いち在日朝鮮人kinchanのかなり不定期更新日記

はてなダイアリーから移行しました。古い記事ばかりになりましたが、ボチボチ更新していこうと思います。

「差別だ!」と声をあげるということ ― 不動産取引を巡る人種差別の実験動画(20140121追記あり)

差別に対する不当性を晒す秀逸な動画が、facebookで紹介されていた。


http://www.youtube.com/watch?v=xwfPvS-69qw



短時間に数十発のパンチを喰らったような衝撃に襲われ、思わず見入ってしまった。短く記す。

私個人は人生の中で何回か賃貸アパートを借りた経験があるが、朝鮮人だからと入居を断られたことは無い。流石に21世紀にもなって人間の属性で買い手や借り手を選別するということが許されるはずが無いので、そのような差別を喰う警戒感は塵も無かった。元々大阪は朝鮮人が多く、それも朝鮮人の集住地域で借りるわけだから。

しかし、近年でもたびたび外国人の入居拒否が裁判沙汰になっていることを思うに、まだまだこの種の問題との決別は遠いのかな、と感じる。昨今の嫌韓ブーム等、人種や属性で人を決めつける物言いに何の抵抗感も感じていない人間が量産される時代背景だから、余計にそう思う。そう言えば妻と最初の棲み家を探した時に、不動産屋のニイチャンが、「この辺はいわゆる同和地区だから」とかサラッと言ってのけたのを目の当たりにして絶句したのを思い出した。このニイチャンなら、別の客には「この辺はザイニチが多い」とか、何の抵抗感も無く言っているかもしれない。

目の前にある具体的な差別に対して「差別だ!」と表明すること、人種や属性に対する差別を社会悪として共有し被差別者と共に連帯することは、この社会を劣化させないために、子の世代に悲しい思いをさせないために、勇気を持ってやっていかなければならない、と思う。
しかしこれまで、自分自身にも差別心を向けられたことが度々あったが、心の中で泣きながらも、半笑いしながらやり過ごし、その後距離を取るようにしてきたのが常だったように思う。目の前の理不尽に抗うよりも、そのような発想の者と議論しても仕方が無い、と言う『諦念』が先に立つことが多かった。
もし仮に、私がこの動画にあるような、他者に対する露骨な差別意思の表明に偶然にも遭遇したら、この動画の登場人物のように、被差別者と共に居ることを示し、その不当性に共に抗うことができるだろうか、と自分自身に問いかけてみた。残念ながら、自信を持って行動を起こす場面が想像できなかった。絶句したまま立ち尽くすか、その場をやり過ごすことを考えるかもしれない、と思った。その時点で私は差別への加担者だ。
マイノリティ当事者として常日頃から現状を憂い勉強をしてきた私だが、私個人は無力でちっぽけなものだと悟った。その意味でも差別との決別には、その差別に抗う者同士の連帯が大きな意味を持つのだと改めて思い知った。

蛇足だが、日本でもこの動画にあるような社会的実験をやるような硬派なテレビ局の登場を期待できないものだろうか?これだけレイシズムがはびこっている今だからこそ、その醜悪性を世に問うには絶好の材料だと思うけれども。



20140121追記

コメント欄で紹介されている別バージョンの動画を並行でご覧いただけるようにしました。

http://www.youtube.com/watch?v=eM1odxhILnY

http://www.youtube.com/watch?v=hwpNQ1NWzOU