朝鮮学校を暴力で恫喝することに同意?する、中央日報の物凄い記事
古い記事を偶然見つけてしまった。
数々の朝鮮学校の品位を「下げる」記事に遭遇してきて、その都度思慮の浅い切り口や、「だけどチョーセンだからダメ」的着地、ネットコピペと見紛うような画一的な論旨に辟易していた。
私が唸るような明快なスジ論にはなかなか遭わない。論旨が明快であれば反対論にも一定の同意ができそうなものだが。「朝鮮学校には無償化も適用できないし、補助金も出さない」という感情先行(ヒステリック)で絶叫形でケチを付けたいことだけはイヤでも分かる。しかし全ての高校生に学ぶ機会をと言っておきながら、なぜ朝鮮学校「だけ」超法規的に無償化を適用せず、政治家たちは屁理屈をこねて「審査」とやらを引き延ばしているのか、その現状について理路整然と納得をさせられてしまうだけの記事には出会ったことが無い。私が偏屈だからなのか、そもそもこの「騒動」自体に理屈が通らないからなのか。いくら考えても私には後者としか思えないのだが、日本社会に立ち込める空気感では、私は前者として、「反日朝鮮人」のレッテルとともに片づけられるだろう。
というわけで、もともとマスコミの言論にはほとんど期待などしていないのだが、たまたま物凄い記事を見つけてしまった。今更ながら、ではあるが、書かずにはおれない。こともあろうに韓国の「中央日報」の記事である。
中央日報日本語版 【取材日記】朝鮮総連の歴史歪曲…お金が正した
http://japanese.joins.com/article/528/140528.html
2011年06月04日11時13分
(引用開始)
「朝鮮学校」は親北朝鮮性向の在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)が運営する海外同胞対象の小・中・高等教育機関だ。韓国出身の子どもたちもここに通う。ここでは北朝鮮式の韓国語を話し、北朝鮮に対する愛国心を強調する民族教育を実施する。
その朝鮮学校が最近、教科書の内容を変えた。神奈川県朝鮮高級学校(高校)は『現代朝鮮歴史』の「日本当局が(日本人)拉致問題を極大化して」という表現を削除した。1987年の大韓航空旅客機爆破事件に関しては「(韓国が)ねつ造した」という表現を「(爆破事件が)起きた」と変えた。
この学校が変わったのは、日本地方自治体の財政支援中断圧力のためだ。神奈川県は昨年、県内朝鮮学校の教科書の表現などを問題視し、補助金支給の中断を決めた。慌てた朝鮮学校側は教科書の改訂を約束して支給の中断を防いだ。黒岩祐治神奈川県知事は「補助金を来年も支給するかどうかは授業をどうするかにかかっている」と圧力をかけた。
3月には大阪府の朝鮮学校が補助金中断圧力に教科書改訂を約束している。大阪府はさらに故金日成(キム・イルソン)主席と金正日(キム・ジョンイル)国防委員長の肖像画を教室から下ろせと要求した。
日本政府は昨年、高校授業料無償化を実施し、朝鮮学校を対象に含めるかどうか天秤にかけた。政府が授業料の代わりに支給する支援財政が金正日称賛教育と北朝鮮政権支援金に流れるという世論が強まったからだ。
これに対し、朝鮮学校は文部科学省の視察に合わせて思想教育資料室の扉を閉め、『現代朝鮮歴史』授業を暫定中断した。文部科学省は昨年11月、授業料支援を決め、「お金を他の用途に使わなかったという立証書類を提出し、教育内容を改善しなさい」と要求したが、特別な反発はなかった。「共和国臣民」という朝鮮総連の自尊心は見られなかった。北朝鮮の相次ぐ国際的な犯罪と挑発で、朝鮮総連の日本国内での位置づけが墜落したためだ。
