いち在日朝鮮人kinchanのかなり不定期更新日記

はてなダイアリーから移行しました。古い記事ばかりになりましたが、ボチボチ更新していこうと思います。

韓国領事館による在日分断・選別の愚劣

私は普段、自分自身のことを「在日朝鮮人」と称しているが、国籍上は韓国であり、大韓民国の旅券を所持している。何故「朝鮮人」なのかというと、私にとってルーツの地である祖国はいまは分断国家となっているが元々南も北も無く、民族としての総称としての「朝鮮」を使いたいというのが気持ちとしてある。また「韓国人」よりも「朝鮮人」のほうが下劣に聞こえ、反応次第で対話相手の腹のうちが見えるというのもある。だから「在日朝鮮人」と自らを称している。このことは本稿の本旨ではないのでこの程度にしておくが。
在日同士の繋がりでは断片的に漏れ聞こえてきていた話題であるが、どうやら本格的な流れになって来ているようなので書いておく。

韓国のときの政権によって、対在日僑胞政策が大きく変遷する。そのことによっては韓国渡航ができなかったり、韓国籍であっても旅券発給が受けられなかったり、僑胞生活に実害が発生する、ということが起こっている。
私の知るいくつかのエピソードを記そうと思う。個人的なエピソードを含み、一部団体名や地域名ははぐらかすがそこは了承いただいて読んでもらいたい。



■叶わなかった韓国渡航

韓国籍者は申請によって韓国パスポートが発給され、現地在住の韓国人と同じゲートを通ってすんなり韓国に入国できるが、国交の無い日本は勿論、敵国である韓国でも当然通用しない朝鮮パスポートしか持たない(そもそも旅券を持たない朝鮮籍者が圧倒的に多い)朝鮮籍者が、墓参とか学術上の招聘とかその他諸々、正当な事情を持って韓国に入国しようとする場合、どうするのかというと、一般的には、韓国領事館に日本の役所が発行した外国人登録証明書とかを提出して身元を確認してもらったうえで、渡航目的とかを証明して「旅行証明書(通称臨時パスポート・臨パス)」の発給を受けて渡航するのである。

十数年前、私の知人が属する朝鮮総連系の文化団体が韓国内の団体に招かれた。韓国のパスポートを持つ者の渡航には制約は無いが、朝鮮籍のメンバーの渡航が問題になった。朝鮮籍者は韓国領事館に赴き、招聘元の招聘状を示して「韓国民と在日僑胞との交流」を目的に渡航したいと理由を明示して旅行証明書の発給を申請した。
結果はYesだった。申請から旅行証明書の発給まで1週間程度だったという。窓口でも一つ返事で「いついつ来てくださいね」的な簡単な受け答えで、本当にすんなりと旅行証明書の発給を得て、韓国内での文化交流も成功裏に終えることができたという。
ときは金大中政権下で、南北融和ムードの中にあった。長らくイデオロギーの対立で閉ざされていた南北間(そして「北韓系」同胞にとっては日韓間の)境界が、ようやく取り払われ、寸断されていた人々の流れ、それに伴う対話や文化交流が活発になっていったのが、まさに金大中政権下での動きであった。いくら「北韓系」「朝総聨系」の在外僑胞であっても、正当な目的での韓国入境を拒むということはなかった。植民地支配による民族の大移動、解放と時を同じくしての領土分断、戦争、殺戮、家族離散…様々な紆余曲折を経た我が民族の苦悩や葛藤は、立場や依って立つ思想心情は違えど、南北そして海外の僑胞同士、共有しうるものであった。そして実際に韓国と「北韓系」の僑胞はそれまでの分断・断絶の時間空間を埋め合わせるように、数々の交流事業を企画し、多くの人々が閉ざされた境界を渡り、民族愛・同胞愛を行き交わしたのである。

