保護者、在日同胞、日本人、大学教員、韓国の芸能人… ― みんなで朝鮮学校の子供たちの学びを支える。
朝鮮学校の「無償化」問題等に絡めて、朝鮮学校の学びを維持するための様々な取り組みについて書く。
朝鮮学校への「高校無償化法」適用排除、それに端を発すあらゆる公的扶助の廃止措置は拙ブログでも散々取り上げてきた。この差別政策への流れは今となっては既成事実化しつつあるが、まだ議論(と呼べるかどうかはさておき)の途上であった昨年まで、朝鮮学校排除派が語っていた言説は、「朝鮮学校に公金を投入するなんて許せない」「朝鮮学校を無償化するなんておかしい」というヒステリックなものが支配的であった。派の中には、扇情に脊髄反射したかのように、まるで朝鮮学校のみに公金が投入され、朝鮮学校の授業料のみが『タダ』になるかのような物凄い勘違いをかましている言動まで垣間見られた。
言うまでもないことなのだが、日本の初等中等教育には、漏れなく公金が投入されている。生徒ひとりあたりにどの程度の金額が拠出されているのか、官公庁が発表した数値を見てみる。
先ずは公立学校である。文部科学省が2012年12月21日にリリースした、「平成23年度地方教育費調査及び教育行政調査(確定値)についてhttp://www.mext.go.jp/b_menu/toukei/001/005/__icsFiles/afieldfile/2012/12/21/1322988_3.pdf」という資料によると、平成23年度の公立学校の児童・生徒1人当たりの年間教育費の負担額は、小学生が約90万8千円、中学生が約107万3千円、高校生(全日制)が約112万7千円となっている。そして小中学校は憲法により無償教育、高等学校も高校無償化法により授業料免除である。
次に私立学校である。適当な資料が見つからなかったが、文部科学省リリースの統計数値(文部科学統計要覧(平成25年版)http://www.mext.go.jp/b_menu/toukei/002/002b/1337986.htm)から必要な数値を抜き出してみると、下図のとおりとなる。
加えて保護者への直接給付型の補助等、統計数値に表れていないものもある。国の高校無償化法の私立学生への給付たる『就学支援金制度』や、東京都の『授業料軽減助成金制度』など、多面的な扶助が用意されているが、自治体ごとに制度概要が異なる。割愛する。参考までに東京都の私学助成の実際が東京都のホームページに紹介されていたので参照願いたい。http://www.seikatubunka.metro.tokyo.jp/shigaku/jyosei/uneikeihi.htm
これに対して、朝鮮学校への補助金は、国からの給付、私学助成金のような法的に明確な助成制度が無い中、「準学校法人」たる各種学校への補助金給付は各自治体の裁量に委ねられていたところ、朝鮮学校保護者や日本市民らの幾度にも亘る交渉や請願により、私学助成金に比べ少額ではあるが支給されていた(給付額は自治体によって大きく異なる)。ところが高校無償化法を適用するしないのスッタモンダから、反チョーセン世論の高まりを受け、「市民の理解が得られない」という判で突いたような言句でもって、ことごとく減額・あるいは打ち切られている(市民の理解とは具体的に何を指すのか?憲法や国際人権法の系譜から市民の理解を促進しようとした形跡もないし、官発で民族教育の意義を共有する取り組みもないし、市民の理解を受益者たる生徒が取り付けなければならない理由も分からないし、在日朝鮮人は市民ではないのか?など、疑問は尽きない)。
結果、例えば公立の高校生であれば、月額10万弱の公的扶助及び高校無償化制度など、幾重にも学びの保障が構築されているところ、東京や大阪の朝鮮高校生は、石原や橋下の策でもって、その扶助額は、『本当に』ほぼゼロに近い。
