いち在日朝鮮人kinchanのかなり不定期更新日記

はてなダイアリーから移行しました。古い記事ばかりになりましたが、ボチボチ更新していこうと思います。

kinchan的朝鮮総連考(2) ― 帰還事業がすべての間違いだった

朝鮮総連が、少なくとも首脳陣が北朝鮮の体制や示した方針に隷属し、組織全体が北朝鮮への翼賛体制を維持しつづけている主要因について、私の考えを述べたいと思います。
先に断っておきます。これはあくまで「kinchan個人の見立て」であり、文献等からの学習の類が多いものの裏付けの無いものも含みます。しかし、過去に総連の内部で様々な人間と絡みながら得た経験を元にしたものですので、朝鮮総連という組織を眺めるひとつの切り口として、有効な着眼になろうとは思います。

1959年より、在日朝鮮人の帰還事業というのがはじまり、多くの在日コリアンが、北朝鮮へと永住すべく渡って行きました。
詳しい説明は他で見ればいくらでもあるので割愛しますが、多くの在日コリアンがなぜ縁の薄い北朝鮮在日コリアンの多くは半島南部や済州島の出身)に渡ったのか、主だったところを挙げると以下のとおりです。
・日本における法的制度的差別及び社会の偏見が激烈であったこと。いまと比べても話にならないほど劣悪だったこと。多くの在日コリアンが生活苦に喘いでいたこと。
・当時は南北朝鮮の経済的優位は、韓国よりむしろ北朝鮮の方であり、韓国は軍事政権下でもありダーティーなイメージがあったこと。
・当時の在日コリアン組織も、北朝鮮を支持する朝鮮総連が韓国民団より優位だったこと。
・信頼できる客観的中立的な北朝鮮の内部情報がまるで無いなか、多くの日本メディアが伝聞や憶測で北朝鮮を礼賛し、帰国を美談として取り上げ持て囃したこと。
日本赤十字も人道的見地から多くの負担とともに支援し、日本政府も後押ししたこと(日本政府の支援には「邪魔者を追い払う」性格があったことは、のちに知られることとなるが)

結果、北朝鮮に渡った在日コリアン等は、約9万人にものぼりました。
中には苦学し、そのまま日本に留まっておれば知識的な社会的貢献が期待されうる人もいました。また中には日本社会が追いやり、なり手の無かった、きつい、汚いと呼ばれるような仕事を必死で興し、苦労しながら財を成した人もいました。そのような人も財の多くを朝鮮総連に託して渡って行きました。幼い子供たち、日本人の配偶者、新婚夫婦、その他本当に様々なバックボーンを持った人達が、自分の能力を祖国の建設、戦災復興に役立てられるのなら、と見たこともない北朝鮮での未来を思い描き、希望を抱きながら渡って行ったのでした。

しかし、彼らを待っていたのは、劣悪な生活環境と、日本以上に激烈な差別社会でした。
北朝鮮からしてみれば、韓国との主導権争い、自己の社会制度の優位性の宣伝から、在日コリアンが南ではなく北を選んで帰国しさえすればよく、受け入れる環境や姿勢など、まるでなかったのです。
彼らはその多くがインフラもろくに揃わない山間部や辺境の地に定住させられ、職業や学校も自分の意志で決めることは、ほとんどできませんでした。(元々北朝鮮には居住地と職業の選択の自由は無いに等しいが)
現地人からは「帰胞」や「半チョッパリ」と蔑まれ、日本から持ち出したなけなしの財産をたかられ、現地に身寄りのない彼らはみるみるうちに落ちぶれて行きました。当然のように彼らは不満を口にし、日本への再出国を求めたりもしました。
自由な物言いが許容されない北朝鮮で、彼らは早速監視や排斥の対象となりました。彼らは総連の幹部や日本の共産党の党籍を得ていた者以外、殆どが敵対階層と位置づけられ、社会的にも地理的にも物質的にも最下層の身分に追いやられ、それに歯向かうものはもれなく政治犯として親族もろとも駆られて行きました。苦しい日本での境遇を憂い、「地上の楽園」を夢見て渡った北朝鮮。ところがそこは「地獄の果て」で、多くの帰国者が失意のうちに、政治犯収容所で、餓死で、銃殺刑で、死んで行きました。

ここまでは一般的に知られる帰還事業の顛末ですが、これが、帰還事業が終わったあとの、現在に至るまでの朝鮮総連にも暗い影を落としていると私は見ています。すなわち、いまも北朝鮮で命をつないでいる帰国者、そしてその子孫が、北朝鮮当局の人質となり、朝鮮総連傘下同胞の金を搾り取り、幹部の口を封じ、北朝鮮を批判できない環境を維持するのに機能していると考えるのです。
その構造を説明します。