ところが、近年、つまり、李明博朴槿恵という右派政権になってからというもの、同じように朝鮮総連系の団体が韓国の団体から招かれ交流を行おうとしても、状況は全く異なっている。
前掲の同じ朝鮮総連系の文化団体が、韓国内の別の団体から招待を受け、文化交流をするということが企画された。十数年前の経験があったので、同じような手続を踏むべく招聘状を出してもらい、韓国領事館への申請に赴いてみると、以前の時とは比べ物にならないほど詳細の「身元申述書」の提出を求められたという。事細かな経歴や家族構成、そしていわゆる「朝総聨」での活動歴、「北韓」への渡航歴、朝鮮学校での民族教育歴等を記入する欄があり、のっけから大きく躓いたという。

 参考:駐大阪大韓民国総領事館ホームページで紹介されていた朝鮮籍身元申述書の記入見本
 身元申述書%28見本%29.pdf 直

それらの書類を整えて再度赴くと、次には領事との面談が待ち構えていたという。そこでもいわゆる「朝総聨」での活動のことを根掘り葉掘り探られたらしいが、朝鮮総連の幹部でない、ただ朝鮮学校を卒業して、朝鮮総連系の文化クラブに属しているだけの当人からすれば、文化交流のために数日韓国を訪れるだけなのに何故にそこまで詮索されねばならないのか、皆目見当が付かなかったという。旅行証明書の発給可否の判断には最低1カ月を要するということだったが、数週間経ったところで領事館から電話連絡があった。結果はNoだった。
その報を聞いて、そこから私もいろいろと情報をあたったりしたのだが、どうやら朝鮮籍者の韓国渡航は、これまで各地の領事がそれぞれの裁量で判断していたところ、全て本国での判断となったこととか、「朝総聯」での活動歴がある者、朝鮮学校との関係を持つ者、すなわち「北韓系」と看做された者は、全て原則Noとする、というのが、近年の運用となっている、ということを知った。朝鮮総連の中央幹部、すなわち朝鮮政府の代議員となっているような者ならいざ知らず、ただ単に、いわゆる在日僑胞の二大大衆団体のひとつである朝鮮総連と関係を持っているとか、朝鮮学校で学んだとかいうだけで、一方祖国から「スパイ予備軍」「危険分子」の烙印を捺されるわけだから、当人らの韓国政府に対する幻滅加減というのは相当なものであったが、国が決めることだから個人がとやかく言って始まるようなものではない。当人らは断念せざるを得なかった。欠けたメンバーを他の者でフォローしつつ騙しだまし何とか文化交流自体はカタチにしたらしいが、渡航したメンバー、迎え入れた文化団体、双方に癒えぬ疵を残した出来事となってしまった。
(後日談として聞いた話だが、文化交流を終えてから程なくして、別の総連系文化団体から「よく実現できましたね」と驚きの便りが来たという。その文化団体は韓国領事館や韓国当局からの『圧力』によって交流会自体がキャンセルになったらしい)



朝鮮籍韓国籍の多難と思想教育

実は、私は幼少期は朝鮮籍だったが、国籍変更によって一家全員で韓国籍になったという経歴を持っている。ここで朝鮮籍というものの性格を一応説明すると、朝鮮籍者とは日本の朝鮮植民地化に伴い日本国籍とされていた朝鮮人のうち、朝鮮の解放後も引きつづき日本に居住した者が、日本から日本国籍を剥奪されて外国人登録制度の対象になったことに伴いつけられた便宜上の籍、つまり記号である。このうち、韓国との国交回復によって「韓国籍」が日本で認められ、韓国の国籍を取得した者は「朝鮮籍」から「韓国籍」となったが、それをしなかった者は「朝鮮籍」のまま残った。何故それをしなかったのかは、分断国家を認めたくないという者や、統一祖国を見るまでは一方国家に帰属したくないという者、朝鮮政府への支持あるいは韓国政府との敵対という意図で「韓国籍」を取得しない者など、それこそ様々なケースがあるが、我が家族がそれまで「韓国籍」を取得しなかったか理由は、恐らくこれが最も多いケースなのだが、「めんどくさかったから」である。そう、本当に面倒なのである。

