いち在日朝鮮人kinchanのかなり不定期更新日記

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朝鮮学校の歴史を学ぶ ― 『民族教育歴史資料室』を訪れる

大阪のある朝鮮学校には、『民族教育歴史資料室』という展示スペースがある。使われなくなった教室を使って作られたものだ。

教室の年季の入った黒板はそのままに、残る三面の壁、および教室中央部に展示パネルが備え付けられている。壁面をぐるりと回ることで、朝鮮学校の草創期から現在に至るまでのあゆみを時系列で捉えることができるようになっている。

壁面上部が年表で、その下にそれぞれの時代の写真資料およびその説明、その当時の生徒や教員らの証言などが掲載されている。最後部では現在の朝鮮学校の教育指針等が示されている。所狭しと掲げられたパネルたちが、この地に息づき、今も消えずに残る民族教育の灯火、朝鮮学校の長い長い歴史を物語る。


教室中央部の展示パネルはブース状になっており、黒板に向き合う面からそのブースの内部に人が出入りできるようになっている。ブースの中央には低学年用と思われる小さな机と椅子が据え付けられている。その椅子に腰掛けると、ブース内面に貼られた在校生たちの笑顔溢れる写真に囲まれ、窓からは教室正面の黒板を見ることができ、その黒板にはこの資料室を訪れた方々がメッセージを残している。

現実の話をすれば、朝鮮学校の運営はどこも本当に厳しいと聞く。ただでさえ少子化で子供の人口が減っているうえに、民族学校に送る世帯は少数派だ。通学範囲かどうかという物理的理由、経済的負担が大きいという理由もあるが、何よりも世代が代わるに連れて民族としてのアイデンティティが希薄化し、民族教育を与えることに価値を見出す世帯が少しずつ減っているという事実もあるだろう。しかしながら、現在もなお朝鮮学校は多くが日本の地で維持されている。朝鮮学校に現役で通うのは、在日朝鮮人4世から5世の世代だ。これだけ世代を経ても、それでも朝鮮学校に通わせよう、朝鮮学校でなければできない教育がある、という強い確信の元、維持させていこうという意思、意欲が朝鮮学校を支えている。それが無ければとっくの昔に朝鮮学校は歴史の遺物として朽ち果てていただろう。

朝鮮学校があらゆる受難を乗り越えながら、現在進行形の行政の差別に耐えながらも、なぜに消えずに残っているのか。この資料室に訪れれば、朝鮮学校の歴史を、それぞれの断片で継いできた者の想いが伝わってくる。

非常に工夫を凝らして、時間をかけて作った資料室だという感がある。朝鮮学校の歴史をこのようなカタチで残してくれた方々に敬意を表したいと思う。

なお、私はこの朝鮮学校で行事があった時に、案内を見かけて立ち寄らせていただいた。写真等も私が撮らせていただいたものだ。ただ私は現在この朝鮮学校の職員や保護者ではなく、展示写真や資料文書等の権利関係、許諾関係を確認できなかったので、資料内容の個別の説明は省かせていただく。
また、一般の方の訪問の可否、訪問の申込方法についても存じ上げず、詳細を書くと関係者の方に迷惑をかけることになるので、学校名等も伏せさせていただいた。お断り申し上げる。