金正日総書記死去の報に接し思う
今日、北朝鮮の金正日総書記が死去したという報道が、北朝鮮から発信されたようだ。
祖国の国家元首の死に、謹んで哀悼の意を表し・・・という風には思わない。私の内心として、彼の死を悼む気はさらさら無い。私の叔父は1970年代に永住帰国したが、いまはその生死すら分からない。人の価値が恐ろしく低い社会に住まわざるを得ない人々を量産した権力者が、栄光を一身に受けることに同意できるほど私は呑気ではない。
しかし、とはいえ国家元首だ。我々在日コリアンにとって北朝鮮は韓国と共に我が祖国であり、その国家元首が死んだのだから、総連の活動家でなくても、総連のコミュニティーに属する私は、儀礼的にそうするようなシチュエーションが生まれてくるかもしれない。
例えば、私の属する会社は、純粋な日本資本の企業だが、相当有名なワンマン社長で、私は内心では早く死ねと思っている。しかし社長が死ねば、私は葬儀に行くだろうし、焼香のひとつもあげるだろう。儀礼的にそうするだろう。会社員として当たり前である。
社会生活を送るうえでは、本心と違うことでもやることは往々にある。自分の気持ちは脇に置いてでも互いに儀礼を尽くす。それが大人の社会、なのである。
ところが、である。たぶんこんな者が湧いてくる。妄想かも知れないがこの際はっきり言っておく。
ここ数日以内に、葬式の家に火を投げ込むような無礼極まりない連中が、現実社会に必ず現れる。恐らく日本各地で行われる、在日同胞による追悼イベントとかに、日の丸を持った悪趣味な連中が押し掛け、見当違いなことを言って悦に入ることが簡単に予想される。
ネット内で騒ぐだけならともかく、静かに故人を悼む人々の中に太鼓や鳴り物を担いで喧嘩を売りに行くような、ばかげた真似は、日本と朝鮮のこれからの未来を考える際、一文の得にもならない。
在日や朝鮮との関係改善を耳の垢ほども望まない連中が、これお祭りとばかりに不健康そうな顔を晒しに出てくると思う。
しかし日本社会の良心が、そのような連中の存在価値を、絶対に認めることの無いよう、切に願う。