その当時、韓国にも日本同様戸籍制度があり、韓国籍を取得するというのは、ニアイコール韓国での戸籍を整理するということであった。私の母は我が息子ら(つまり私や兄妹)と親子であるということを証明する「公的なもの」が何もない、ということが、大きくなっていずれ家を出て行くことを思うとやるせなくて韓国籍に変更したいと言い出したのだ。朝鮮には戸籍制度が無く、朝鮮総連には公的に家族事項を証明するような「領事館的機能」を果たす性格は無いし、当時日本の法律下でも外国人には戸籍が無かったから、『親子の証明』の為に韓国戸籍を整理しようということになったのである。

さて、戸籍を得るためには、祖父・祖母(つまり植民地下の朝鮮から渡ってきた在日一世)の戸籍を回復し、そこに父母そして私ら兄弟の戸籍をぶら下げる必要があるが、父母そして私ら兄弟は、日本の役所に出生届や婚姻届は出していても、韓国領事館にはそれら届出をしていなかったわけであるから、父母に関してはそれら届出事実から何十年も経ってから今更で出生届等を韓国領事館に出さねばならず、その為には届を出した役所(私の父母であれば広島西部の役所)に赴いてその当時に出した書類の写しを得て、それを翻訳しては韓国領事館に持参して届出事実を確認してもらう、という気の遠くなる作業を、家族全員分延々行い、果ては届出遅延の過料(一件12000円程度だったと記憶するが、通常出生後2週間以内に出すべき出生届を50云年経ってようやく出すわけだから仕方がないと言えば仕方がない)を支払ったりして、ようやく我が家族の戸籍は整理され、韓国籍となったのである。戸籍の整理には都合一年以上を要し、私の母はいまでもその苦労を話したりするが、ようやく家族全員の名が入った韓国領事館発行の戸籍謄本を手にして微笑む母の姿は、我が家族のいい思い出話である。

しかし、最近の「朝鮮籍韓国籍」の国籍変更は、事情が異なるようだ。戸籍整理のために日本の役所を巡って書類をかき集めないといけないのは同様だが、前述のケース同様に詳細な申述書を出さなければならないらしい。小学校から最終学歴に至るまで事細かに書かされ(つまり朝鮮学校での学習歴を掘り下げている)、勤務経歴、その役職、職務の詳細、交遊関係の詳細、いわゆる「朝総聨」歴も事細かに申述させられる。審査は領事館によって要する期間が異なるようだが、私の家族の時のように書類の不備が無ければフリーパス、という運用ではなく、いわゆる「危険分子」を排除するための、『実質を伴う』審査が、長くて3カ月を要し行われ、ひとによっては領事との面談もある。

長い時間をかけて審査され、韓国籍への国籍変更が認められた後も関門が残る。『大韓民国国籍取得説明会』と呼ばれる、朝鮮籍から韓国籍を取得した者専門の、「韓国籍取得の意味を理解し、韓国民としての義務を学習する」説明会への参加が義務付けられている。これは事情通の知人に聞いた話なので正確性がイマイチだが、中身はビデオ等を用いて、「朝鮮籍であったあなたたちはいかに愚かな選択を続けていたか」「韓国は韓民族唯一の正当な政府である」「韓国民となったあなたたちは朝総連と訣別しなければならない」「北韓はどんなにデタラメな政権で人権を蹂躙し云々」という、韓国礼賛以上に「北韓憎し」に凝り固まった思想教育の場であるらしい。その後『誓約書』を取られ(どんな中身かは分からない)、やっと領事館での手続は終わる。朝鮮籍だった者の思想や社会的背景を十分に把握し、しっかり『ふるい』にかけようという強い意志が垣間見える。



