いち在日朝鮮人kinchanのかなり不定期更新日記

はてなダイアリーから移行しました。古い記事ばかりになりましたが、ボチボチ更新していこうと思います。

ヘイトスピーチに『想い』を寄せる、WiLLの物凄い記事

物凄い記事を見つけてしまった。これはこれまでにあらゆる雑誌で繰り広げられた『嫌韓ネタ』の記事らが霞んで見えるほどのレベルだ。ある意味メーターを振り切っている。これは残しておく価値がある。



ヘイトスピーチで思うこと
WiLL 6月24日(月)16時14分配信
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20130624-00010001-will-pol



(引用開始)

六月十六日の日曜日、ヘイトスピーチ(憎悪表現)による「反韓デモ」を見た。
この日、『在日特権を許さない市民の会在特会)』の呼びかけによるデモによって、主催側と反対側に合わせて八人の逮捕者が出る事態となった。これまでで「最多」である。
歌舞伎町の公園に集まったデモ参加者は、職安通りから明治通りに出て、大久保通りを左折、新大久保駅大久保駅を経て、今度は小滝橋通りを左折し、西新宿の柏木公園に向かう約三キロのコースを歩いた。この日、デモが始まる前に、在特会の会長が反対する側と小競り合いとなって逮捕されたため、いつもより過激な雰囲気に包まれていた。
朝鮮人は朝鮮へ帰れ!」「従軍慰安婦は売春婦だ」「糞どもを日本から叩き出せ!」「害虫を駆除せよ」
日の丸や軍艦旗を掲げたデモ隊が、大音声を上げながら練り歩いていく。警察側の発表では、デモの参加者は「二百人」。しかし、『レイシスト(差別主義者)をしばき隊』など、デモを批判する側は、それよりも多い。
両者が衝突しないように、機動隊が周囲を固める。だが、新大久保駅前と、北新宿百人町交差点を過ぎたあたりで、二度、小競り合いがあった。デモ隊の一人にタックルされた反デモの人間が街頭にうずくまった。トラブルが起こる度に、周囲がさらに騒然となる。
デモ隊はひと目で右翼とわかる人もいるが、一般のおばさんや乳母車を押しながら参加している人もいる。一方、反対する側は一般市民が多いのかと思っていたら、こっちにも、・怖い衆・がかなりいる。
「おまえら、日本の恥だ! 死ね!」「消えろ! 差別主義者」「この野郎! 差別はやめろ!」「おい、かかって来い!」
デモに反対する人たちの罵声も過激だ。明らかに「その筋の人」とわかる人も少なくない。私は、道の両側の歩道をデモと並行しながら歩いたため、反対勢力の真っ只中にいた。ふと、目の前の男の腕には、立派な入れ墨が彫られているのに気がついた。罵声にも迫力があるはずだ。反対側も、左翼陣営だけではないらしい。聞いてみると、在特会に反発している右翼の人間もかなりいるようだ。
四週間前のデモでは、終点の柏木公園で衝突が起こり、逮捕者が出た。そのためか、この日はデモ隊以外の公園周辺への出入りはストップされた。道路の完全封鎖である。公園にはデモ隊しか入っていけないが、デモ反対の人間は、公園から出てくるデモ参加者を待ち構えている。午後五時頃、デモが解散になると、両者を衝突させないように機動隊がデモ参加者を守って誘導する。
「集団下校かよ!」「なに警察に守られてんだ! バーカ」「おい、かかって来いよ」
反デモ隊の側のボルテージが一層上がる。まさに、どっちもどっち、である。
このヘイトスピーチによる反韓デモを規制しようと主張する人たちがいる。だが、自分たちが気に入らないデモは規制していい、という考え方は広範な支持を集めることはできないだろう。それは、為政者にいつでもデモ規制ができる根拠を「与えてしまう」ことになるからだ。先の国会で、安倍首相はヘイトスピーチについて質問され、こう語った。
「日本人は和を重んじ、排他的な国民ではない。どんな時でも礼儀正しく、寛容で謙虚でなければならないと考えるのが日本人です」
私も同感だ。日本人は長い間、「辛抱」を美徳としてきた。しかし、歴史をねじ曲げたあまりにひどい中傷によって、ついに日本人が堪忍袋の緒を切りつつあることを感じる。
韓国人が口汚く日本を罵倒し、ソウルの日本大使館前で日の丸を焼き、時の日本の首相の人形やポスターを焼いたり、足蹴にする映像をよく目にする。中国も同じだ。反日デモで日本と日本人は罵られ、日本関連の店や建物は略奪・放火の対象にすらなる時代である。それでも、日本人は、じっと我慢していた。だが、ついにヘイトデモは現れた。
しかし、中国や韓国が、どれほど日本を貶めようと、日本人は毅然とすべきではないだろうか。ヘイトスピーチではなく、日本人の怒りをわからせる方法は、ほかにもある。礼儀正しく、そして超然として、ただ中・韓と「距離をとればいい」のである。安倍政権は・自由と繁栄の弧・に基づく外交によって、着々とそれをおこなっている。淡々と日本と真の友好を強めたい国々との絆を深め、あまりに理不尽な国とは、「距離をとる」べきなのである。国民も痛みを分かち合いながら、それを決然とおこなえばいい。そのことを一人一人が考える時期が来ていることを感じる。
門田隆将

(引用ここまで)



もう、どこから突っ込んだらいいか分からない。私が問題点を指摘する、とかのレベルではない。全部が問題だ。
この記事は、残しておくだけでも、拙ブログの記念碑となりうるほどの輝きを放っている。当然、皮肉だが。

