いち在日朝鮮人kinchanのかなり不定期更新日記

はてなダイアリーから移行しました。古い記事ばかりになりましたが、ボチボチ更新していこうと思います。

とうとう「殺す」と言い出した、在特会連中の妄想はどこまで暴走するのか

これまで躊躇ってはいたものの、今回は最悪のレイシスト団体「在特会」について書く。
先日「在特会」の連中が、飽きもしないのか東京・小平市朝鮮大学校にまたもや押しかけ、また悪態をつきながらおのれの恥を切り売りして歩いた。私も事前に情報は得ていたし、その動画が公開されたのも知っていた。しかし私は連中の悪趣味極まりない動画を静観していられるほど「さばけた」人間ではなく、それを見てたら自分のPCを破壊しそうになるので、見ないようにしていた。
しかし、このたび「在特会」会長が「朝鮮人を殺しに来た」と吐いたようだ。ついに連中の妄想発信の憎悪心とやらはここまで暴走し制御不能になったのかと呆れる。
先ずは、こちらのブログ内容から。



在特会」に「殺す」と言われた - 日刊イオ
http://blog.goo.ne.jp/gekkan-io/e/d475315ac4201488c76f8958db9b9363

(引用開始)

先週末、母校である朝鮮大学校(東京都小平市)の創立55周年記念行事が行われた。日曜日には記念フェスタが開催され、卒業生を中心に多くの同胞、日本人が同校を訪れた。
私は両日とも別の仕事が入っていて、参加することができなかったが、時おり雨の降る天気にもかかわらず大変な盛り上がりだったと、参加した知人は話していた。

一方で、大学の校門前では、「在特会」(「在日特権を許さない市民の会」)が「抗議行動」なるものを繰り広げていた。この最悪のレイシスト集団はいつもながらの騒動を性懲りもなく繰り広げた挙句、同会の桜井誠会長は「われわれは朝鮮人を殺しにきた!」とまで発言したという。
在特会」が来るということは、彼ら自身が大々的に宣伝していたのであらかじめ知っていたが、「殺しにきた」発言を含めた当日の狼藉ぶりの詳細は同日夜、ツイッターなどのSNSで知ることになった。
私は正直怖くなった。自分の属する民族集団を「殺しに来た」と言われて恐怖を感じない人がいるだろうか。そして、自分の面前で「殺す」と言われて平気な人間がいるだろうか。ネット上で殺すという言葉を書き込んだ人間が逮捕されるのだから、公衆の面前で殺害予告をしている人間も当然逮捕すべきだが、警察はそうしない。

在特会」は自分たちのことをマイノリティだと思っているかもしれないが、彼らの主張は日本社会の少数意見では決してない。インターネットで朝鮮学校を検索すれば、「在特会」のような主張で満ちあふれている。自民党民主党の政治家の発言や産経新聞の論調を見てみればいい。たとえば朝鮮学校に対する「高校無償化」適用問題で、彼らの主張と「在特会」の主張がどれだけ似通っているか。そして、「殺しに来た」発言はその場にいた警察にスルーされているので、国家権力も「在特会」のヘイトスピーチを黙認しているということだろう。政治家、メディア、そして国家権力をバックにしてなされている差別行為が「マイノリティ」であるはずがない。

「殺す」と名指しされた集団にとって、そしてその集団に属する私にとって、彼らの「自己承認欲求」や「不満」など知ったことではない。「在特会」のような集団に対して多くの日本人がとっているような無関心やシニカルな態度を、私は決してとることはできない。
というようなことを、昨日までの締め切り前の慌しさの中、頭の片隅で考えていた。

(引用ここまで)



