「あなたたちのことを快く思っていない人もいるんだからね」に思う。
朝鮮学校の『無償化』適用問題が議論(というか文句言い)の最中にあった際、よく言い捨てられた言説に、「朝鮮学校ももっと情報公開して疑念を払拭すべきだ」「朝鮮学校がもっと身近な存在になれば差別もなくなるんではないか」というのがありました。
ところが実際は、朝鮮学校は授業も教科書も公開していますし、財務状況もWeb上に晒しています。近隣の日本の学校との交流も盛んです。校庭で実施される納涼大会やバザー等の催しは近隣住民にも開放されていますし、大学のゼミの研究対象になったり、マスコミが入り込んで取材対象になったり、多くの出版物や映画の舞台になったりと、外部からの眼は幾らでも注がれています。また、朝鮮学校の生徒がクラブ活動で様々な活躍を見せる姿は、いまや非常に手軽に感じとることができるようになりました。ラグビーやボクシングの全国大会に出場するのに始まり、文化系のクラブもコンクールに出場したり、発表会や展示会を一般に公開したりしています。
全国に100校前後しかなく、国庫扶助も一切無く財政的に窮々としている朝鮮学校が、自らの限られた資源の中で、やれることはとことんやっている、というのが実際なのです。
結局のところ、これは『キタチョーセンのよく分からない学校』である朝鮮学校に公金を投入するなら、根掘り葉掘り晒さなければ納得ができない、という欲望所以の言説なのですが、もっとも、「情報公開」だの「身近」だのというのは、他の学校には何ら求められていないことです。それこそ、みなさんの近隣の学校がどのような教育方針で、授業を一般に公開しているかどうかなどに、いちいち関心を向けている人は少数派なはずです。それが朝鮮学校に関しては特別に情報を求めようとし、各人が好き勝手に情報公開のラインを設定し、そのラインに届かないか、自分が気に入らないものなら、税金は投入するな、という屁理屈なのですから、何重にも醜悪です(一応朝鮮学校以外の小中高の教育課程には年間でどれほどの額が投じられているかは、他にエントリがありますから参照してくださいhttp://d.hatena.ne.jp/dattarakinchan/20130820/1376958063)。
繰り返しますが、朝鮮学校は日本のいわゆる一条校ではないという特殊性から「謎の学校」扱いされていますが、相当に開かれた学校です。その気になれば、幾らでも情報に触れることができます(但し「その気になる」とは、週刊誌やワイドショー的な怖いもの見たさ発進の下衆根性ではなく、民族教育の意義や歴史を踏まえて理解、研究する意志のこと)。是非、朝鮮学校のことを知りたいのであれば、実際に手を伸ばして触れてみてください。朝鮮学校の敷居はそんなに高くはないのです(但しセキュリティーのことがあるので勝手に侵入してはいかんし、中で学校の意志に反して暴れまわるのは業務妨害ですよ、言わずもがなやけどね)。
毎度のことながら、前置きがかなり長くなりましたが、
先日、大阪の朝鮮学校の、文化系クラブの発表会があって、私も仕事を終えるが早いか真っすぐ大急ぎで会場入りし、じっくり鑑賞してきました。別にホールの入口で入場券や身分証の提示を求められるわけでもなく、入場無料ですんなり入り、朝鮮学校の現役生徒たちが、一生懸命ハツラツと歌ったり踊ったり奏でたりする姿を見て、純真かつひたむきな姿に感動を覚えたひとときでした。
ところが、ちょっとした出来事がありました。事件というわけではない、ほんの小さな出来事でした。
しかし私のアタマのなかに小さなシコリとして、いまも残り続ける出来事です。
その催しが好演で非常に盛り上がったこともあり、予定より少し遅れて終わりました。ホールの退去時間を過ぎてもまだ完全に撤収できておらず、関係者も撤収を手伝っていました。私も知り合いの学校関係者に呼ばれて撤収を手伝っていました。
そこにホールの警備担当者(たぶん市の職員とかではなく委託の民間業者の職員)が苛々した表情を浮かべながら近寄って来ました(ホールの退去時間を過ぎているのだから当然です)。私がスーツ姿だったからか私を学校の教職員だと勘違いしたのでしょう。私も一応関係者のような感じになっちゃってたので、会釈のつもりで「すいませんねぇ」と声を掛けました。するとその方が、私に話しかけてきました。
職員:「困りますよ、規則を守ってもらわないと。早く退出していただけませんかねぇ」