当然これらの財源は国及び地方の税金であり、国や地方の教育部門への支出は10%程度とも言われている。朝鮮学校の学生および保護者も、税金はビタ一文負からず支払っているが、自分らの子供はまったくその恩恵を与れていない。それどころか高校無償化法の代わりとして、高校生の年齢層を対象にした特定扶養控除の上乗せ控除が無くなったぶん、税負担のみが増えたのである。これで文句を言うなと言うほうがどうかしている。
このような状況であるが、学校の運営にはありとあらゆる科目の支出が必要となり、それは朝鮮学校とて当然変わらない。教職員の人件費は言うに及ばず、光熱費や地代等の固定費、設備の維持管理費、教材や備品の購入費等もある。運動会や遠足、入学式、卒業式など、各種の行事を催す費用も捻出しなければならない。保護者の負担に目を転じれば、月謝ばかりでなく、昼食、制服、教科書、クラブ活動等々、学生生活を維持させるための費用もすべて保護者の肩にのしかかる。また、朝鮮学校特有の事情として、学区が広範囲にわたることから、児童らを送迎するバスも運営しなければならない。車両費、ガソリン代、人件費も、そのぶん余計にかかる。高級学校ともなれば学区は県境を跨ぎ、電車で2時間もかけて通う生徒もいる。定期代は馬鹿にならない。
従って、保護者一世帯あたりの支出は、公立学校や私立学校のそれと比較しても遥かに多くならざるを得ない。いまや朝鮮学校に子供を送ろうと思えば、ある一定程度、平均より多い程度の安定収入が見込めなければ到底無理だ。朝鮮学校の生徒数の減少が進むほど、世帯あたりにより多くの負担がのしかかり、それが生徒減少に拍車をかけるという悪循環が生じてしまっている。朝鮮学校に送りたくても送れない、という家庭も実際に多く存在するのだ。
辛い話をする。これらは朝鮮学校の悲しい現実を物語るエピソードだ。すべて現役の教職員や保護者から聞いたり、直接見たりしたものだ。(伝聞が多く、聞き覚えた時期もバラバラなので、そのぶんは割り引いて見ていただきたい)
・学校毎に生徒数や公的扶助の有無が異なるため、財政的な格差が激しい。例えば教員の給料であるが、元々の支給額が少ないながらも一応満額出ている学校もあれば、慢性的な遅配に陥っている学校もある。都市部の学校でも数ヶ月程度の遅配は珍しくない。光熱費や地代などの各種経費の支払が優先されるため、人件費が後回しになり、それこそ半年一年という単位でまったく出ない学校もある。生活苦から辞める教員、結婚を機に「ちゃんと給料を貰える仕事」に転職する教員も多い。
・教員の構成を見れば、朝鮮大学校を出たての若い教員に比べて中間層が異常に少ない学校がある。世帯を持つ上で生活が成り立たないのだ。親世代や近親者のバックアップを得られない者は、教員を続けたくても続けられない、という現実がある。残った教員への負担も大きくなるし、ノウハウの伝承も進まなくなる。
・学校を維持するための資金が圧倒的に不足しており、緊急を要するもの以外の、学校備品修繕は、ほぼ野晒しになっている。窓ガラスは割れたまま、ブランコは壊れたまま、水道や便器は壊れたまま年中使用禁止、壊れた扉はベニヤ板を貼って間に合わせ、という具合である。荒廃が進む学校は、児童たちの心を慮るうえでも早急に対応すべき課題である。
そんな朝鮮学校の厳しい学校運営ではあるが、学校環境、子供たちの学びを守るための、保護者や地域同胞、周辺の日本人を含めた様々な人間の取り組みがある。ある者はボランティアに精を出し、ある者はカネを工面し、またある者は署名を集めたり、という具合である。以下、どのような取り組みが成されているかを、五月雨式に思い付くまま紹介する。これまた私が実際に参加したり、見たり聞いたりした内容なので、一部事実と異なる部分があるかもしれない。割り引いて見ていただきたい。
