いち在日朝鮮人kinchanのかなり不定期更新日記

はてなダイアリーから移行しました。古い記事ばかりになりましたが、ボチボチ更新していこうと思います。

人々を選別し、敵を指し示し、攻撃を扇動することが賞賛される「国」は、美しいか?

この間、あまりに仕事が充実しすぎて『社畜を満喫していた』のと、プライベートが多忙すぎたので、まったく更新ができなかった。
コメント欄にはヘイトがあふれていて、何度か、はてなからコメント欄の制御要請(要は激烈な差別表現を間引けという要求)が来ていた。
何とかせねばならぬ、とは思っていたが、身が割けなかったは弁解の余地もない。
しかし、何度かブログ内で表明しているとおり、「差別は現に存在している」ものであるから、明らかな差別意図を含んだコメントを、間引いで見えなくするのは違うと思っている。
Yahooのコメント欄のような拡散性は拙ブログには無いし、愚かな差別文言が拙ブログで半永久的に晒されるのも、この時代の『負のモニュメント』として、存在価値があると思っている。

いい素材があったので、久しぶりに、短く書こうと思った。




大量懲戒請求 賛同した女性「洗脳状態だった」
毎日新聞 2018年10月23日 16時45分
https://mainichi.jp/articles/20181023/k00/00e/040/296000c



(引用開始)

在日コリアンらの排斥」を訴えるブログの呼び掛けに応じ、多数の読者が2017年、各地の弁護士を対象に計約13万件の懲戒請求を出した問題で、実際に請求書を出した女性(50歳代、首都圏在住)が毎日新聞の取材に応じた。女性は「ブログに不安感と恐怖感をあおられた。洗脳状態だった」などと主張し、「現在は請求したことを後悔しており、謝罪文を送付して一部の弁護士とは和解した」と話した。【後藤由耶/写真映像報道センター】

女性があおられたとするのは「余命三年時事日記」と題された匿名の筆者によるブログ。「南北朝鮮人は日本の癌(がん)」などとしたうえで、読者に(1)「在日」と見なした人物を「不法残留者」として入国管理局に通報すること(2)「反日」などと見なした人を外患誘致罪などで検察に告発すること(3)朝鮮学校への補助金停止に反対する弁護士会長声明に賛同することは「確信的犯罪行為」などと理由を付けて、賛同した弁護士らの懲戒請求をすること−−など具体的な行動を促してきた。

今回、取材に応じた女性は落ち着いた語り口で、丁寧に言葉を選びながら記者の質問に答えた。請求した相手や提出件数は正確に覚えていないが、請求した人数は「だいたい170人くらい」とし、「(ブログの書き手に)言われるがままにやっていた」と振り返った。請求された弁護士らが逆に、業務妨害などとして損害賠償請求する動きが報じられ、初めて「恐怖を感じ、まずいことをしたと気づいた」と言う。

女性がこのブログと出合ったのは15年、あるお笑い芸人のネタが「反日的だ」とするネット上の書き込みを見たのがきっかけだった。そこからネットサーフィンするうちにたどり着いた。過激な文言が並ぶ中でも、とりわけ「日本が韓国・中国と紛争状態になったら在日コリアンらと実質ゲリラ戦の状況となる」の記述に危機感をあおられたという。女性はブログからの「指示」を楽しみに待つようになり、「日本を守るために」と指示を実行していく。ブログ運営者の活動費にしてほしいと現金を寄付したこともあった。

弁護士への懲戒請求は、所属する弁護士会宛てに必要書類を送れば誰でもできる。弁護士法に違反するなど「品位を失うべき非行」があると認定された場合、弁護士は業務停止や除名などの懲戒処分を受ける。

女性は大量の懲戒請求について「負担感は全然なかった」と振り返る。ブログのコメント欄に自身の住所・氏名を書き込み意思を伝えると、昨年5月と10月にそれぞれ約200枚の告発状と懲戒請求書が送られてきた。対象者名や請求理由は記載済み。女性は自分の氏名と住所を書き込んで押印、まとめて東京都板橋区にある指定場所へ郵送するだけだった。ネット動画を見ながら作業し、半日もかからずに書き終えたという。

事の重大さに気付き、このブログを読むことをやめた今は「対立をあおって戦わせようと仕向けるカルト性が高い危険なブログだった」「信者になっていた」と感じている。「朝鮮学校への補助金支出は誤り」という考え自体に変わりはないが、懲戒請求という「手段が間違っていた」と振り返る。

    ◇    ◇    ◇

一方、標的とされた弁護士は「これは明らかにヘイトスピーチだ」と憤る。

東京弁護士会に属する在日コリアン3世の金竜介弁護士は17年11〜12月、959人から懲戒請求を申し立てられた。「単純に名前を見ただけで対象に選んだのだろう」(金弁護士)。書面には自身を含む8人の「在日弁護士」の名前が連ねられていたが、いずれも仕事上のつながりのない人たちだった。

金弁護士は「(請求は)人種差別が目的」と断じる。ネット上の扇動をきっかけに自らの氏名と住所を明かして請求行為をするという点で、「匿名のヘイトスピーチとはまったく質が違う」とも指摘した。今年7月、請求者数十人を相手取り損害賠償請求訴訟を起こしたのは「ここで歯止めをかけないと直接的暴力につながる」との危機感があるからだという。

「もはや教育や啓発活動だけでは(対応策は)足りない段階に来た」。金弁護士は歯止めとなるような新たな法整備が必要だと訴える。

960人から懲戒請求を受けた札幌弁護士会の池田賢太弁護士には、今年7月までに7人の請求者から「謝罪文」が届いた。しかし、「そこに『差別をした』という認識はなく、損賠請求を免れるための手紙としか読めなかった」と厳しい見方を示す。

