いち在日朝鮮人kinchanのかなり不定期更新日記

はてなダイアリーから移行しました。古い記事ばかりになりましたが、ボチボチ更新していこうと思います。

盛り上がらなかった祭り(参院選)の後で、無権者は思う。

参院選が終わった。思ったとおり、盛り上がらなかった。というか、有権者が、マスコミが、まったく盛り上げなかった。民主主義の手段たる選挙が、こんな投票率、そしてこのザマで、自分らの民主主義を何だと思っているのだろうか。私はとにかく、重く、暗く、陰鬱な思いである。
この思いについて、いくらか拙い文を連ねてみる。



私は朝鮮人だ。韓国籍だ。従って無権者だ。
この間、私の職場でも、職場の同僚や、パートやアルバイトの連中が、期日前投票に行ったかどうかと話をしているのを耳にした。パート連中が、「選挙行った?」「行ったよ、期日前!」「私も明日行くわ、でも誰が出てるんか全然知らんわ(笑)」などと『平和』なことを言っていた。
私はそれに居合わせても、一緒に笑ったり、或いはそれを諌めたりができなかった。私は無権者だ。その話題に立ち入ったところで、私には『関係の無い』話だ。私には『共通の話題』ではないのだ。

職場での立場は上から数番目、何かあればすぐに彼らは「金さんお願いします」と頼ってくる。職場では中心メンバーである私が、職場の人間ほぼ全てが持っている投票権を、私だけは持っていない。
この心情を、ある在日の学者はこんな風に形容していた。「みんなで入場券買って競馬場に行ったんだけれど、私だけ馬券を買わせてもらえない。仕方がないのでみんなが買う馬券を見るんだけれど、何でこんな変なのに賭けるんだろうって、そんな感覚かな」と。なるほど、とは思う。
私にとって選挙は、何とも言えない居心地悪さ、やるせなさ、疎外感、孤独感というものを感じるものだ。毎回そうだ。しかし今回ほど、その気持ちを抑えるのが困難だった選挙は無かった。

自らが掲げる憲法と手続きをないがしろにし、少数意見を踏みつけながら、ただひたすらに思い込むことだけを追求する政治勢力。掲げる改憲草案は人権条文を大きく後退させ、前近代的で時代錯誤な文句が並ぶ。よりによって安倍が緊急事態と言い出せば全権掌握できるにまでなっている。それなのにマスコミは懐柔策に屈しチカラを失い権力者の太鼓持ちに化し、権力者と一緒になって少数者弱者異端者を吊るし上げることに熱中している。
これは『普通の感覚』であれば、危なっかしくて仕方がない。ナチの台頭前夜とも思うし、民主主義をこれほどに分かりやすく破壊する勢力の台頭は、市民が英知を結集して阻止しなければならないはずだが、市民は問題意識を共有できていない。

私のこの暗い思いを、ほぼ重ねている文を、映画監督の森達也氏が書いている。URLを紹介するので参照願いたい。選挙前に書かれたものだが、ほぼ予想通りになってしまった。

まだ絶望していないあなたへ
ポリタス 2016年7月4日
http://politas.jp/features/10/article/496



私が、永住外国人参政権について、どのように考えているのかについては、本稿を進めるうえで重要な視点ではないのでこの際置く。
しかし、日本の主権者である日本の市民自身が、
情報リテラシーを高め、自らの代表者に常に関心を持ち、
*自らの権利たる投票権を行使し、「よりましな」「より危険でない」者を選ぶ
という、私からしてみれば当たり前の行動を、こうもやすやすと放棄する姿を見るにつけ、つまりは、主権者自らが主権者であることを放棄している姿を見るにつけ、私の無権者としての虚無感は、言いようのないほど高まっている。

そして、なおも続く安倍政治を前に、今度は朝鮮人の何が奪われるのか、私の関心は既にそちらに向いている。
拡充には最後まで手をつけられず、排除には最初に手をつけられるのが、マイノリティの人権、特に敵性とされた朝鮮人の人権である。安倍が政権を取り直して真っ先に手をつけたのが朝鮮高校の無償化排除固定であったことが象徴であるが、彼はことあるごとに朝鮮人の自尊心に土足で踏み込み続けてきた。日本社会が彼に更なる政治生命を与えたいま、そのことにもなお私は警戒を続けなければならない。

いま私は、言いようのない感情と共に、虚ろな目でテレビを眺めている。