クローズアップ現代 「ヘイトスピーチを問う 〜戦後70年 いま何が〜」 を見る。
NHK・クローズアップ現代の1月13日分放送は「ヘイトスピーチを問う 〜戦後70年 いま何が〜」であった。
既にtwitterでも散々これに関する感想、NHKに対する期待や激励、あるいは批判や誹謗中傷が飛び交っているが、私もブロガーの端くれとして、遅ればせながら幾らか書いて残しておこうと思う。いつものことながら、思いつくままに箇条に記す。
○総論的には、この時間帯でこれをよく流した、という印象がある。今のご時世、特に政権に寄り添う色を濃くしつつあるNHKが、これをこの時間帯に流して世間に問おうと決断したということに、現場の意欲を感じることができた。それは素直に歓迎したい。
○冒頭、ヘイトスピーカーの罵詈雑言を並べ、その醜悪性を敢えて晒している。自分と異なる属性を嘲り、差別を煽る群衆。それを『楽しんでいる』醜い者どもの行進を、この時間に流した意味は大きい。
○番組はそれ以降、以下のような視点を盛り込んでいる。
*日本におけるヘイトスピーチの国際的評価
*過去の歴史における、排外思想の蔓延がジェノサイドに至る経緯(ナチスの手法)
*諸外国における排外主義の現状
*ヘイトスピーカーの『根拠』となっている在日特権と呼ばれるものが実際に存在するのかどうか
*ヘイトスピーチの攻撃を向けられる当事者の想い(サイレントマジョリティの存在及び自らの生存権に対する脅威を感じている)
*日本で過去に発生したジェノサイド(関東大震災における朝鮮人虐殺)を振り返る
*「反日」「売国」「国賊」という悪罵の循環、日本社会を覆う空気感
*地方議会における対策要望という動き
*歴史を知らないという指摘、そのための教育の必要性という指摘
おおよそ、この問題を眺めるための視点提示をしておこうという意欲を感じ取ることはできる。
○ただ、30分弱という器の中で、この問題にまつわるあらゆる側面を取り込むことの優先順位が勝ち過ぎた印象があり、どの指摘も表層的、上っ面感が抜けない、という面が否めない。例えば、ヘイトスピーカーが持ち出し彼らの行動の免罪符としている在日特権と呼ばれるものが、根拠のない悪質なデマに過ぎない、ということを、役所の見解を並べるだけではなく、もっと踏み込んで解説しても良かった。またこのような空気が日本を覆い、自分たちの民主主義をも破壊しているということに対する警鐘は、もっと明確にあってもよかった。「在日コリアンが被害を被っている」という話に矮小化されているような気がしてならない。この国の民主主義が侵されているという指摘にまで、まっすぐ進むぐらいの気概は欲しかった(ひょっとしたらそこまで深く考えてない「キワモノ紹介」程度だったのかもしれないが)。
○今回の内容では、視聴者にヘイトスピーチという社会問題と向き合う為の「イントロを聴かせる」という役割は十分果たし得たとは考えるが、一歩進んで、
*ヘイトスピーカーの『被害者感情』はどこから生まれ、どこに向かおうとしているのか?それを治癒する方策はあるのか?
*ヘイトスピーチの法規制の是非と実現への方策
*デマや誇張も含めた「嫌韓」「嫌中」ネタをほじくり返すという所業の低俗性、ナチ思想と同根であるという指摘
*群衆はデマを信じ、群衆は過激化し、群衆は強いものに従属化する、といった群集心理への理解
という部分にまで踏み込めれば、相当に深い考察になり得たと思うし、視聴者に残す印象もより強烈なものになっただろう。今回は紙幅の都合でそれには及ばずだが、第二弾、第三弾といった作り込みは、今後是非期待したいものである。
○放送内容に対する指摘にもう少し踏み込む。冒頭、右派系市民グループ元幹部と紹介された男性が、「在日朝鮮人が得をしている」「不条理だ、許せない、不公平」と嘆いて見せるシーンが『垂れ流されている』。彼が何に対してそう思っているのか、それが被害妄想の産物なのか、酌む事情が幾らかはあるのか、少し会話を進めてみても良かった。当然、仮に彼の脳内シナプスの中で整合性が取れていたからって、「朝鮮人はぶっくぉろせー」が正当化され得ることはチリ程度も無い。しかし彼の怒りを解明することは、この社会が不足しているものの解明に繋がるのではないか、と考える。彼の言説が垂れ流されただけでは、「チョーセンはけしからんが抗議の手段が悪い」という屁理屈に正統性を与えていることになりかねない。
○今回の放送で至極真っ当な指摘と思えたのが、作家の保阪正康氏の指摘である。「乱暴な言葉が社会に巻き散らかされることが日常となり、怯えて言論の自由を享受しなくなるのが怖い」「自分たちの国が100%正しく、相手の国が100%悪いという論調は、多様性、知性を失い、暴力的な方向へと近づく」という言葉は、重く受け止めなければならないのではないか。
○これは少々穿った見方、というか妄想半分であるが、政権は、今年に入ってこのような極端な差別主義『だけ』は切り捨てるというポーズを見せている。例えば『ヘイトスピーチは許さないポスター』とかの啓発活動である。政権が、自らの政策に抗い異議を唱える者への露骨な排斥姿勢を維持し続けているのは言うまでもないが、在特会等極端な差別集団との親和性は否定することで、立ち位置の中和というポーズを外形的に見せる、という「アリバイ工作」が透ける。このような番組放映もその臭いを醸す一環なのだろうか、という気がしないでもない。
○最も、ネトウヨ界隈は、今回の放送が偏向報道だと異口同音にピーチクパーチクしており、まったく成長していないのは笑える。
http://togetter.com/li/769678
「カンコクのヘイトスピーチも放送しろぉ」
「ガイジンの生活保護受給は憲法違反だという最高裁判決を無視するのかぁ」
「朝鮮人虐殺はウソだぁ」
骨の髄までカンコク憎しに漬かっている残念な人間がここぞとばかりに溢れてきて気持ち悪い。ロバート・キャンベル氏の言を借りれば、「驚くほど、内容が、中身が、無い」。
いま、この社会に巣食うヘイトスピーチ、それを断ち切るためにどうすればいいのか、その議論は社会的には始まったばかりだ。予断や偏見ではなく、正確な知見に基づいて議論が進むことを願う。そのためにもマスコミには一層の奮起を期待したい。
私や拙ブログにできることは限られているが、「声を挙げ」「現状に抗う」ことで、微力を尽くしたいと思う。