いち在日朝鮮人kinchanのかなり不定期更新日記

はてなダイアリーから移行しました。古い記事ばかりになりましたが、ボチボチ更新していこうと思います。

朝鮮学校に通う子供たちを暴力や暴言から守ろう − 『オリニチキミ』(20111226タイトル変更)

関西の在日コリアンを中心に、朝鮮学校の生徒を暴力や暴言から守ろうという、『オリニチキミ』という運動が立ち上がった。
昨今の北朝鮮に絡む情勢に関連して、勝手連的に立ち上がったものだが、意義が大きい。全面的に賛同する。
以下に呼び掛けの文書を全文掲載する。



「オリニチキミ(朝鮮学校に通う子供たちを守る市民の活動)」

 朝鮮学校に通う子供たちは、朝鮮半島情勢や、朝鮮と日本との関係に常に翻弄されてきました。

 通学中の電車のなかでチマチョゴリの制服をズタズタに切り裂かれた朝鮮高校の女子生徒。駅の構内で「こら、お前チョーセンか? とっとこチョーセン帰れ!」と暴言を浴びた初級学校(小学校)の児童。あるいは、学校からの帰り道、背後からいきなり突き倒された中級学校(中学校)の男子生徒。

 このような事件以後、朝鮮学校生徒たちの間では大きな変化が起こりました。女子生徒らはチマチョゴリの制服を着て通学できなくなりました。中級・高級学校の生徒らは、自分の名前が刺繍されたジャージを着て通学するのを避けています。初級学校の生徒らは、電車のなかで朝鮮語でしゃべらないようにしています。

 このような恐怖と危険を感じながら、子供たちが朝鮮学校に通わなければならない状況はもうたくさんです!!

 電車の駅や車内で朝鮮学校の生徒らを見かけたら、目の届く範囲の所から温かく見守ってあげましょう。あるいは、話しかけることで、暴言・暴行に対する抑止力にもなるでしょう。もし、車内や駅の構内や道端で、朝鮮学校の生徒らが暴言・暴行を受けている様子を目撃したら、「おい、何やってんだ!」と声を上げましょう。そして子供たちを保護してあげましょう。 
 今こそ、子供たちが何の心配もなく朝鮮学校に通える社会を、みんなの力で作っていこうではありませんか!


「オリニ」とは子供たち、「チキミ」とは守り人を指す。朝鮮学校の子供たちのために守り人となってください、という意味だ。

残念なことに、ここ何十年も、朝鮮学校の生徒は「北朝鮮の使者」の扱いを受け、北朝鮮に悪意を持つ住民の標的となってきた。かく言う私も朝鮮学校に通っていたときに、変なニィチャンに絡まれたり、変なオッサンに喧嘩を売られた経験が一度や二度ではない。
大きな社会問題となった「チマチョゴリ事件」が起こっていたときなどは、私も学生時代で本当に他人事ではなかった。あそこの学校の生徒がやられた!という話をリアルタイムで聞いたものだ。私の同級生の母親から「救急車のサイレンが鳴るたびに、私の娘がやられたのではないか、と玄関先に出て行って、そうでないことを確認して胸をなでおろしていた」といった、涙ながらの話を聞いたときは、私も胸が熱くなった。

私はこのブログで何度も指摘したし、今回も飽きずに指摘するのだが、
北朝鮮を取り巻く情勢、北朝鮮の政策決定云々と、朝鮮学校の生徒とがリンクする訳が無い。何の関係も無い。かの政権を批判する自由はあろう。朝鮮学校の生徒を排撃する自由は何も無い。
日本と北朝鮮の関係は改善されるべきだし、それは在日朝鮮人にとっても歓迎すべきものだ。朝鮮学校の生徒がその一翼を担う可能性もあろう。しかし現在の両者の関係が悪いことの責任が朝鮮学校の生徒にある訳が無い。その謗りを受ける理由も無い。
それなのに、一部の日本市民が「私の町の北朝鮮」たる朝鮮学校の生徒に、おのれの批判どころか鬱屈した憎悪をぶつける行為は、愚としか表現しようが無い。
生徒たちが学校で何を学ぼうが、生徒たちが北朝鮮をどう思おうが、北朝鮮に対してどういう態度を取ろうが、暴言、暴行が正当化される訳が無い。おのれが培養した北朝鮮に対する憎悪(妄想含む)を発散して朝鮮学校の生徒に恐怖心を与えたことで、おのれが欲するもの(彼らの北朝鮮への親和性を緩めるとか、日本への同化を促すとか)が実現する訳も無い。果てしなく逆の効果のみが与えられる、どこまでも愚かな行為だ。
最近に至っては、ただ単に社会への不満を悶々と抱いている連中が、社会的に「ケガレモノ」認定された朝鮮学校の生徒なら免罪だとばかりに、その鬱憤晴らし(自慰行為)の標的にする、という唾棄すべき行為まで散見される具合だ。

朝鮮学校に通う生徒、あるいは朝鮮学校に子供を送る親であれば、そのような恐怖は常に付きまとう。それこそ自分の関係する学校でそのようなことが起こったとしても、軽微ないやがらせが一回起こった程度では驚かないほど常態化している。
しかし、このような行為が日本の至る所で確認されているのに、日本社会全体で、このような行為の存在が広く共有され、あるいは不当性が糾弾され、そのような行為に及ぶことが恥として認識されることは、残念ながら無い。『チョーセン=悪』の図式ですべてが片づけられ、あるべき姿の探求は行われず思考停止し、差別が放置され、屁理屈がまかり通る。私はこの感覚の劣化を問いたい。

もし目の前で朝鮮学校生徒に対する暴力・暴言が行われていたとして、あなたはそれに反対の意思を示していただけるだろうか?あるいは傍観して関わらないのだろうか?あるいは一緒に排撃に加勢するのだろうか?
私は、朝鮮学校の生徒に対する態度に、日本社会の良心の存在を信じたい。