■「北韓系」僑胞は韓国旅券の取得・更新も大変だ

韓国籍になった後、海外渡航の機会があり、韓国領事館に旅券を申請しに行った。2000年ごろだったと記憶する。韓国戸籍謄本を手に、旅券申請書やら兵役免除の書類やらをいろいろ揃えて窓口に行った。その際、元朝鮮籍の韓国籍者だというのが照会で分かるのだろうか、窓口の担当者に口頭でこのような質問を向けられた。

窓口:「あなたの出身大学はどこですか」
私:「○○大学です」
窓口:「あなたの出身高校はどこですか」
私:「大阪朝鮮高級学校です」

それで質問は終わった。朝鮮学校出身であること、(修学旅行で)朝鮮に渡航した経験があることをもって、まさか旅券発給を拒否されることはないだろうとは思っていたが、予定通りの期日ですんなり発給された。質問の意図は分からないが、「北韓のスパイ」の可能性を探るというタテマエの形式的なものなのだろう、と思った。いずれにしても、まったくもって調査らしきものは何もなしに、韓国の旅券を手にすることができた。
ところが今の状況は、まったく異なるらしい。これまで見てきたと同様、「北韓」「朝総聨」「朝鮮学校」の陰を探り、選別忌避する性格になっている。その辺の実態を書いた記事を引用する(在日朝鮮人国籍選択が、専ら思想や所属に基づいていると思い込んでいるフシがあるのは気になるが)。



在日コリアンらにパスポート更新拒否、内部情報の提供要請――強まる韓国領事館の“圧力”
週刊金曜日公式サイト 2015年9月3日12:14更新
http://www.kinyobi.co.jp/kinyobinews/?p=5455

(引用開始)

在日コリアンに対する韓国領事館の“圧力”が強まっている。朝鮮総聯在日本朝鮮人総聯合会)系の商工会の役職についている者に「役職を降りろ」と言ったり、北朝鮮朝鮮民主主義人民共和国)を訪問したメンバーのリストを渡すよう求めたりするケースが多いようだ。子どもを朝鮮学校に通わせる親には「なぜ朝鮮学校に通わせるのか、日本の学校に通わせろ」と指示したり、「大学は日本の大学に行くように」と進路先に言及することもあるという。領事館から諸々の指示をうけた複数の者たちの証言によると、多くの場合「(指示通りにしないと)パスポート更新できない」「これから不都合なことがおきるよ」と“脅し”めいたことを言われたという。
日本で暮らす在日コリアンの中には、朝鮮民族という立場を重んじる在日朝鮮人と、大韓民国(韓国)のパスポートをもち、韓国人として生活している在日韓国人とに大別される。しかし、韓国籍をもつ人がすべて韓国支持を表明しているわけではなく、ビジネスや海外渡航に制約が生じることから韓国籍は取得しつつ、朝鮮人として生きる人も多い。韓国領事館が“圧力”を加えている対象は、後者の人たちだ。
日本国内には朝鮮総聯系の商工会が各都道府県に百数十あり、それぞれの地域に暮らす朝鮮人の経済活動、市民活動を支えている。各々にいる会長、役員の数は1000人を超える。韓国領事館が焦点を定める一つがこの商工会の役職につく人間たちだ。商工会関係者はこう話す。
「韓国領事館は『総聯は反国家団体なのだから総聯とかかわっていると法律に抵触する可能性が出てくる』と言ってくることが多い。商工会の役職を降りなければパスポートを更新しないぞ、ともよく言ってきます。商工会の内部情報を提供しろと求めてきたこともありました。とりわけ若い世代が中心の青年商工会に対する圧力が強く、総聯の人的基盤を崩すことが狙いなのだと思われます」
【20年前の仕事にも言及】
横浜市に住む男性は2010年、韓国に留学している娘に会いにいこうと韓国領事館にパスポート申請に行くと、「総聯で働いたことがあるだろう」と言われたという。男性はたしかに20年前まで朝鮮総聯で働いていたことがあった。
領事館職員はさらに「働いていた期間の中で1年間、北朝鮮に行っていたはずだ」と続けた。さらに、5年前に他界した男性の父親の経歴や、兄の現在の役職など、次々に指摘したという。男性は「領事館職員は、私の家族の役職を正確に把握していました」と話す。
男性が「20年前のことを言われてもどうしようもない」と反論すると、職員はこう言ったという。
「シベリアに抑留されていた日本兵の中には、帰国後しばらくは何も行動をおこさず、25年たった後に(スパイ行為を)働き出した例がある」
1950年に勃発した朝鮮戦争は53年から「休戦状態」にあるが、北朝鮮と韓国の緊張状態は続いている。男性がこうした“尋問”を受けたのは、10年11月に韓国の延坪でおきた延坪島砲撃事件朝鮮人民軍と韓国軍による砲撃戦)の直後のことだった。
韓国領事館が韓国籍をもつ在日朝鮮人に“圧力”をかける法的根拠は国家保安法だ。48年に制定された治安法で、韓国内の共産主義者親北朝鮮派とされる人間を取り締まる権限を韓国政府に与えている。
それでも金大中政権(98年〜03年)、盧武鉉政権(03年〜08年)時代は今のような緊張状態にはなかったという声が多い。「ふたりの大統領は融和ムードづくりに尽力していたが、08年に李明博政権が誕生してから一気に圧力が強まった」というのだ。13年にはやはり保守派の朴槿恵大統領が誕生し、「韓国領事館からの圧力はピークに達している」と朝鮮総聯関係者は抗議の声をあげている。
小誌は韓国領事館に事実確認を求めたが、「この案件での取材はうけない」ということだった。
(野中大樹・編集部、8月21日号)