・保護者が財政的なバックアップから庶務に至るまで多面的に関わり、子供たちの学びを支えている。どの学校にも保護者会(PTA)があるのは他の学校と変わらないが、多くは母親を束ねるオモニ会と父親を束ねるアボジ会に別れている。それぞれがどのような役割を担うかは後に書くが、性差の得手を活かした役割分担が非常に機能的だ。
・地域の在日同胞の実力者や、企業経営者が理事等中核メンバーとなる「教育会」という組織が学校毎にあり、一体的に行動する。学校の教員本隊は児童らへの教育に専心し、教育会がスポンサーを集めたり資金繰りに奔走したりしている。
・普段より、「一口千円運動」などと称して、卒業生をはじめ在日同胞からカンパを募っている。各種行事を催す際には特にまとまった資金が必要なことから別途で広範に募ることになる。たとえば運動会を催すとなれば、千円程度から数万円程度を、保護者やOB会、あるいは近隣の商店や在日同胞が営む企業から集め、当日配布するパンフに、カンパした個人や団体の名称、企業の広告を載せたりする。
・各地の朝鮮学校は、設立から60年以上経過し、校舎や設備が老朽化しているところも多いが、修繕や手入れを定期的に行える余剰の資源は無い。そこで、アボジ会が年に一度『一日労働(ハルロドン)』というのを企画し、保護者の父親が集まって、ボランティアでペンキ塗りや樹木の剪定や備品の補修に精を出す。作業が終わればオモニ会が用意した焼肉とビールが振る舞われ、ねぎらってくれる。公立の学校でも草むしりや側溝の清掃などを保護者会が行うのはよくある話だが、朝鮮学校のばあい、その範囲と規模がより大きい、ということが言えよう。
・夏休み期間中には、地域の盆踊り大会よろしく朝鮮学校では納涼大会が行われる。オモニ会は総出でピビンバや冷麺を作り、アボジ会は力仕事をしたり、七輪に火を起こし焼肉を売ったりする。在校生や同胞の文化サークルらが歌や踊りといった出し物を繰り広げ、校庭は卒業生、近隣の同胞らが入り乱れて大いに盛り上がる。また秋にはバザーが催され、民族色豊かな料理が振る舞われるほか、保護者や近隣の同胞、協賛企業らが不用品や処分品を持ちより格安で販売する。もちろんこれらの収益金は学校の運営資金に充てられる。
・朝鮮学校は寄宿舎のある学校を除けば昼食は弁当持参で給食は無い。各家庭では、食材が手に入りづらいなどで朝鮮料理に巡り会わせる機会もなかなか作れないが、給食で朝鮮料理を振る舞えば、児童らを民族に触れさせられる絶好の機会になる。まさに食育だ。朝鮮学校の給食は、月に何度か、オモニ会が主体になって実施される。当番のオモニらが集まって、朝鮮料理や家庭料理を作り、それを児童らに振る舞う。児童らにとっても楽しみなイベントのひとつになっている。
・チャリティーゴルフ大会や、チャリティー麻雀トーナメント、チャリティーソフトボール大会なども催される。参加者は保護者のほか、呼び掛けに応じた腕に自信のある近隣の同胞や、その友人たちである。相互の親睦を図りながら、一定のまとまった資金カンパにも繋がる。
・オモニ会が主体となり、キムチを漬けたり、焼肉のタレ等の調味料を仕込んだり、惣菜を拵えたものを、近隣の家庭に販売し、一定の定期収入を得ている。最近ではネット通販に進出しているオモニ会もあるらしいが、URLは見つけられなかった。
・教員の給料水準は本当に低く、しかも遅配気味であるから、特に地方から赴任した教員は早速生活に苦労することになる。そんな教員の面倒を見ようと、企業経営をしている保護者らが支援を行っていることもある。例えば収益物件を持っている不動産屋の社長は、空き家を若い教員に安く貸したり、飲食店を営む家庭は、若い教員のために食材の余分を贈ったり、という具合だ。
・「○○ハッキョを支える会」「○○ハッキョと共に歩む会」等の名称で、各学校の活動を支援するための団体が立ち上がっていることもある。その多くは、在日同胞との交流や人権擁護活動を縁にして、日本人が立ち上げ、日本人の活動家や地域の実力者、一般市民がメンバーとなっている。資金集めや行政との折衝、署名集めや陳情活動など、多方面に活躍されている。