この筆者はヘイトデモの参加者に『想い』を寄せ、心情を共有していることはイヤでも感じるが、特に主張したいことを抽出すると、以下に収斂されよう。それぞれにツッコミを入れる。

ヘイトスピーチを繰り出すデモ隊と、それに相対するカウンターデモ隊は、「どっちもどっち」である。

ヘイトスピーチ側の『一般市民』感を取り出し身近な存在へとシフトさせる一方で、カウンターデモ側の『そっちの人』感を取り出しヤバイ人たちを強調し、それぞれを近寄らせることでその言い草に説得力を持たせようと試みている。それがあざとい。
私個人の見解を述べるならば、暴力暴言を厭わない卑劣な差別集団に抗い怒りを示すことは意義深いし敬意も覚える(私にはその勇気がない)。謂われなき憎悪を向けられる当事者にとっては無上の希望や勇気に繋がるものと思う。しかしそれが一部で暴力的非理性的に行われていることが残念でならない。仮に、カウンター側の言動の大勢が、知的でない下衆な文言に終始し、差別の解消ではなく馬鹿の鑑賞にしか興味が無いのなら、「どっちもどっち」と見做されても仕方ない。それなら分かる。
しかし、この筆者は、ヘイトデモ隊が『わざわざ新大久保という地を選んで』『毎週のように』『政治主張とは程遠い文言をもって』『本来批判を向けるべき個人や機関に批判を向けているのではなく』『中国人韓国人一般を蔑み辱めるために』『暴力的かつ下劣な言葉を並べるだけの集会を行っている』ただの馬鹿騒ぎ集団であることは、分かっているはずである。何の目的で行われているのか、分かるはずである。
そして、この馬鹿騒ぎ集団を取り囲むのは、この馬鹿らによって尊厳を傷つけられた者、自分にはどうしようもない出自を恨み死にたいと思う気持ちを抑え勇気を持って駆け付けた者、あるいは掻き入れ時の営業や折角の休日の余暇や日常の平穏を脅かされ続けることに抗う者、そしてその友人らである。彼ら彼女らは、この馬鹿者さえ来なければ集まる目的を共有しない者である。つまり、この馬鹿騒ぎさえなければ「カウンターデモ」など起こらないのである。
そのカウンターデモの一部に、粗野な言動があったことをもって、「どっちもどっち」などと斬って捨てるなどとは、あまりに短絡的だ。少なくとも欧米の成熟した民主国家で、どちらの行為が取り締まりや批難の対象になり、どちらに人が集まるかは敢えて言うまでもないことだと思うが、どうなんだろうか?

*日本人は和を重んじ、謙虚で忍耐強いが、韓国人による歴史歪曲と誹謗中傷によって日本人の堪忍袋の緒が切れた。それを端緒にヘイトデモは現れた。

何を言っているのだろうか?ここに日章旗や差別語を羅列したプラカードを持って集まっている不健康そうな連中は、大部分が『堪え性の無さ』から社会生活を満足に送れてないことを、他者のせいにして目をそむけている『謙虚でない』連中である。このような者どもの支持や喝采に安住し、力を得て外国人に対する差別政策を推し進めているのが、この言葉の主である安倍首相である。日本国家の過去の歴史の事実を修正し罪の矮小化を試み、それに抗う声を『歴史歪曲』や『誹謗中傷』と烙印を押しているのが、安倍首相を筆頭とする歴史修正主義者である。
このような人間の政治的台頭によって、今日ヘイトデモが『放し飼われて』、日本社会におけるアジア市民に対する潜在的な優越感を喚起し、ささやかな歓心を買い、あるいは大衆の手軽なガス抜きの手段として利用されているのである。
現在の日本に燻る空気感、時代背景、全ての視点がねじ曲がっている。

ヘイトスピーチではなく、日本人の怒りを分からせる方法は他にもある。日本が真に友好を深めたい国と絆を深め、中国や韓国とは距離を取ればいい。国民も痛みを分かち合いながら決然とそれを行えばいい。

筆者個人及び、筆者が想いを寄せるヘイトデモ参加者のような差別主義者の主張はよく分かった。独善的な歴史観を仲間同士で共有して自慰行為に耽りたいのであれば、お仲間同士で勝手にそうすればいい。迷惑をかけずに、どこかホールでも借りて、同じ趣味の者を集めて勝手にやればいい。それを、「日本人」が「中国人・韓国人」と距離を取ろう、などと、何の資格があって吐くのかは知らないが、勝手なことを言い出さないでいただきたい。私の周りの日本人は今日も朝鮮人の私と笑って過ごしたし、明日もそうするだろう。自分の考えに与しない者など数多居るのだ。にも関わらず、自分と同じ分別記号が付いているという理由だけで、自分や敵と同一の記号の人間だからと、勝手に巻き込まないでいただきたい。甚だ迷惑である。



関わりたくないのであれば、「あなたが」関わらなければいい。それは誰も止めない。嫌いならば嫌いで全然構わない。誰もそんな人間に擦り寄って好きになってもらおうとは思っていない。好きにすればいい。
ただ、異文化交流が花咲いている新大久保に出向いて、おのれの憎悪をバラ撒く行為はハタ迷惑でしかない。
新大久保に集う人間は、そのような「日本人」など、誰も呼んでいない。そこにわざわざ出掛けて行って喧嘩を売る下品さ、それに心を痛める人間の冷たい目線に気づかない『不感症』こそが、底部に流れる根本の問題である。

WiLLという雑誌は、いわばネトウヨ系極論を紙媒体にしたようなものだが、こんな雑誌に署名記事を書いて、子供に見せられるのだろうか?よくそれだけ方々に敵をこさえて、卑屈にならないのだろうか?逆に心配になる。