(引用ここまで)

旅券の更新拒否をタテに、「北韓系」僑胞に恫喝を加え、『実害』が発生している。旅券の更新でこれだけやられるのだから、新規取得だったらいかばかりか、想像に難くない。



これまで見てきたように、韓国の政権のスタンスによって、韓国籍在日朝鮮人に対する政策が大きく変遷する。
左派政権下では、南北融和ムードが醸成されることも手伝って、韓国と「北韓系」僑胞との間での交流も活発になる。韓国領事館での旅券発給も、寛容かつスムーズに事は進む。筋違いな「大きなお世話」やプライベートへの干渉や詮索は無い。
ところが右派政権下では、早速に「北韓系」僑胞に敵対的立場を鮮明にし、素性や交友関係を調べ上げようとし、国家保安法をタテに、日本での領事事務を使って恫喝・脅しを加え、結果、「北韓系」とされた僑胞は韓国内の家族に会いに行くこともできなくなり、韓国民と「北韓系」僑胞との交流もおぼつかなくなる。南北交流が頓挫するのと同質の動きである。

私は、韓国の政権が採るスタンスによって、在日の実生活が右往左往するのを様々見てきた。いつも思うことがある。
在日コミュニティの多くは、携帯する外国人登録証の国籍欄が「韓国」であろうと「朝鮮」であろうと関係なく、それこそ日本に帰化した「元ザイニチ」も含めて、共に語り、歌い、踊り、奏で、呑み、民族愛・同胞愛を交わし、人生を謳歌している。
しかしそこに分断国家の構図や国家間対立の構図を持ち込み、人々を分断しようとする勢力が現れる。「我」と「彼」を選別・分断しようと躍起になる。コミュニティは分断され、交流は打ち消され、対立や苦悩が広がる。

「融和」と「分断」、どちらが平和に近づき、どちらにコストがかからず、どちらが人々を幸せにするか。私には答えが明瞭に出る。
しかし今日も明日も、分断主義者はせっせと敵を拵え、枠の外に押しやることにあらゆる資源を費やしている。
そして、この「敵を作り、枠で囲い、選別して争わせ、貶める」という行動様式は、どこか間近で何度も見てきたお決まりの光景にも思え、私には既視感が拭えない。