・大阪では、大学の教員らが中心となり、朝鮮学校就学者の為の基金として、「ホンギルトン基金」というのが立ち上がっている。広範にカンパを募ったり、イベントの収益を宛てたりなどして、既に一千万円以上の資金が基金に蓄えられている。
・韓国にも朝鮮学校支援の輪が拡がっている。「モンダンヨンピル(ちびた鉛筆)」と銘打たれた団体は、韓国の芸能人が立ち上げたものだ。日本各地でチャリティーコンサートを催したり、書籍を出版したりして、地道に集めた資金を、被災地の朝鮮学校に寄贈している。日本でも人気のあった「冬のソナタ」に出演していたクォン・ヘヒョさんが主催者のひとり。彼による朝鮮学校への思いを綴ったエッセイ『私の心の中の朝鮮学校(韓日対訳つき)』が、朝鮮初級学校の児童らの絵に彩られて発売されている。
・震災直後には、かわいいイラストを絵葉書にしたり、『ハンマウム(ひとつの心)』とハングルでデザインされたキーホルダーを作製したりして、各地の在日同胞のイベントで販売し、収益は被災地の朝鮮学校に贈られた。
・朝鮮学校に限らずだが、ベルマークや、アルミ缶、プルタブ等を集めて、学用品や備品の調達に充てることも、手広く行われている。
各地の朝鮮学校を支える為の様々な活動は数え挙げれば本当にキリがない。他にもたくさんある。前述のとおり、私が知り経験した範囲を記述したので、ひとつの学校でここに挙げた全てを網羅して取り組まれているわけではない。お断りしておく。
当然、多くの活動は、オモニ会、アボジ会といった保護者らの集まりが主体となっており、一人の親が複層的に関わることになる。支出は同じ財布から成される訳だから、保護者の物的金銭的負担が重いことには変わりはない。しかし地域の在日同胞を単位に、イベントや経済活動を、学校に絡めて行い、地域の在日同胞がそれに巻き込まれることで、同じカネを「ハッキョに落ちるように」使うことになる。私も近隣の朝鮮学校で催しがあれば極力訪れ、朝鮮料理を食べたり、チャリティーイベントに参加したりして、楽しく過ごす。それらは朝鮮学校の子供らの学びの確保に直結する。少しくらい呑み過ぎたり使い過ぎたりしても全然悪い気がしない。言い訳だが。
子供をひとり育て上げようと思えば、その親の力だけではなく、地域や社会の、経験や積み上げも踏まえた、多くの知恵、努力、そして資源が必要であることは言うまでもない。そして日本の地で朝鮮人を育てようと思えば、日本人向けのそれとは違う、特別なコミュニティー、独自の資源が必要だということも理解いただけよう。
ここ数年の朝鮮学校を巡る実体とは異なる誤った情報、及び多勢に同化することのみを是とする空気感、それによって形成された露骨な嫌悪感によって、なお一層朝鮮学校を取り巻く環境は厳しさを増している。しかし、保護者が必死の想いで我が子を送り続け、地域の在日同胞が支援し、何とかしてウリハッキョでの学びは維持されている。その崇高さ(このような言い回しは自分らを美化しているような気がするので余り好かないが敢えて使う)は、当事者でなければなかなか理解できないものかもしれないが、敢えてこのように紹介させていただいた。
私も再来年からウリハッキョの保護者になる。そのためには何よりも、しっかり稼ぎ、心身ともに健康でなければならず、周りの家庭より倹約的でなければならない。
覚悟を決めて、愛する我が子を、朝鮮人としてしっかり育てたいと思う。
(付記)
理解を助ける為に。
朝鮮学校を学校施設という側面のみで捉えると、朝鮮学校の持つ大切な機能を見失う。在日同胞にとって朝鮮学校とは民族のアイデンティティー共有する同胞たちの相互扶助のコミュニティーである。例えば、県にひとつしかない朝鮮学校で行われる運動会は、「○○初級学校運動会」ではなくて、「○○地域同胞運動会」と銘打たれ、その県下の同胞らが集まり、生徒らと一緒になって競技に励む、といった具合だ。