「従軍慰安婦」騒動について ― ハルモニ、橋下に会わなくて正解です。
橋下大阪市長がいわゆる「従軍慰安婦」について、「当時は必要だった」などと吐いた問題について、短く書こうと思う。
ことの発端となった発言から、内外の反響反発が余りに大きかったのにビビったのか、のちの軌道修正がブレまくって支離滅裂。少しでもダメージを少なくするためか「日本人の読解力不足だ」「新聞の大誤報だ」「自民党が言わないから僕が言った」と『他人のせい』を連発し、方々に八つ当たりをやりだす始末。立ちのみ屋の客のおっさんのほうがもうちょっと品がありそうなものだ。この男が公党の党首とか自治体の首長とかの器ではなかったことは論を待たない。数々の知識人や良心的ブロガーが知事時代から警鐘を鳴らし続けてきたが、この一件でようやく社会一般が覚醒しそれに耳を傾けだしてきた、ような気がする。
ところで、性奴隷として酷使蹂躙されたハルモニたちが、橋下に会うという報に触れ、私は「ある種」の危惧をしていたが、無事回避された。
橋下氏との面談中止=元慰安婦「会いたくない」
時事通信 2013/05/24-12:26
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2013052400163
(引用開始)
日本維新の会の橋下徹共同代表(大阪市長)が24日に予定していた元従軍慰安婦の韓国人女性の金福童さん(87)、吉元玉さん(84)との面談が取りやめとなった。慰安婦などに関する発言を撤回しない橋下氏に金さんら2人が反発し、面談の中止を申し入れた。
金さんらは24日、「被害者の胸痛む現実と歴史を、橋下氏の謝罪パフォーマンスと引き換えにすることはできない。政治家として間違いに対する責任を取り、政界から引退することを望む」などとするメッセージを支持団体を通じて発表した。
金さんらは、慰安婦問題をテーマとした市民団体の集会などに出席するため、先週来日。金さんらの要請を受け、24日に大阪市役所で橋下氏と面談することになっていた。しかし、市によると同日、「金さんらは橋下氏の発言を非常に不愉快に感じており、会いたくないとの意思表示をしている」との連絡が支援団体からあった。
橋下氏は同日、市役所に登庁したが、記者団の取材要請に応じなかった。
橋下氏は13日に「銃弾が雨・嵐のごとく飛び交う中で、猛者集団を休息させてあげようと思ったら、慰安婦制度が必要なのは誰だって分かる」などと発言。在沖縄米軍に風俗業の利用を勧めたことと併せ、国内外から厳しい批判の声が上がっている。
(引用ここまで)
ハルモニと橋下との面談は、今般急に企図されたわけではなく、昨年「(「慰安婦」が強制されたものだという)証拠を出せ」という橋下の妄言に抗してハルモニが「それでは会おう」と言っていたのを、橋下側が拒否したのが発端である(http://mainichi.jp/graph/2013/05/24/20130524k0000e040192000c/002.html)。「面談希望なんていくらでもあるんだから」「その日は休みなんで」と断っておきながら、面談予定日だった当日は例によってツイッターしまくっていたわけだから、ろくな人間ではない。
ハルモニが実際に会ったところで、逃げ口上を拵えることが常套になっている卑劣な男から、真正面からの真摯な謝罪を得られるはずもない。また橋下本人は、自分の発言や立ち振る舞いが全世界的な騒動に発展し日本の外交上重大な支障を招いているのに、「僕は市長、野党党首で外交責任はない」などとほざいている。それでいて「日本政府に法的責任があると思っている」と表明しようと思っていたというのだから開いた口が塞がらない。自分が『減らない』リップサービスで子供騙しを仕掛けて、それでハルモニたちが満足し、自己への批判が希釈されるとでも思ったのか?余りにもクズだ。
「従軍慰安婦」の強制性自体を否定し続けているが、これは13日の発言の時点から論理的に破たんしている。こんな男の口先だけの謝罪、お見舞い、土下座を見たところで、安い政治パフォーマンス以上のものにはなり得ない。対面しているそばからおのれの吐いた言説の言い訳に終始し、ハルモニの背負った歴史に思いを寄せることなど、ある訳がないことは目に見えている。
私は、ハルモニが遠路お越しになるのに、この差別主義者の政治遊戯の具にされ、枝葉末節の堀り返しでもって国家レベルの言い訳に加担させられ、という数知れぬセカンドレイプの中でも最高レベルのそれに見舞われ、高齢のハルモニの御心に障るのではないかとずっと危惧していた。だから会うべきではないとずっと思ってきた。歴史に対する畏怖、先人に対する畏敬など心に無く、聞く耳を持たない歴史修正主義者、差別主義者に、会う価値など全くない。
ハルモニが生きている間に、日本政府が真摯に歴史の真実と向き合い、ハルモニの心の叫びが報われる日が来ることを、心から願う。