いち在日朝鮮人kinchanのかなり不定期更新日記

はてなダイアリーから移行しました。古い記事ばかりになりましたが、ボチボチ更新していこうと思います。

ネット上で語られる「そんなに日本が嫌いならなぜ朝鮮に帰らないのか」に答える

ネット上で、我々在日コリアン一般に投げつけられる言葉の代表に、「そんなに日本が嫌いなら朝鮮に帰ればいいじゃないか?」というのがあります。
基本的にこれは、大真面目な、素朴な疑問という類ではなく、レイシズムの発露であって、放っておけばいい、言わせておけばいい類のものなのですが、少々考察してみたいと思います。



*なぜkinchanは日本に住んでいるのか?
日本で生まれたからです。それ以外の理由が見当たりません。生まれ来る土地と血統、家柄は選べません。良いとか悪いとか、幸運とか悲運とか、人はなんとでも言えますが、自分はその運命を肯定して生きるしかありません。他との比較は価値がありません。愚です。

*なぜ朝鮮人なのに日本で生まれたか?
じいちゃんが日本に渡って来たからです。両班の端くれで小作人に田を貸して悠々と暮らしていたのが、日本に土地を収用され生きる糧が無くなり、食えなくなり、生きる途を探して「本土」日本に来ました。

*では何故帰らないのか?
帰る理由が見つかりません。「帰れない」「帰らない」理由ならいくらでも挙げられます。生活、言葉、人間関係、積み上げてきたものがあります。私のじいちゃんが生きるために日本に渡り、極貧のなかででも子供を育て、生活の基盤を作ってくれました。絶やさず繋いでくれた命の灯が、私の子供にまで消えずに残っています。私にはこの地で生きる理由があり、私の周りの人のために生きていく責任があります。ほぼすべての在日コリアンも、同じように帰る理由がありません。

*少し違う角度からアプローチ
多くの人は「おぎゃあ」と生まれ、育った土地を故郷と捉えるでしょう。日本人も同様に、見たことも無い書類の中の「本籍」より、いま住んでいる土地に「故郷」を感じるでしょう。
そういう意味で、私の故郷は間違いなく大阪だし、私のアイデンティティは「朝鮮人」の要素より、「関西人」の要素のほうがはるかに大きいと感じています。こう考えても私が韓国に帰る理由はありません。



書き進めて来ましたが、そもそも最も根本的な問題として、
在日コリアンは日本が嫌いなのか?
まず、「すべての在日コリアンは日本が嫌い」というのは有り得ません。中にはそんな人もいるでしょうけど、私の周りの在日コリアンに「俺は日本が嫌いだぁ」と言い張るような人はいません。聞いたこともありません。一部の「中にはそんな人もいる」を全体と捉えるのは妄想族の得意技ですが。

*ではいわゆるネトウヨは何をもって「嫌い」と判断しているのか?
「日本が嫌い」とか「反日」とかというのは、判断する人のポジショニングによってどうとでも言えるものです。私に言わせれば、在日コリアンも含め多様な人間が住んでいる日本社会が、将来においてより良い社会であってほしいと願うのはその社会の構成員として当たり前であり、そのために自分の思うことを表明するのがなぜ「反日」なのか理解ができません。
私は右とか左とかという言い方は好きではありませんが、大きく右に触れた者には、中道の者でさえ極左にしか見えないでしょう。自己の妄想の高ぶりが右にしかハンドルが回らないぶっ壊れた車のように暴走して、我々在日コリアン含む一般市民を自分の偏狭な見立てで勝手に「反日」認定して、人格を否定し侮辱している姿は滑稽ですらあります。
そもそも彼らが攻撃対象としている「在日」というのは、必ずしも現実社会に存在するものではなく、ネット上の創作とか、一部のならず者の行為とか、曲解とか無理解とか妄想とか、とにかくフィクションの割合が相当高いものと推察します。私は在日社会と日本社会とで多面的にいろいろな人間と関わっているのでそれが断言できます。ネット上で語られる在日の人間や社会の像と、現実のそれとが乖離が大きすぎます。

馬鹿馬鹿しいので、この辺にしときます。
ヘドが出ない自信のある人は、「朝鮮帰れ」で検索かけてみてください。まぁ気持ち悪い文章のオンパレードです。この人たちが他人への嫌悪感とか優越感とかと離れたところで正常な人間関係が構築できるのか心配になります。本当にくだらない人たちです。これらコメントを投げるほぼ大多数の人は、現実の在日コリアンとの接点や交流機会がほぼ無いものと断言してもいいでしょう。親友に在日がいれば、その人に「朝鮮に帰れば?」と言うはずが無い。