実は、私は朝鮮新報社の記者であるこの寄稿者と接したことがある。
もうかれこれ半年前になるだろうか、私が属する集団が彼の取材対象になって、取材が終わってから、彼を散々連れまわして飲み歩いた。在日社会の展望や、それこそどうでもいい話まで、彼を囲んで十数人で、本当にいろいろな話をした。彼はまるで旧知の友のように最後まで付き合ってくれた。連日の取材活動が大変だろうに彼の温和な人柄に触れられ、同じ同胞として純粋に嬉しかったことを憶えている。
そんな彼はこの連中の騒乱を、どこまでも冷静に分析して見せた。しかし彼は確実に怒っている。相当に。彼のとてつもない怒りがマグマのように噴き出そうとしているのを、理性と職業的使命とで必死に抑えているのを、文章の節々から感じることができる。
私は彼と一度しか接点が無く、当然にその時点で彼が怒る姿など想像することなどなかったが、私は想像の中で、彼とともに怒りを共有している。それは朝鮮人であれば何を言っても何をやってもアリだと考え公衆の面前で公園の便所の落書きにも書かれていないような愚劣な表現でおのれの醜さを垂れ流し悦に入っている破廉恥集団に対しての怒りであり、それが朝鮮人に対してだからと傍観し黙認し問題にもしない日本社会の感覚の劣化に対しての怒りである。また、彼らを守るために大量の警官が借り出され眼前で殺人予告まで飛び出したのに逮捕もせず解散もさせず「デモ」とやらを続行させ連中のガス抜きに加担したこの国のゆがんだ権力とやらに対する怒りである。



連中が無職やニートが大半というのは疑いが無い。連中自身がネット上で吐く内容、連中を取り上げる安田浩一氏の分析からそれは間違いないようだ。彼らの卑屈さ歪み無恥というものは、多分に彼らの境遇が関係していると思われるし、ある意味社会から排斥された被害者とも言えるのだろうが、その境遇に陥った原因が在日朝鮮人にある訳がない。おのれの社会に対する鬱憤を在日朝鮮人にぶつけたところで、おのれの境遇は変わるはずもない。おのれの問題は、第一義的にはどこまでもおのれがどうあるかにある。朝鮮人をどうするかではない。
ところが連中は、在日朝鮮人を勝手に悪魔に設定し、勝手に妄想し、60万人に日本を侵略されるなどと妄想を勝手に暴走させ、日の丸を持って恥知らずに叫んで勝手に成敗した気になり、勝手に喜んでいる。最初から最後までマスターベーションである。
少し想像したらわかるが、連中がそんなことをしたところで、おのれの問題は何も変わらない。仮に60万人すべてが日本に帰化するか朝鮮に叩き出したかしたところで、自分は何も変わっていないわけだから、おのれがその卑屈な人生から解放されるわけでもない。おのれが無職かニートかなのは、おのれが原因であり、朝鮮人が原因ではないのだから、連中のつまらない目的を達成してもニートニートのままである。



おのれの卑屈な人生の言い訳をするがために在日朝鮮人を悪魔化し、悪魔の証拠を検索し、あるいはコピペを鵜呑みにし、おのれの問題に真に向き合わなかったことがそもそもの問題なのだ。堪え性の無さや学習能力の低さ、人生経験の決定的な少なさから、おのれの存在価値や生きがいを、家族や友人、地域や職場に発見できず卑屈に生き、そんな自分よりマシな、自分よりももっと愚劣なものを検索していたら、(フィクションの)朝鮮人がヒットしただけだ。在日朝鮮人は連中のくだらない自慰に持ち出されたに過ぎない。本当にいい迷惑だ。



しかし、連中の最も大きな問題は、想像力の決定的な欠如にある。
虚勢であるにせよ「殺す」と名指しされた人間、およびその同じ人間集団にカテゴライズされる者が、どれだけ傷つき、心を痛めるのか想像できない。
おのれの行動、言動が、この社会の先人が多くの犠牲の下で追求してきた人権、民主主義、表現の自由という崇高な理念をどれだけ愚弄するものなのかが想像できない。
もっと言うと、おのれの吐く言葉がおのれの価値を決定的に低めることを想像できない。自分の人生に関係の無いパソコン画面の中の(フィクションの)朝鮮人を、自分と比較するためにわざわざ持ち出して、それを妄想の中で徹底的に低めてようやく自分が優越的な地位に立つことができる、その無残なまでに低い「おのれ」に気づかない。
私はこれまで連中を笑いの対象にして、ある意味悪趣味に興じていたが、この期に及ぶと私の中では連中は哀れみの対象である。
連中に求められるのは専門的なカウンセリング、治療ではなかろうか。連中の内なる悪魔に向き合い、根本治癒することが必要ではないだろうかと思う。
本当に哀れだ。