いち在日朝鮮人kinchanのかなり不定期更新日記

はてなダイアリーから移行しました。古い記事ばかりになりましたが、ボチボチ更新していこうと思います。

元『慰安婦』の方の叫びに心を寄せていたいと思う ― 詩 『謝れ』

拙ブログでは度々、突然に訪問者が乱入してきて、『従軍慰安婦』問題を議題として吹っかけられる。エントリーとは関係無く突然に、である場合が多い。その訪問者と会話ができる/できないはともかくとして。

従軍慰安婦』問題における歴史的な事実を検証する作業として、
日本軍の関与があったか/なかったか
強制性があったか/なかったか
日韓基本条約締結後に明るみになった当該問題に、日本国家が賠償責任を負うべきか/負わなくていいのか
という着眼で議論、物言いが繰り広げられることがほとんどだ。日韓間の政治論争として取り上げられる以上、このような主題設定に誘導されていくことは、この議論の性格をよく表しているとも言えるが、日本の政治力学からすれば致し方ない、とも思う。
しかし、私はこのような着眼の議論については、学習はすれども、私の人生観とかアイデンティティというものの『身の丈』の話からの距離感の乖離を如実に感じるし、加えて当事者なり歴史家なりが声を挙げ実態の解明に勤しんでいるのに、私めが短い人生でかじったしょうもない印象論や傍論を書き殴ってもしょうがないと考えている。つまりは不勉強であるから要らんことを書かないでおこうと思っている。お任せしたいと思っている(歴史修正主義植民地主義の系譜で当該議論をドッチラケにしようと画策する者については断固拒否したいが)。従って私からいろいろコメントをするのは、勝手ながら差し控えさせていただいている。そんな拙ブログに訪れ、的確なご教示ご対応をしてくださる諸兄には感謝申し上げる他ない。

このような私ではあるが、
元『慰安婦』の方々の体験や証言を記録すること、語り継ぐこと
は、元『慰安婦』のみなさんの命、という時間の制限があるなかで、今しかできないことであり、歴史を我がこととして学び、その教訓や反省を次世代に受け継ぐことは、私自身が、かの歴史的事象で生み出された存在であることも関連して、しっかりやっていきたいと考えている。



ここで私は一篇の詩を紹介したい。『従軍慰安婦』として生かされた方々の実態、心の叫びを赤裸々に表したものだ。
1年ほど前だったか、facebookで紹介されていたのを読んで、衝撃を受けたものだ。
この詩に触れ、どのような感想を持たれるだろうか?

少なくとも、
「高給取りだった」とか「好き好んで」とか言って『従軍慰安婦』という制度を現代に持っていた愚を希釈しようと必死の人間
とか
「軍人の性欲をコントロールするためにはこのような制度が必要なことは誰でもわかる」とか「沖縄の米軍も風俗業を活用したらいい」とか言って過去および現在の女性の尊厳を根こそぎ奪っても恥じようともしない政治家
とかが言いふらしているような言説は跡形も無く吹き飛んでしまうほどの、歴史的事実としての威力、残酷さを感じることができる。
まさに、この世の地獄であり、絶望の日々なのだ。



謝れ


作詩 イヴ・エンスラー
共訳 許 玉汝/小川 和子


私たちの話は私たちの頭の中にだけ存在する
蹂躙された私たちの体の中にだけ


戦争の時間とがらんどうの空間の中にだけ
どの様な公式的な記録も文書も跡形も無い
ひたすら良心だけ
ただそれだけ


私たちが約束されたこと:
私が彼らについて行けば父を助けられる
仕事につくことができる
国のために働ける
行かなければ私を殺すという
そこがもっと良いという


私たちがみつけたもの:
山も無く 木も無く 水も無く
黄砂 砂漠 涙でいっぱいの倉庫
数千名の心配事だらけの少女たち
私の編んだ髪は切られ
下着をつける時間も無かった


私たちがさせられたこと:
名前を変えさせられ
ボタンの外しやすいアッパッパを着せられ
一日に50人の軍人の相手をさせられ
生理の時もさせられ
服も脱がず男根だけを出す軍人ともさせられ
あまりにも多くの男を相手にして歩けなくなってもさせられ
足を伸ばすことも体を曲げることができなくてもさせられた


彼らが私たちに繰り返ししたこと:
ののしり
殴り
血まみれになるまで腹をえぐり
消毒して注射してまた殴り
穴をあけ穴をあけ


私たちが見たこと:
浴室で化学薬品を飲んだ少女
爆弾に当たり死んだ少女
銃に撃たれさらに撃たれた少女
壁に頭を打ち付けた少女
溺死するように川水に放り投げられた栄養失調になった少女の体


私たちに許されなかったこと:
体を洗うこと
出歩くこと
医師に診察を受けること
コンドームを使うこと
逃げること
赤ん坊を守ること
やめてと言うこと


私たちが貰ったもの:
マラリア 梅毒 淋病 死産 結核 心臓病 精神発作 憂鬱症


私たちが食べたもの:
飯 味噌汁 たくわん 飯 味噌汁 たくわん 飯 飯 飯


私たちがなったもの:
破壊され
道具になり
不妊になり
穴になり
血だらけになり
肉の塊になり
追放され
沈黙され
1人ぼっちにされ


私たちに残されたもの:
決して消すことのできない衝撃
死んだ父
無賃金
傷跡
男への憎悪
子もなく
家もなく
空っぽになった子宮
酒癖
罪の意識と羞恥心
何も 何も!


私たちにつけられた名前:
慰安婦 堕落した女たち


私たちが感じたこと:
私の胸は今も震えている


奪われたもの :
春 私の生!
私たちは今、74歳 82歳 93歳
目は見えなくのろいけど準備はできている
毎週水曜日日本大使館前でこれ以上恐れること無く


私たちが願うこと:
今すぐに
私たちの話がこの世から消える前に
私たちが死ぬ前に
日本政府よ 謝れ どうか
慰安婦の女性たちに悪かったと
私に謝れ 私に悪かったと謝れ


私に 私に 私に!
謝れ! 悪かったと謝れ! 悪かったと!