帰国者は帰国当初こそ持ち出した財産で何とか食いつなぐことができましたが、早速物質的に困窮するようになり、それを日本に残る親類やツテのある同胞に頼るようになります。日本に残った親類は、毎月のように送られて来る手紙に、「祖国の懐は素晴らしい」といった美辞麗句の隅に「10万円送ってくれ」とか「中古車を一台…」とか、しつこくモノをねだる言葉が置かれているのを見て、北朝鮮は「地上の楽園」などではないことを直ちに知ることになりました。
それでも困窮する家族の為にと、日本に残った者は援助を続けます。これによって、日本に頼る親類がいる帰国者は、物質的には比較的恵まれた生活が送れるようになるのですが、現地人がこれに目を付け、職場や地域の帰国者に、工場の物資や外貨をアテにするようになります。職場の立場や党員資格をエサに、祖国建設に貢献するようにという建前で、帰国者にたかるのです。帰国者は生きるために無心を続けますが、さすがに際限ない援助に疲れ果て、耐え切れなくなって祖国との交信を絶った在日コリアンが数多くいます。私の親もそうだし、私の周りの在日コリアンにはそのようなエピソードを持つ人がたくさんいます。実際私も学生時代に、会ったこともない従兄から手紙が来て、「溶接用の色つき眼鏡レンズを…」と書かれていたのを見てびっくりした経験があります。
また1970年代には、北朝鮮当局が、帰国者の処遇をダシにして、朝鮮総連を手先として、在日コリアンの懐に露骨に直接手を入れてくるようなこともあったようです。「総連に一千万円寄付すれば家族を党の重要なポストに就かせる」「二千万円寄付すれば収容所から家族を出してやる」。このような誘拐犯まがいのやり口で巻き上げられた金は、朝鮮総連を素通りして北朝鮮に渡って行きました。
仮に在日同胞の多くが北朝鮮に渡らず、日本で、その持ちうる知識を日本社会や在日社会に向けていればどうでしょう?北朝鮮に送りつづけていた財産を、日本社会や在日コミュニティの発展に使っていればどうだったでしょう?想像するしか術が無いのですが、もう少しは暮らし向きも良かっただろうし、社会的立場も確立できただろうし、在日社会で共有できる財産も、もう少しは持てたはずなのです。帰還事業によって、本来日本社会と在日コミュニティーの充実のために活躍していたはずの、多くの人的資源を失い、その後長きにわたって、あらゆる物的資源を、帰国者を想うがために、北朝鮮為政者の強欲の成すがままに投げ打ってきた。帰還事業は、その地点だけではなく、その後長きにわたって、在日コリアン社会に暗い影を落としたのだと、私は見ています。
現在、朝鮮総連で(オフィシャルの場で)北朝鮮式の言論の不自由さが維持されているのも、北朝鮮にいる帰国者の命を担保にしているものと見ています。朝鮮総連はいまや創立されて55年を超える古い団体ですが、いまの朝鮮総連の上層部には、創立当時、あるいは草創期より関わっている者が少なくありません。当然家族や兄弟が北朝鮮に渡っていることが多く、本人あるいは子孫がそこで命を繋いでいます。上層部の人間の全員が全員、北朝鮮の親類らの命運を顧みず、北朝鮮の独裁者に反旗を翻し、北朝鮮の呪縛から独立して、在日の利益擁護と日本社会でのコミュニティー形成のためのみに働く、北朝鮮には是々非々でモノを言う、というのなら、体制は打破できるかと思います。しかし、上層部が一枚岩でそれができるとはとても思えません。やりたくてもできないのです。一族のなかで「反党分子」「変節者」が出たときの、北朝鮮当局のやり口は、彼らがいちばんよく知っています。たとえ一部が勇気を持ってクーデターを起こしたとしても、自分と、日本と北朝鮮の親類がトカゲの尻尾のように切られ、そのあと何事も無かったように体制が維持されるということも、彼らはよく知っています。
自分の立場だけを投げ出すだけなら踏み出せても、例えば親族も総連の職員であれば、その親族がもろとも職を追われる。朝鮮学校に子供を通わせておれば冷遇されるかもしれない。北朝鮮に親族がいるなら無慈悲に殺されるかもしれない。北朝鮮の求心力が次第に弱まりつつある現在にあっても、過去に実際にそうなった人を知っていたり、見たり聞いたりしているので、その恐怖感から、あるべきカタチヘの変革を踏み出せない。過去に総連に持ち込まれ、帰還事業で獲得した人質を担保に強化された、北朝鮮式の恐怖政治のトラウマから抜け出せない。私はそう見ています。

繰り返しますが、本来在日コリアンの人的物的財産は、在日コリアンの生活向上と地位確立、ひいては我々が住む日本社会にこそ優先的に使われるべきです。それを総連の組織が、本国の意向とは関係なくジャッジ出来るようにするには、北朝鮮の呪縛から解放され、自分たちの頭で考え、是々非々でモノを言えるようになるべきです。そのためには、世代交代か人心一新しか無いと思っています。北朝鮮との関係が薄い人が、大鉈を振るうしかないと思っています。若い者であればあるほど、帰国者あるいはその子孫との接点、そして何より北朝鮮との接点が少ないので、大胆にやれると思います。

私は在日朝鮮人として、朝鮮総連の大衆団体としての意義、在日コミュニティーを形成する上での存在意義を否定するつもりなどなく、朝鮮総連が無ければ現在、在日コリアンは民族的アイデンティティを確認する場所もなく、日本社会から押し付けられる共生という名の同化圧力に簡単に流され、顕在的在日人口は見る影もなく衰退していたものと考えます。しかしながら、北朝鮮に住んでいるわけではないのに北朝鮮に対して自由にモノが言えない朝鮮総連は、やはり大きく変化するべきでしょう。批判能力の無い組織に進歩など無く、衰退していくしかない。
もっとも、このような変化が必要とされるのは日本社会から理解されるかどうかという「圧力に対する対応」の類などでは決して無く、北も南もない「在日」という自分たちの立場から、自分たちのコミュニティーがどうあるべきかと、いうところから発進したものであるべきなのですが。外部から、圧力に屈して云々と言われるのを気にしないで、十分な議論を持って「あるべき姿」を探究してほしいものです。