、学校ではなく、生徒たち個人への補助を続けている。
歴史観の違いはともかく、教育内容に問題があれば話し合いで解決すべきだ。実際、朝鮮学校の教育も変化してきている。
在日コリアンの社会は多様化しており、多くの朝鮮学校で、韓国籍の子どもが過半数となりつつある。北朝鮮の体制を崇拝している人々の子どもだけが通うと考えるのは誤りだ。
何より朝鮮学校の子どもたちも私たちの社会の一員だ。日本と隣国の懸け橋になりうる子どもたちを排除しようという思想であれば、逆に日本に反感を持つ人々を増やすだけである。
(引用ここまで)
数年前私は、朝日の朝鮮学校無償化排除反対の社説に「0点」を付けた(http://d.hatena.ne.jp/dattarakinchan/20130111/1357875261)。
しかし今回の社説は、概ね、であるが、私が拙ブログで散々書き連ねた主張と重なることも多い。ただ、気になる『視点』は指摘しておかなければならない。
>朝鮮学校では、在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)の関係者が運営にかかわっているケースは多い。だが、政治と教育は別だ。
>朝鮮学校で、韓国籍の子どもが過半数となりつつある。北朝鮮の体制を崇拝している人々の子どもだけが通うと考えるのは誤りだ。
記事はこのように、北朝鮮・朝鮮総連・朝鮮籍の『程度の希釈』を幾度か試みて、読み手側の北朝鮮・朝鮮総連・朝鮮籍に対する忌避意識を逸らし、補助金支給の拒否感を軽減することで、自らの主張の説得力を保とうと試みている。
しかし朝鮮学校の無償化問題・補助金問題の本質は、日本政府及びその盲信勢力が、朝鮮学校が北朝鮮・朝鮮総連・朝鮮籍だからといって、無償化法からの排除・地方自治体の支出たる補助金への難癖・その他ありとあらゆる政治的圧力という忌避・排斥を、なりふり構わず行っているそれ、そのものの正当性である。
北朝鮮・朝鮮総連・朝鮮籍、つまり自らの政治の『敵』のタグがついているからといって、朝鮮政府への不満・鬱憤・八つ当たりを、マイノリティの子供らに向けていること自体を、朝鮮学校の生徒・保護者・支援者・理解者、そして国際的な人権機関が問うているのである。
学校運営に関わっている朝鮮総連の関係者が多かろうが何だろうが、朝鮮籍者のパーセンテージが多かろうが何だろうが、朝鮮政府の体制擁護者が多かろうが何だろうが、朝鮮学校の生徒の学びが政治攻撃に晒されていい根拠にはなり得ない。
つまり、現政権が、自らの政治的『指向』によって、自らの掲げる憲法・自らが批准した国際人権法を歪め、朝鮮学校生徒に差別心をむき出しにして差別政策を撃つ、という『上からのレイシズム』が問われているのである。朝鮮学校の生徒の、北朝鮮・朝鮮総連・朝鮮籍の『程度』は問われていない。どころか、まったく関係が無い。
朝鮮学校の生徒・保護者・支援者は、カネを恵んでほしいから街頭に立って声を挙げているのではない。『チョーセン』であれば、あるいは、『チョーセン』だから、分断し・選別し・差別しても構わないと思い込んでいる勢力に、この社会の劣化を視るから声を挙げているのである。それは、この社会が、取りも直さず、我々が共に棲む社会であり、我々が死に往く社会だからである。
最近になって、愛知県知事や千葉市議会など、地方自治の現場から「朝鮮学校生徒への差別は否定されるべきだ」という声が出るようになった。
日本国憲法・国際人権法・こどもの普遍的権利、及び日本の近現代史の歩みから見るに、朝鮮学校の生徒『のみ』に教育の公的扶助から軒並み排斥される根拠は見出せないわけであるから、このような結論に至るのは当たり前すぎるほど当たり前で、本来ニュースバリューすらないものである。
しかしながら、昨今の『上からのレイシズム』による排除に慣れ過ぎてしまっている私からしてみれば、このニュース、そして今般の朝日の社説が、一包の清涼剤のように作用したことも、(時代の悲しさを感じてしまうのではあるが)事実である。
産経のような排外思考を恥とも思わない新聞が、まさに「書きたいように」書き、その主張とほぼ変わらない政治勢力が政権中枢に安座している現在、『まともな言論』が委縮し、お目にかかる機会が減って来ている。『まとも』にモノを考え、発信し続けてほしいと祈るばかりだ。
(付記)朝鮮学校生徒の保護者である私がこのように書くと、私が朝鮮政府や朝鮮総連の体制を賛美しているかのように書いてくる輩がいる。
私が朝鮮政府や朝鮮総連に対してどう思っているかは、朝鮮学校への差別とはまったく関係が無く、言及する必要が無いから言及していない。
しかし、頭が悪い人間は「ミサイルが云々」「金正恩が云々」と突っ込んでくる。本当に頭が悪い。ヤになる。他の稿で書いているから勝手に読め。