いち在日朝鮮人kinchanのかなり不定期更新日記

はてなダイアリーから移行しました。古い記事ばかりになりましたが、ボチボチ更新していこうと思います。

雑感 ― この世界にはいろんな人がいることを認めると楽になる。

私は某小売企業に勤めております。小売業に勤めようと思ったのは、いわゆる典型的なサラリーマンのように、夏でも冬でもスーツを着、9時に出社18時に退社、土日休み、なんていう仕事のスタイルが絶対に身に合わないと思ったからでした。小売なら、制服に着替えるので通勤は私服でいいし、平日休めるし、遅番なら朝ゆっくり寝れる、、、今から思えばとてつもなく安直な発想ですが。
ところが実際に勤めだして、店舗に勤めていたのはほんの数年、残りは本部の部署を渡り歩いています。結果、夏でも冬でもスーツ、土日休み、きっちり9時出勤です。うまくいかないもんです。

ところで、スーツ姿って、上っ張りより、中に着るYシャツの重要度が高い、と勝手に思っています。いくら良いスーツを着ても、Yシャツが980円では、なかなか決まりません。逆にスーツが1万円でも、Yシャツを少し良いものにすれば、印象よく見せることができます。仕入担当者はサプライヤーにとって企業の窓口であり、失礼の無いように、もっと言うと「ナメられない」ようにしなければなりません。そのためにも身なりをそれなりに印象よくしておくことは大事だと考えています。
そこでいろいろと良いYシャツの情報を探していましたら、「メーカーズシャツ鎌倉(鎌倉シャツ)」というYシャツ屋さんがメディアで紹介されていました。約5000円で非常に上質のYシャツが買えるらしいです。東京圏ではポピュラーなようですが、関西圏ではほとんど店舗がなく最近まで知らなかったのです。通販で買えるらしいので、ネットポチポチしていましたら、その会社のブログというのがあって、非常に共感できる記事がありました。引用します。



貞末良雄のファッションコラム I am OK and you are OK.
http://www.shirt.co.jp/clm/cat1/32.php



(引用開始)

私は正しいけれど、あなたは間違っている。

1945年第二次大戦終了後、日本にやって来たマッカーサー元帥が、日本人はこんな考え方の人が多い、と言ったという話を私は30才代に聞いた事がある。
アメリカでは、こんな考え方は10才代の未青年の考え方であるから、日本人の大人は未青年と変わらない。しからばアメリカ人の大人の考え方は何か?それは「I am OK and you are OK.」
私も正しいが、あなたも正しいという事である。

なるほど、そうなのか、アメリカ人は心が広いな。くらいに思って忘れていたが、創業して、経営をするようになって、初めてこの言葉の重みを痛切に感じる事が多くなってきた。

アメリカでは100種類以上の人種が一つの国を形成している。生まれ、育ち、民族、ルーツが全く違う人種が、どの様にして調和して生きて行くか。
牛が神様だったり、豚が神様だったり、牛乳を飲んではいけない民族がいたり、コーラも許されない、もちろんアルコールは駄目など、日本人には理解する事すら難しい。
こんな民族の集合体がアメリカ(ユナイテッドステイツオブアメリカ)である。ここで皆様にもお判りの様に、「I am OK but you are not OK」とは死んでも言えないのではないでしょうか?

日本人はほぼ単一民族ですから、生まれ素姓が違っていても根本的な相違はない。
だから、他人のことは判っている。彼の考えは聞かなくても私の考えが正しい。
ここでオレは正しい、しかしお前は間違っているなどと、一人よがりの他人を顧みることのない未熟な考え方がまかり通ってしまう。
異民族の集合体では私の考え方も間違っていないと思うが、あなたの考えも、その立場上理解し得るものであり、あなたも正しいと思う。
「I am OK and you are OK」

しかし今回、事を進めるに当ってどちらかの考え方一つにしなければならない。
そこで双方が徹底的に議論する。それでも双方譲らない場合はコインを投げて裏表で決定する。(ジャンケンでもよいが、アメリカには無い)
決定したらその決定を尊重して全力でそれに当るというルールが確立している。