私:「すいませんねぇ、もう少しで出れると思いますんで」
職員:「あなたたちのことを応援してくれる人たちばかりじゃないんだし、快く思っていない人もいるんだからね。こんなんじゃ余計に反感を持たれちゃうよ、早くしてください」
このように言い残すと、彼は再び持ち場に消えて行きました。
私はその後、その職員に言われたコトバが脳味噌の奥底で反響し続けるのを確実に認識しながらも、それを誰にも言えずに元の手伝いに戻りました。無事に帰途につく生徒と職員を笑顔で見送り、私も帰りの車に乗り込んだのですが、帰りの道中でも、家で晩酌しながらも、寝床についても、そして現在に至るまで、私の脳裏での反響は続いています。
「あなたたちのことを快く思っていない人もいるんだからね」
上手くは言えないのですが、
今回、何故朝鮮学校側が予定を超過してしまったのか、原因は知る由もありませんが、ホールの退去時間を超過してしまったことは朝鮮学校側に非があります。それはそうです。しかし朝鮮学校が今回キマリを守れなかったことで、朝鮮学校及びその生徒が、『余計に』反感を持たれる、というところまで、直ちに同意しろ、というのは謂れがないことだ、と正直思いました。
今回はホールの利用時間をキマリより超過してしまった、ということですが、私はこれまでに仕事やプライベート、種々のしがらみを抱えるなかで、公共のホールや会議室を借りる機会が何回もありました。結構利用時間は守られていないことが多いです。ときには前の団体が何十分も時間が延びて、結果自分らの会合を繰り下げて実施しなければならない、ということもありました。そんなときに施設の職員が、その団体の出自や属性をあげつらって皮肉を言う、なんてことは勿論ありませんでした(例えば「あんたらジイサンらが遅れたから、高齢者みんながそんなだらしない人らだと思われちゃうよ」みたいなことを吐いたら、それこそ大問題になりますよね)。
非があることはそのとおりなんだけれども、
在日朝鮮人や朝鮮学校のそれは、他の数多あるそれとは違い、その出自や属性と結び付けられ、それらに対する反感を呼ぶことになる。
これってなんだか、ヘンじゃないでしょうか?
翻って、
京都朝鮮第一初級学校の事件を追った、中村一成さんのルポによると、今日現在でも校庭が無く、或いは狭く、公設の公園を授業等で使用している京都市内の小中学校が複数あるそうです。しかし、行動する保守界隈の面々は、見事に朝鮮学校のそれだけを問題にし、暴虐の限りを尽くし、その爪痕は今も幼き生徒の胸に暗い影を落としています。幼児帰りをし、夜泣きや夜尿症を起こし、大きな音に怯え…
校庭が無い、公園を校庭代わりに使う、ということは、勿論教育環境や周辺住民のことを考えるとベストな選択ではないにしても責められる話などではない。それなのに「朝鮮学校も悪いんだから仕方が無い」「在特会の主張は正しいが方法が悪い」などという理屈が幅を利かしている…
私たちは「朝鮮人だから」「朝鮮学校だから」と無理を通したりしているわけではなく、あくまで法に基づき主張し、あるいは多数の日本人と同様の利益しか得ようとしていません。それなのに、周囲はことあるごとに「朝鮮人なのに」「朝鮮学校なのに」と、特別視し、知恵を絞って差異を設けようとする。
私たちは聖人でもなければ優秀なエリート集団でもない、いわゆるコテコテの関西人であり、ルーツを朝鮮半島に持つという共通項で、共に学び、コミュニティーを形成した集団です。ときにはうっかりミスもするし、キマリを守れなかったりもするし、ときには犯罪者も生まれます(笑)。しかし我々のそれは殊更に大きな拒否感や嫌悪感を生み出し、「朝鮮人のDNAが」「朝鮮学校の反日教育が」と、非科学的かつ感傷的な反応を返され、ネットで吊るしあげられ活字が躍る。
朝鮮学校の生徒は、いつでも好奇や嫌悪の眼差しで見られ、普通の高校生なら他愛もないことで片づけられることも朝鮮学校生のそれとして取り上げられる。
「朝鮮人が…」「朝鮮人のくせに…」
いまも私の脳裏に響くあのコトバは、「あなたたちヨソモノがルールを破るなんて何事だ」「のび太のくせに生意気だぞ」の異音同義語のように思えてきます。
ただの警備員のオッチャンの皮肉なのだが、その類のコトバや経験が私と周囲で積み上がっている現在、『皮肉』としては額面どおり受け取ることができず、このように悶々と長文を連ねています。
「あなたたちのことを快く思っていない人もいるんだからね」
みなさんはどう思われるでしょうか?