クラウドファウンディング:「ヘイト」に対抗するための言論誌を応援します。
また数か月ぶりの更新となってしまった。
仕事が忙しく気が回らない、というのもあるが、何よりもこの社会に何かを問うことの意義を、私自身が見失っている、ということが最も大きい。
例えば、日本の首相は連日のように己の醜さと能力の無さをひけらかしているし、日本の政治風景、基本的な人権の侵害度合いは、日を追うごとに酷さを増している。公文書は隠ぺいか改ざんか不作成が平常運転になったし、政治家は開き直れば責任を取らなくてもよくなったし、頼まなくても自分らに気に入らない映画や言論は愚民が寄ってたかって潰してくれるし、代わりに朝鮮カルタを展示して「表現の自由だ」とふんぞり返る者には方々から賛辞が送られる。人々は社会の分断を促進し、仮想の敵を作り上げ、あげつらうことに熱中している。来年東京五輪を迎えようというのにこの「発展途上感」は凄まじい。私の眼には、この世は本当に21世紀なんだろうかと錯覚するほどの、社会の劣化を見て取る。
しかしそれが日本のテレビで問題になることは少ない。自国の社会の劣化具合よりも韓国の法相がどうだとか、朝鮮のミサイルがなんだとかのほうがよっぽど重要なようで、朝5時のニュースからニュースを飾る。昼間のワイドショーも「カンコクガー」と言っていればいい。楽な商売である。
例えば、国会で障がい者である議員が、トイレの個室が使いづらいので基準を見直してほしいと意見したことを取り上げたニュースには、障がい者ヘイトと言うに相応しい見苦しいコメントがベッタリ貼りつき、それに賛意を示す「いいね」が連なった。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191108-00000074-kyodonews-pol
例えば、首里城が火災に遭ったら、早速「韓国人の放火だ」「ざまぁみろ」というクソを煮しめたようなコメントや動画が溢れた。
https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1017781.html
https://www.youtube.com/watch?v=WKx9vG_WCx8
本当に探す苦労など無く、幾らでも挙げることができるヘイトの数々。それに対する、あるべき抵抗感や嫌悪感も、日々同種のヘイトが巻き散らかされる圧倒的な量的充実によって、私ですら、もう何とも思わなくなってきた。恐ろしい感覚の麻痺である。
こんな世の中になるとは、正直思わなかった。
約9年前にブログを立ち上げたときは、在日朝鮮人との無接触から来る誤解と偏見を少しでも解いていけたら、という思いだったが、社会の劣化スピードが速すぎて、最早そんな初心など、早い段階で飛んで行ってしまった。今思えば、その初心とやらがどこまで青臭かったのか、と。嘆かわしいまでの「先見性の無さ」であった。
少数者に対する差別など、マジョリティである日本人男性健常者(と敢えて書く)にとってはどうでも良く、逆に自分らへの分配が耳垢程度間引かれることに対する嫌悪感のほうが強いようだ。日本社会はいまや、理性というパンツを投げ捨て、本能を丸出しにして街中を闊歩する連中に、称賛すら与えられる、グロテスクな社会に変質したのだ、と思う。少数者の自由を慮るより、多数者(と思いこまされている我々と同種の弱者)個々人のみみっちい分け前を守るほうが正義なのだと吹き込まれ、それを妄信する者たち。そのような者らの前で、この社会の劣化を、いち在日朝鮮人がカナリヤのように鳴いて知らそうとしても、最早まったく価値がない。もう余りに手遅れだ。
ただ、私にも息子がいる。
これ以上この社会の劣化が進めば、自分の生存権すらやすやすと差し出さざるを得ない状況が来るのは目に見えている。我が家族がいざ殺されようとする前に、息子が「アッパ(お父さんの意)、こうなる前にアッパは何をしていたの?」と訊かれて、恥ずような行動だけはしてはならない。そのような気概のみで何とか書いている。
さて、この社会に蔓延したヘイトとの闘いについて、当然少数者一人ひとりの力など取るに足らず、ヘイトを吐くことに羞恥心が不要となった世の中に響くことはない。文字通り多勢に無勢である。
ただ、対抗言論を絶えさせず、常に抵抗し、ヘイト社会への進行を少しでも遅らせる行動には、相変わらず敬意を覚える。ヘイト本が100冊並ぶ脇に、良質な書物が1冊でも並ぶようでないといけないと思うし、そのような書物を応援したいと思う。
そんななか、「ヘイト」に対抗するための言論誌を作りたい、とのクラウドファウンディングがあったので紹介したい。
https://camp-fire.jp/projects/view/206457
呼びかけには、こうある。
>私たちは今、隣人に対する「ヘイト」の蔓延する社会に生きています。外国人・移民に対するレイシズム、性差別、障害者差別などが複雑に絡み合い、殺伐とした不寛容が拡がっていく社会。そんな状況を、私たち自身で乗り越えていくための批評/文学/学問の新雑誌を創刊します。
実際にどのような雑誌になるのかは分からない。ヘイトに対抗すると大見得を切りながら羊頭狗肉が如くの『残念な』筆致に落胆したことも一度や二度ではないが、彼らに見えているこの社会の現状には同意するところが多い。私も応援してみようと思う。早速少額だが振り込んでみた。創刊号の読了後には、感想文の一つでも書いてみようと思う。微力ではあるが、この社会の劣化が、すんでのところで踏みとどまることを願っている。
(付記)
以前書いた稿(https://dattarakinchan.hatenablog.com/entry/20181203/1543846906)の続編を執筆中である。実はこの夏も韓国に行っていくつか書店を回ってきた。そのレポートである。数日中には稿をアゲる予定である。