いち在日朝鮮人kinchanのかなり不定期更新日記

はてなダイアリーから移行しました。古い記事ばかりになりましたが、ボチボチ更新していこうと思います。

雑感:また陰鬱な選挙がやって来る。

また選挙の季節がやってきた。私にとっては陰鬱な季節だ。

 

それは私に選挙権が無い、ということも一因ではあるが主要因ではない。

せっかくの間接民主主義の機会である選挙権を有権者の40%近くが放棄しているという嘆かわしい現状に、言いようのない陰鬱な気持ちを禁じえないのである。

 

肝心の残る60%の投票行動自体にも疑問だらけだ。自分の投げた票がどのような効果をもたらすのかというのにまったく想像力を巡らせずにただ単に会社や業界の指し示す候補者や政党に投票する者、かわいいとかイケメンとかおおよそ政治家を選ぶ指標になりえない基準で投票する者、その政党や候補者がどのような政策を掲げているかをろくに考えずに投票する者、既に保守政党ではなくなって久しいのに保守として自民党に投票する者、実際にその政治家が国会でどのような政治活動を行っているかを知らないのに投票する者、などなど。

この国の民主主義の構成員が、寄って集って自らの民主主義を破壊する様を見て、反吐を覚えずにはいられないのだ。

 

大阪は毎回、「お笑い百万票」と揶揄されるような不可解投票行動が続発するが、このままいけば、維新-維新-自民-公明、で大阪の4議席は決まりだ。私服を肥やす不良政治家ばかりを量産し、特に実績も無く、数値的な裏づけも無く、偏差値の恐ろしく低い人間を党首として掲げる、政治家集団の体を成していない維新に投票するなど、何をどう見ればそうなるのか、私にはレベルが高すぎてまったく理解できない。私は住民税と固定資産税で年間約50万円が維新行政に吸い上げられるが、朝鮮学校に通う私の息子の学びには、本当にまったく還元されないし、維新の政策に賛同できるものなどほぼ皆無だ。私からしてみればこれだけ払い甲斐の無い税金もなかなか無い。給与天引だから抗弁の機会さえも無い。腹立たしくて仕方が無い。

しかし何も考えていない能天気な大阪のオバチャンにかかれば、そんなことなどお構いなしだ。残念ながら二人とも受かるだろう。未だにインチキな橋下の亡霊に取り憑かれてでもいるのだろうか。反省の回路が無い大阪のオバチャンの成せる業だ。

逆に政治の腐敗を質し続けた共産党の議員とか、有能な弁護士たる立憲の新人などは、残念ながら落ちるだろう。大阪のオバチャンは日常的に大阪のワイドショーのヘイトに汚染され、ニイチャンネエチャンはそもそも選挙が何なのかも知らない。何の選挙なのか、選挙でどうなるのか、理解していない者ばかりで泣けてくる。

 

テレビは早くも選挙特番の番宣を繰り返しているが、言うまでも無くいまチカラを入れるべきは開票後の選挙特番ではなく、投票前の選挙報道である。この六年間の政治風景を振り返りつつ、未来に向けた政策の比較を行って、選挙民が公正な審判が下せるような材料提供をやるべきだ。ところがこの国は数十年前からどうなっているのか、政策批判は開票後に、という変な「協定」が結ばれているようだ。この国のマスコミは日常的にもまともに権力に対峙しないのに、選挙期間中にもその任を放り投げているのなら、彼らは一体全体何のために居るのか、何がメシの種なのか、本当に意味不明だ。ナチ下、あるいは大日本帝国下のマスコミの風景はどうだったか、いまのマスコミの風景とダブるのではないか、と考えるのは私だけではなかろう。

 