会社を運営していると、お客様からは貴重な御意見を多く戴いている。
建設的で素晴らしい御意見であって、それ自体間違っていないものであるが、経営を投げ打ってその正しい意見を実行する事が出来ない。
経営はバランスであり、その人が言う最高の物作りをしても価格と品質のバランスを崩す物であってはならない。
その人は言う。
「4900円のカシミヤのマフラーなど、毛羽がついて最高級のものとは言えない。価格は高くなっても梳毛糸を使って編み、毛羽の出ないカシミヤこそが本物だ。お前の会社のマフラーはまやかし物である。」
しかし梳毛糸のマフラーを作るとしたら2万円は越える。
そんなカシミヤマフラーを一点持って、後生大事に使うという考え方もあるが、カシミヤのフワーとした感触、優しい暖かさが4900円で手に入る。
この値段ならば、服の色、コートの色に合わせて何色か持って楽しみたい。
そんなお客様が私達のお客様であり、どんな商いも、全ての人を顧客にすることは出来ない。

私達が想定するお客様は、私達と同じ思いで商品を購入して下さり、想定した通りに、その商品を楽しんで下さる。そして商品に満足された人達が再び私達の店に来て下さる。そんなフローが会社の基盤になっていく。

今、私達の作るシャツは50万着という、100万mのハイエンドな生地を購入する力から、とてつもなく品質の高いシャツ作りが可能になって来ている。全てのシャツ以外の商品には当てはまらないこともある。

人が何かを主張する。
それは、その人の主観によるものであるから、その根拠は、その人の体験、読んだ活字、人の話等が基になって形成される。
人はそれぞれ違った生活体験をしているから、各々の主観が存在する。自分の主観こそが正しいなど主張することは愚かである。主観が違うから論議が生まれる。

激しい論戦、それぞれの主観のぶつかり合いの末に双方が考えもしなかった新しい価値基準が生まれる事もある。
論議を通じてそれぞれの人が、自分の考え方のヒズミや、他の主観を容認するマナーが生まれる一方、大局的な視点も養うことが出来る。
私達がいる日本は特殊な国で、ほぼ単一民族であり、島国であって、一歩も国から外に出た事がない人が大勢いて、同質的で、他文化が形成する考え方にも接する事なく、集合的な無感覚になっているかもしれない恐れを持たねばならない。
日本の常識は、外国では非常識などと言われている。
今後の日本を考える時、国を離れ、自分の主観の何たるかを検証する機会を持ちたいものである。

(引用ここまで)



なるほど、ここまで読んで私が思い悩んでいたことから、少し解放された気になったのでした。世界には、本当にいろんな人が住んでいて、行動の前提、価値観がそれぞれ全然違う。まずはその当たり前のことを認めてしまうことで楽になるもんだなぁ、と思うのです。

私は普段、中国の製造業者にメールで仕入れの交渉をしたりするんですが、彼らは正直、平気で納期を守りませんし、平気で不良品も出しますし、平気で嘘もつきます。
私は当初、そのようなことがあった時に、「なぜこんな単純な約束を守れないんだ?」「契約書に納期も仕様も書いてるじゃないか?なぜそれを守らず平気でいるんだ?」と(英語のメールでだけど)怒鳴り散らしていたんです。しかしなかなか聞く耳を持ってもらえず、改善もされず、挙句に「もうあんたにはモノを売らない。契約は破棄する。バイバイ」などと言われる始末。あっけに取られ、途方に暮れ、と彼らに振り回されることが一度や二度ではありませんでした。

そこから先輩に聞いたり本を読んだりして色々と勉強したのですが、
・中国人は自分に利益があるかどうか、自分にとってより得なのはどっちか?という発想をする。そして得なほうを取る。
・中国人は企業間の契約より、個人間の付き合いや繋がりの深さを重視する。
・個人間の信頼関係が醸成できれば、納期や価格の相当な無理を聞いてくれたり、有用な提案をしてくれたりと、バイイングも有利に働く。
というのが分かってきたのです。

その背景まで分析できているわけではないですが、それが中国四千年の歴史で培ってきた行動様式・思考回路である以上、それを昨日今日の付き合いである私の側のモノサシで「おかしい」「ダメだ」と言ったところで、うまく話が進むわけがないのです。
資本主義を何世代も続けてやってればポピュラーになるであろう契約順守の思想も、まだまだ彼らは体験的学習の途中なんです。これまで日本社会が明治維新から100年以上かけて様々な失敗をしながら積み重ねてきた成功体験を、彼らはここウン十年でようやく積み始めたところなのです。日本や欧米など品質や規格にうるさい市場に製品を投入する際の心構え、QCや5S等、生産管理のイロハも、いちいち教え込んでやらないと、ちゃんとしたものは出てこないわけです。調達費用の安さとマスメリットから中国から仕入れると決めた以上、彼らの商習慣や考え方も考慮し、彼らのプライドも考えながら、上手にこちら側の意図を汲んでもらわなければならないのです。