池田弁護士は今回、95年前の関東大震災時に起きた朝鮮人の虐殺事件を想起して強い恐怖を感じたという。「当時はデマを伝える手段も限られていた。今のように誰もが瞬時に情報発信できる中で同じようなことが起きたら、いったいどうなるのだろうか」。近年は大きな災害が発生する度に、排外的なデマがネット上で流布する状況だからだ。

池田弁護士は、うち3人の請求者にこんな返信の手紙を送った。「あなたがなすべきことは、あなたの中に明確に存在する『差別をする心』と向き合うことであり、差別を楽しむこととの決別です」

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ブログの運営資金などを管理しているとみられる法人の代表者は毎日新聞の取材に応じ、「口止めをされている」「(ブログの管理人が)どこにいるか分からない」などと話した。複数の関係者によると、管理人は70歳代で元タクシー運転手だという。ブログの投稿欄を通じて取材を申し入れたが、23日現在で返答はない。

弁護士の懲戒制度

弁護士には業務上の「自治」が認められ、懲戒処分は行政庁ではなく弁護士法に基づいて所属する弁護士会が行う。懲戒請求は誰でもすることができる。会員弁護士らでつくる委員会が調査し、処分(戒告、業務停止、退会命令、除名)を検討する。全国の請求数は年間数千件で推移してきたが、昨年はブログ「余命三年時事日記」の扇動を背景にした請求の影響で約13万件に上った。

(引用ここまで)



例の、「余命日記」に扇動されて、(ほとんどが)無関係の弁護士に大量に懲戒請求を出した愚者が、毎日新聞に言い訳をしている。
「洗脳状態だった」「カルトだった」「自分が差別主義者だと言われてもピンとこない」と、本当にピントのずれた寝ぼけた言い訳を並べている。
在日の弁護士に対し、在日だからという理由で懲戒請求を送るという行為を、「ただ言われたから」「書いていたから」と、『当事者性』を放棄して、あっけらかんと語る。

端的に言えば、無知そのもの、という愚かさだが、
無知なのにここまで他者を攻撃できる愚かさ。被告人席に座るいまに至っても、「ブログが悪い」と、自分の行動の責任を他者に転嫁する愚かさ。二重三重の愚かさに見合う言葉を、私は見つけられずにいる。本当に、ただただ愚かだ、としか言いようがない。

この国では、人々を「我」と「彼」、「味方」と「敵」という二極構造で選別するという図式を、行政府の長が多用してきたことに象徴されるように、選別主義的な物言いや思考回路が本当に幅を利かせてしまっている。「敵」はここにいる、「敵」は「我」を攻撃しようとしている、「敵」をやっつけなければ「我」は脅かされるといって、人種や信条で「敵」を括り、それをあげつらいおとしめるといった言動が、日々繰り返されている。そして、「敵」には何をしてもいい、「敵」は「敵」なのだから、真理も理論も法治も理想も理性も何もかも放り出して、屁理屈やへったくれを押し付けて、自分たちの思い込む『正義』を追求すればいい、と思っている。日々その図式が、政治の場で、ネット上で、テレビで、裁判所で、そして社会の日常で、量産され、疑問は挟まれず、よくやったよく言ったと賞賛されてさえいる。
私が例示するまでもなく、そのような光景は、日本のそこかしこに、本当に至る所にある。社会を分断し、人々を対立させ、コストや時間をことごとく費やして「分ける」ことに心血を注ぐ、今日の日本の風景である。

件の事件は、「ザイニチは日本(人)の敵だ」と差別を扇動するブログによって、攻撃対象を指し示され、実際にその攻撃に手を下す文字通りの愚者が大量に発生した、という事件であるが、
 *攻撃内容がとにかく稚拙であり、
 *攻撃対象が、あろうことか法律の専門家である弁護士だった
ことによって、幸いなことに、攻撃者がその行為に見合うちゃんとした責任を取らされることで収束しようとしている。

しかし、同様の図式が再生産されることによって、いつ何時私や私の家族が攻撃される、という具体的な恐怖が、私にはある。私は、私の家族は、朝鮮人だ。余りに分かりやすく、余りに「敵性」性向が強すぎる、在日朝鮮人という識別記号から、私は逃れられない。いくら取り繕おうが、いくら名前や素性を偽ろうが、まごうことなく、私は朝鮮人だ。
社会が、あげつらうほど、おとしめるほど、その識別記号は鮮明化し、ユダヤ人排斥の際に書きなぐられた六芒星のように、私の人生に影を落とす。朝鮮人であることは、運命だし、悪いことでも何でもないが、この運命とともに生きることに、困難の度合いが日々増している。そういう社会に、日本社会は、だんだんと、しかし着実に、巻き戻ろうとしている。

そして、私のこの恐怖は、件の愚者の言うところの、抽象的で中身が無い、幻想の『恐怖』などではない。
実際に大震災の時にこの社会はデマに乗って朝鮮人を殺しまわり、実際に一世紀以上も前から現在に至るまで制度的な排斥を崩さず、社会の分配から除け者にし、我々の子女はチマチョゴリの制服では街中を歩けなくなり、有形無形のいじめや享楽の対象にされてきた、という具体的な積み上げがある恐怖である。ブログで煽られた程度で、脳味噌を通過せずに差別行為人権侵害行為を平気で繰り出す人間がこれだけ発生する今日、情勢不安や為政者の物言いから、いつでもそれが大規模化先鋭化するだろう、という、予兆をも感じる恐怖である。つまりジェノサイド前夜の被排斥者の恐怖である。

この社会は、私の、私の家族の、そして在日朝鮮人コミュニティの抱える、この恐怖に対する想像力を、欠片程度でも持ち合わせているのだろうか?
毎日のように意識せざるを得ない、この社会に対する疑問である。