朝鮮学校へ補助金代わりに「拉致本」支給 ― 日本政治の劣化が止まらない
下村文科相が朝鮮学校を無償化から排除することを正式に表明してから数日が経過した。各自治体ではこれまで支給していた補助金を軒並み打ち切りそうな勢いである。
これまで他のエントリで散々繰り返してきたことを、また書くことになるが、私は今般の朝鮮学校への差異的な取扱いを不当な差別であると認識している。それを端的に記述すると以下のとおりである。
*日本も批准している子供の権利条約と国際人権規約によって、全ての子供たち(国籍や民族を問わない)は、どの国に住もうとも、教育を選択する権利や、民族的アイデンティティを保持しながら教育を受ける権利を有している
*日本政府はこれらの国際人権諸条約の締約国として、それら条約が保障する少数民族の独自教育権保障を実践しなければならない義務がある
*従って、日本の行政府は、朝鮮学校等の子どもたちへ就学支援金支給などの公的保障を行う義務がある
*この義務は『努力義務』などではなく、日本国憲法98条が定める『憲法の最高法規性及び国際法規の遵守義務』から導かれるものである
*すなわち、日本国憲法は日本国の最高法規であり、同じく日本国が締結した条約及び国際法規は遵守しなければならず、これに反する国内法、命令は、憲法・条約に対する違反であり、無効である
*公務員は憲法を尊重し擁護する義務がある
*これにより、高校無償化法、各自治体の補助金等、日本国内に存する学校にあまねく補助が与えられているところ、朝鮮学校のみを排除する、今日の立法不作為、補助金支給打ち切り等は、法的根拠を持たない
*日本は法治国家である以上、法に基づき業務を執行しなければならないところ、行政の長等が、「民意」など、法的根拠を持たない事情をして、差別的取扱をすることは根拠がない
日本の為政者はいろいろ難癖をつけて朝鮮学校を切り捨てているが、「法的に」何を根拠にしているのだろうか?
当然に、朝鮮学校のみを差別的に取り扱っているわけであるから、行政側にはこれを明確に「法的に」説明する義務が生じるわけであるが、そのような説明は一切聞かれない。「核」「ミサイル」「拉致」「朝鮮総連」は、民族教育の保障という作為義務と「法的に」何の関係があるのだろうか?日本はいつから法治国家でなくなったのだろうか?まったく理解できない。
私は数年前から、朝鮮政府への真っ当な批判や意見ではなく、『チョーセン=悪』という当て付けが固定化され、朝鮮に関する全てが悪魔化されることにより、人びとが正常な感覚を失い、思考が停止することを危惧してきた。それが来るところまで来ているようだ。事実、『チョーセン』と名の付くものであれば、人であれ物であれ歴史であれ、そして学校であれ、全て「悪」で片付けられている。実際の中身がどうであるかの吟味を経ず、時間的空間的条件もスットバシながら、『チョーセン』の全てが負の記号に単純化している。マスコミではそのような思考回路が持つ危険性にすら問題意識がない。ものすごい状態だ。
それに関連して、とんでもない情報がネット上に出ていたので記録しておこうと思う。
朝鮮学校へ補助金代わりに「拉致本」支給 川崎市長が仰天プラン
zakzak 2013.02.20
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20130220/dms1302201219011-n1.htm
(引用開始)
川崎市の阿部孝夫市長が、北朝鮮の核実験への“仰天対抗策”を披露した。何と、市内の朝鮮学校2校に対する2012年度の補助金のうち未執行の計約300万円で、拉致被害者、横田めぐみさん=拉致当時(13)=の父、滋さんと、母、早紀江さんの著書などを購入して、現物支給するというのだ。
「抗議の意志を込め、(朝鮮高校の)生徒の各家庭に現物を配分する。生徒にも拉致被害者救出に協力してもらいたい」
阿部市長は19日の定例会見でこう語った。市内に横田夫妻が住んでいることを踏まえたものという。横田さんの著書以外にも、拉致被害者救済関連の資料や本なども購入し、支給するという。
ただ、13年度当初予算案に計上している市内の朝鮮学校への補助金841万円について、阿部市長は「日本人の国益に合わないことが行われているようであればきちんと対応すべきだ」と指摘したうえで、「教育の支援をやめるというのは極端だ」と語った。
朝鮮学校をめぐっては、下村博文文科相が19日の記者会見で、「朝鮮学校は在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)の影響下にある」として、高校無償化の対象外とすることを明言。神奈川県の黒岩祐治知事も、補助金を13年度当初予算案に計上していない。
関係者によると、阿部市長の判断に対し、朝鮮学校側は「それは困る」と絶句し、横田さんも困惑気味という。
果たして、今回の現物支給は、良策なのか、愚策なのか。
(引用ここまで)
まさに「仰天」だ。日本の為政者のこの「感覚」はなんと表現していいのか?にわかには思いつかない。
私はこの報に触れて、本当に吐き気を催し、残業を止めて帰ってきたぐらいだ。
朝鮮学校の生徒が当然に享受すべき民族教育を受ける権利を政治パフォーマンス目的で斬り捨てる感覚も物凄いが、その生徒たちに向かって、
>抗議の意志を込め
て拉致事件の書籍を送りつけるのである。拉致に何の責任もない生徒に向かって、目的不明意味不明な手段を持って抗議の意思を示して、生徒たちがどのように受け取るだろうか?
まともな想像力すら及ばないのだろうか?
学習内容が気に入らないと難癖をつけ、極めて政治的な、しかも子供たちに現在進行形で向けられている心無い排撃の背景に横たわっている、子供たちには何の責任もない事件の書物を、子供たちの家庭にまで送りつけ、「読め!」と迫るのである。ここまで露骨な政治攻撃を、公金を用いて、マイノリティ、それも子供に対して行うのである。
市長は、この政治行動に対して、生徒たちに如何なる『学習効果』を期待しているのか?日本の政治に対する幻滅以外の学習効果は期待できないと考えるのは私だけではないはずだ。
しかも、
>生徒にも拉致被害者救出に協力してもらいたい
などとのたまっている。生徒たちに期待する拉致被害者救出の行動とは具体的に何を想定しているのか?自分たちの学びを制限し、政治的な攻撃に晒して一旗揚げようとする人間に、何を、どうやって協力するのか?多分よく考えずに口から出任せを吐いたのだろうが、アホ以外の言葉が思いつかない。
川崎は日本の中でも朝鮮人が集住する地域の一つである。京急川崎駅前には小規模ながらコリアンタウンが形成されており、地域の生活や経済に彩りや潤いを与えている。日本において異文化との共生が長く定着しているこの地において、民族教育を行う朝鮮学校は、多国語を操りながら地域の文化経済の水準を支える、地域貢献しうる人材を輩出している拠点に他ならない。
本当に、何を言っているのか?
一体どうしたのだろうか?
日本政治の劣化は、止まる気配を見せない。どこまで堕ちるのだろうか?