それが理解できてからは、「良い品質のモノを作れば、私たちはそれをたくさん売ることができるでしょう?たくさん売れれば、私はまたあなたから同じものを買うでしょう?ちゃんと研究していいものを作ってください。目先の儲けを考えるより絶対にあなたにメリットがありますよ」「納期守らないと私たちが売りたいときに売場がカラになっちゃうでしょう?秋になって夏物輸入してもしょうがないでしょう?納期守らないと、来年は売れ残りを売らざるを得なくなるから、来年の契約が取れませんよ」というような論調で、彼らの生産活動が日本でどのように繋がり、どのように消費者、我々、ひいては彼ら自身の利益に繋がるのかを、イメージさせるようにしています。この例のような本当に単純な話をすることは稀ですが。
彼らは『製品』を量産する能力には長けていますが、顧客によって消費される『商品』として要求される内容までは発想が至らないことが多いので、「なぜパッケージにキズや汚れが付いていてはダメなのか」「なぜ検品率、不良率にそれほどまでこだわるか」等々について、時間をかけて同じイメージを共有できるように教え込むのです。
そういうことを積み重ねていくと、彼らは我々のような日本企業と付き合い、我々の要求する内容をクリアすることで、彼らの製品が全世界で通用するようになり、彼ら自身の生産管理能力が向上していくことを知るようになります。我々のために商品を作ることが、彼ら自身が長いスパンで飯を喰えることに直結することを体験的に知るようになっていきます。
またそのようなことを積み重ねる過程で、ビジネスライクではない人間対人間の付き合いに近づいていきます。最初はメールと電話だけでビジネスをしていたのが、会社を訪問するようになり、訪問されるようになり、一緒に飯を食ったり酒を飲んだり(※)、オネェチャンの居る店に行ったり、を重ねるようになります。民族やバックボーンの違いを乗り越え、ビジネスの同じ目標に協働で向かっていける強力な仲間としてお互いを捉えられるようになります。そうなればしめたものです。多少の無理も「ミスター金が言うんだから」と聞いてくれます。その代わり私もそれを一生懸命売るためにプロモーションをかけたり多少売価を安めに付けて多く売れるようにしたりします。先ずは存在を認め受け入れる、そこからお互いの立ち位置を粘り強く語り合い理解を深められたからこそ作れた関係で、のっけから「お前がおかしい」とやっていたのでは、何も進歩が無かった、と今なら思います。



まとまりなく書いてきましたが、
本当に、世の中には様々な人間がいます。地域、会社、あるいはビジネスパートナー、その他様々な単位で人間同士の付き合いが発生したときに、相手が自分と同じ価値観や思考回路である可能性は、同じ毛色の人間限定の仲良しクラブかネットコミュニティでもない限り、まずない。いろんな価値観の人間同士が意見を出しあい、同じ目標に向かって協働する、これこそが社会というものであり、それで普通です。自分とは違う歴史観やバックボーンの人間などゴマンと居るわけです。『異種との遭遇』でいちいち拒否反応を示したり、いがみ合ったり、自分の主義主張を押し付けるのではなく、さっさとその立ち位置の違う人間の存在や価値を認めてしまうと楽になると思うのです。互いに仲良くなるとか、価値観を共有するとかはそれから先でいいのです。
特に国境を跨ぐか民族が違うかすれば、受ける教育、育つ環境、社会制度、習慣、宗教、生命観、歴史観、何もかも違うわけだから、その差異はより大きくなります。これだけ輸送、物流、通信のシステムが整備拡充されていれば、日本がいくら島国であっても、いくらでも外からヒトやモノが入ってきます。それが普通なのです。実際、現在の日本社会は多くの「日本のもの」と同じぐらい、あるいはそれ以上に多くの「日本でないもの」で出来上がっています。身の周りで純日本製のモノを見つけることはもはや困難を極めることを想像すれば分かるでしょう。

歴史的経緯もあり、私のような朝鮮人が日本で生を受けて三十数年経ちました。未だに「いろんな人がいる」ことを認められないでわざわざ過剰な拒否反応を示したりする人に遭遇しますが、私は心の中でつぶやいています。
「いろんなんおるねん。今の世の中それで普通や」と。



(※)先輩に教わった話。
「取引が開始したら、かなり早めの段階で相手の国に行って一緒に酒を呑め。中国ならカエルとかを白酒と一緒に胃袋に流し込め。そうすればダラダラ決まらなかった商談が一瞬で決まる」と。
結局、『男の付き合い』はどんな巧い殺し文句よりもビジネスを潤滑にする、ということ。全世界共通。