仮に私に選挙権があれば、今回投票する価値があると考えるのが、山本太郎率いる「れいわ新選組」だ。着眼点が庶民の方を向いていて、少なくとも業界団体とかアメリカ資本とかの御遣いレベルの政策を掲げる自民とは、政治姿勢に雲泥の差を感じる。気になったので政党のホームページを覗いてみた(https://www.reiwa-shinsengumi.com/policy/)が、庶民の立場からして、代弁者として推せる要素が様々あることには感心した。特に消費税の考え方や、沖縄・原発の切り口がハッキリしている。これまでの愚策で犠牲になってきた者を救護する、旗幟鮮明な姿勢は、既存政党には無い威力を感じる。次々に発表された候補者たちも、いま日本社会が抱える病理を知る当事者ばかりで、民主主義の構成員が代弁者として送り込むのに適した人材ばかりで、非常に好感が持てる。

しかしマスコミにはまったく露出が無い。既存マスコミには「山本太郎の熱狂」を伝える勇気がない。それだけ官邸の睨みが徹底しているのかもしれないが、とはいえ昼のワイドショーは今日も日韓間の貿易のいさかいを小一時間もかけて面白おかしく伝え、コメンテーターたちは病的な妄想の深さを競っていた。日本政府の挙、これ自体が選挙対策だと分かりそうなものだが、何度も何度もカンコクガーと唸っていた。本当に頭が悪くて救いようがないが、そんな時間を浪費する反面、選挙のことなど1ミリも触れない、まるで選挙など無いかのようである。

 

これは、皮肉とかではなく、本当に真面目に言うのだが、この国の構成員は民主主義の尊さが骨身に染みていないのだろう。それは日本が血を流して民主主義を獲得していないことがその主要因ではないだろうか、と本気で疑っている。それこそ多くの者の血を流して権力に対峙して民主主義を獲得したフランスやアメリカや韓国からしてみれば、これだけ権力が腐敗しきっているのに、こんなにも選挙熱が低い、というのはどう考えてもあり得ない現象だ。先に挙げた国の民衆は、日本の愚鈍な民主主義の構成員を、どのような生暖かい眼で眺めているだろうか、と想像してみる。まったくもって『理解の範疇外』だろう。いや、そもそもこんな呑気な政治風景は民度が低すぎると無視を決め込むかもしれない。それほどまでにレベルは低い。果てしなく低い。

 

このように、まったく盛り上がりに欠く今回の選挙だが、選挙権がないのに選挙の結果如何で人権や公の扶助の取扱が如何様にも翻弄されるザイニチ当事者の私からすれば、毎回の選挙結果は本当に気が気でない。切り捨てるときは真っ先に切り捨て、恵むときには最後まで恵まないのが私たちザイニチに対する人権だ。

これまでも選挙のたびに幾度となく、ザイニチを再分配の対象から外すと言って喝采を浴びた者が首長選挙で当選したり、ガイジンにも差異無く分配をしようとする行政官を槍玉に挙げて攻撃して政治的な功績を上げたり、という、端的に言えば「弱い者いじめ」が横行してきた。そしてこれがまた、この国の節穴の目を持った民主主義の構成員たちには本当によく効くのだ。「日本人の血税の使い道を正した」と。頭が悪すぎて死にそうになる。私をはじめガイジンが納めた税金および資源を全額返してからその言い分が初めてスタートラインに立つというのに、何をふんぞり返って偉そうにモノを言っているのか、と思う。社会の隅で息を殺しながら棲むザイニチを追いかけまわして供物にする前に、やることは手前にいくらでも転がっているだろう、と思う。

 

とはいえ、こんな泣き言をいくら弄しても、確実に選挙は訪れる。

少しでも私たちを含めた社会的弱者の存在が視界に入る政治家が選ばれて欲しい。

少なくとも集票のパフォーマンスの為に、私たちザイニチの尊厳を切り売りするような政治風景には、もう懲り懲りだ。そのような状況がこれ以上進まないように、と願うばかりだ。

 

まぁ、無理だろうけど。

日本には民主主義は無理だ。もう数年前から私は諦めている。
代わりに、「韓国を何とかしろ」とか「北朝鮮に帰れ」とかいう人間がいつものようにやって来るだろう。
それが即ち、日本には民主主義が無理だ、と私が語る理由の、何よりの証明になるのだが、まぁそれが理解できる人間の集まりなら、こんなことにはなっていないだろう。