2002年に北朝鮮が日本人拉致を認めると、地方自治体は次々と準外交機関として朝鮮総連支部に与えてきた免税の恩恵を剥奪した。北朝鮮がミサイル発射を強行した06年には、各地の朝鮮総連の建物が火に包まれたり、朝鮮学校女子学生のチマチョゴリが切られたりした。昨年11月に北朝鮮が延坪島(ヨンピョンド)を砲撃すると、16の県議会が朝鮮学校を無償授業対象から除外すべきだという意見書を採択した。日本右翼が主導する反北朝鮮、反朝鮮総連世論が力を発揮したのだ。
朝鮮総連はかつて年間2兆ウォンを献金した北朝鮮の主要資金源だった。しかし北朝鮮政権の犯罪と挑発で朝鮮総連は自尊心まで捨てることになった。
(引用ここまで)
私はこれまでのエントリーで、朝鮮学校「だけ」が高校無償化の対象から除外されるのは、理屈が合わないときっぱり反対してきた。(興味がある人は散々書いているので読んでみてください)
「チョーセン」であれば理屈が通らなくても人権侵害でも法律に基づかなくても何でもアリだという、現状の日本社会の感覚の劣化を問うてきた。この記事も、政治家がおのれの見立てで「俺が気に入るように教えろ」「さもなくば無償化もしないし補助金もやらない」と朝鮮学校に『だけ』好き勝手言っているのを、「チョーセン」だから当然と考えている。これまでの数多の日本のマスコミ言論と同様の図式なので、探さなくてもいくらでも溢れている。これだけなら別段気にも留めなかっただろう。これについての所感も散々書いたので、改めて書く気も無い。
しかしこの記事で問題にしたいのは以下の内容だ。
北朝鮮の動静に関連して起こった「各地の朝鮮総連の建物が火に包まれた」「朝鮮学校女子学生のチマチョゴリが切られたりした」という悪質な暴力行為を、免税解除や意見書採択という他の反北朝鮮動向と並列に置き、「日本右翼が主導する反北朝鮮、反朝鮮総連世論が力を発揮したのだ」と、まるでそのことが正当な行為であるかのような評価を下していることである。
北朝鮮に対してどう思おうが、どう批判しようが、そのことは正当な手続であったり表現行為であるなら許されよう。しかし総連の施設に火を投げ込むとか、チマチョゴリを切り裂くとかという卑劣極まる暴力行為は決して許されない。おのれの主張や示威のために暴力を用いるというのは、人間として最も愚劣であり、そのような表現行為が許容される余地が無いことは、発信者受信者間で当然に共有されるべき前提だ。マスコミの記事で無くても、当たり前の話である。
ところがこの記者は、このような愚行を「反北朝鮮・反総連」のいち現象として片づけてしまっている。同じ民族の海外僑胞の少女がチマチョゴリを引き裂かれ、その幼い心に拭い去れぬ傷を負ったのに、である。日本社会の陰湿なレイシズムがおのれの民族にその牙を剥いたのに、この記者は、その凶行を少女とともに怒り、悲しみ、少女の心に残った暗い影に想いを寄せることもせず、「チョーセン」だからそんなこともOK、と言わんばかりに同意して見せているようだ。
この記者は京都で、徳島で、日本各地で、朝鮮民族(韓民族)に対するレイシズムに根差した暴力行為が繰り返されたことに、おのれの民族的アイデンティティには何も響かなかったのか?自尊心は傷つかなかったのか?自分は韓国人で「チョーセン」ではないから、関係無いとでも言うのだろうか?いずれにしても、厚顔無恥でめでたいという他無い。
マスコミ人のこの感覚の劣化というのは、何と表現すればいいのか、容易に言葉が見つからない。
上記と同レベルのことだが、北朝鮮の為政者とその下に暮らす民衆を同一視し、為政者への批判をそれを「知ったこっちゃない」民衆に向けるという、レベルの低い愚にやすやすと乗ってしまう、その単純さ、単細胞さがマスコミに蔓延している。マスコミの厚顔無恥な記事を見るたびに、果てしない徒労感が襲ってくる。